2023.12.30(年の瀬)

もう年の瀬ですか。街を歩いてもそんな雰囲気が流れている。きのうは久しぶりの先輩と会えて楽しかったな。なんか、彼には大学時代多大すぎる影響を受けていて、なんなら心酔までしていた節まであり、それゆえ近年自分の中で距離感が難しかった時期が正直なところあったのだけど(父に対してもそうだったのだが、ある時点で影響下から脱しようという力が自分の中で働いてしまうことが多い)、きのうはなんか、お互いひとりの音楽好きとして話せた感じもあり、それがうれしかった。向こうは色々気を遣ってくれたこともあったかもしれないが…。おれは、うれしいと、うれしいですねえ! ということを相手に言うことに忌憚がない。なんか彼のギターの腕がほとんど鈍ってなかったのもうれしかった。逆に俺は酔っ払って全然弾けなかったが、笑

酔っ払うと本当に弾けないね! 最近そう思うことが多い。ブルースはそれなりに弾けるけど。

今日も洗濯物突っ込んでコロラドに来ている。年の瀬だというのに、なのか、だから、なのか、ずいぶんにぎわっている。明日も特に予定はないし、実家には元旦に日帰りで行くだけだからひとりで寂しい年越しだ。去年はしんどかったな。まあ蕎麦屋は大晦日にも開いてるのがわかってるから、今年は年越し蕎麦食って締めよう。

影響という言葉が出た。なんか、俺って誰かに傾倒しては、でも俺がやりたいのってこうなんやろか、と思い直すようなことを繰り返してる。父、先述の先輩、元彼女……いまだって"師匠"に傾倒しているのは側から見ればそうだろうと思う。でもだんだん人とのうまい付き合い方を覚えてきていると信じたい。

今年の総括みたいなことしたくて、おとといも会社で黙々とテキストファイルに書いてたのだけど、なんか途中であんまふさわしくないことまで筆がすべってしまい、パソコンに入れっぱなしにしてきた。

総括ねえ。なんだろうね。簡潔にいきたいものだが。なんか、おとといの気分では、いろんな自分の中の矛盾に気づいて、それに向き合う年だった、ということを書いていた。まあそうかなと思う。自分に合うこと、ほんとにやりたいことと、なんかした方がいいと思ってることの区別。たとえばコロラドに来ていることだってそうだ。世田谷に住んでるからには洒落たカフェに通おうみたいなのを思ってたけど、結局なじんだのはチェーンの(どちらかというとフランチャイズって感じだけど)タバコが吸える喫茶店だった。こないだ若い?店員の人が「いやーきょうび煙草吸えるとこ珍しいんで、助かります」みたいな客に「喫煙所マップっていうのがあるんですけど、そこにうちが載ってるんですよ。公式に喫煙所だと思われてる可能性がありますね」とか軽口を叩いていた。まあでもそんな気楽さが俺は好きだ。

矛盾。それこそ音楽でいえば、おれはヒップホップとか、ソウルとか、ブラックミュージック全般をやるんだみたいなことを去年くらいまで思っていたけど、結局俺が好きなのはブルースなんだろうなということを思うようになった。そうしたらやるべきことが見えてきて…というより、やるべきことが見えて、それができてくることでそう思うようになったのか。まあ、鶏が先か……だが。

やりたいことと、世間的にはやってた方がイケてるんじゃないかということはやっぱ違ったんだと思う。「ブルースをやる人」と、「ブラックミュージック全般をそれっぽくやる(で、認められてる)人」。去年くらいは後者を目指してたし、ファンクバンドとかも一瞬組んだりした。結局それは一緒にやってた人の本質的な合わなさに彼主催のセッションに行くことで気づいてしまい、ああ俺こっちじゃないんだ、と思う結果になったのだが。

まあ矛盾を整理できた年、というのはそれなりにいいまとめ方じゃないかな。

やりたいもの、と、単に好きなものとの違いもわかったかな。坂本慎太郎とか大好きだけど、たぶんそういう温度のものがやりたいわけじゃないっていうか、別にできないっていうか…。

それを踏まえて、来年はもっと悩まず……まあ悩んだとしても、これまでとは違う形になるだろう。地に足つけてブルースやれるんじゃないかな。

このところ色々自分のカルマにも向き合わなきゃならん出来事があって、ほんと今年中に駆け込みでそれが起きたなという感じだったけれど。こうやって書いてると前向きになれそうだ。また大吉引けるかな。けっこう、疑いなく引けば大吉引けるみたいな意味のわからん自信がある。さて。洗濯物乾燥機に突っ込んで、銭湯行ってこよう。

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