2023.6.18(だるい)

だるい。畳で寝てしまったせいか、昨日今日と食いすぎなせいか、一昨日睡眠不足なせいか。とにかく、体調悪いとか、憂鬱ということもなく、ただただ身体が重い。今日は東陽町に行かなければいけない(しかもちょっと建物を見て帰るだけ)用事があり、それもだるさに輪を掛ける。用そのものは大したことないのに片道一時間くらいかかるのがだるい。途中駅で降りてちょっと遊ぼう、という経路でもない。調べてみたら日本橋とかを通るようだった。日本橋かあ。ちょっと、ふらっと寄ろうという街ではないね。

洗濯物も結構たまっている。なんか今週ははやかった。部屋も散らかってしまっている。うーん。金土と、それなりに忙しい、というか人といる時間が長かったので、自分の生活が疎かになっている。そういうのを処理しなければいけない日になっている。週休三日にしろよと強く思うのはこういう時だ。明日は、溜まった仕事を頑張って終わらせるために出社するつもりでもいる。それが余計にだるい。でも在宅だと確実に終わらないし、かえって気持ちにも良くないので、とりあえず出社するのがベターだろうという判断。

きのうは練習だった。そこまで詰めているわけではないが、やり方一つ違うだけでここまで聴いたことのない感じになるのかという驚き。それからIの家でビールを飲みながら談笑した。寝不足にお酒を入れているのでたいして飲んだわけでもないのにとろんとしてしまった。最近出たらしいこってりMAXというのが気になっていたので、Iと共に天下一品におもむき、ねぎたまと小ライスをつけて頼む。昔同期がネット上のレシピを参考に再現したこってりラーメンが、どう配分を間違えたのかほとんどペーストのようなスープだったのだが、それと同じ匂いがした。それの経験があるので、インパクトとしてはそこまでであり(まあ、あれは、重すぎて一杯食べきれないような代物だったから、店で出されても困るが)、そしてふつうのこってりのほうがバランスが良くておいしい。なんとなくわかってはいたけど、話題のために食べてみたかった。俺は意外と(誰にとって?)こういうところがある。限定メニューとかをできるだけ頼んでみる癖が。

まあおおむねそのせいだろう、帰って、もう何もやる気がなくなって、畳でゴロゴロしているうちに寝た。LINEの履歴を見るに12時ごろ意識を失っているようなのだが、帰ってきたはずの9時前から3時間、何をしていたのかほとんど記憶がない。

このところわりとものを考える記事が多かったけど今日のは本当に日記という感じだな。書いていて、自分でどうでもいい。

と、目の前にガガンボが降ってきた。よほど弱っているのか扇風機の風に負けてふらふらと転がっていった。手で潰すのは嫌なサイズだったのでティッシュを探しているうちに何処かへ行ってしまった。まあそのうち見つけたら捨てよう。

夏がいい、夏がいいと言っていたがいざ本当に暑くなってくるとそれはそれでだるい。憂鬱でだるいよりは、つまり冬よりはましだが、やる気が出ないので困る。そういえば最近よく寝ている。前は7時くらいに目が覚めていたのだけれど。なんか疲れているんだろうか。

とりあえずコインランドリーに行った。高濃度で容器がスリムな洗剤にしたので、持ち帰るのが楽だ。これは盗難対策でもある。それから神社に行って、思うところあっておみくじを引いた。すると大吉だった。あれ、という、拍子抜けの気持ち。そんなんじゃあかんよ、と言われるつもりだったのだが。

人間関係がすべて円滑に進む

「縁談」の項、そのうちなくなるんだろうか。お見合い前提の記述だし。

男女間ばかりでなく 人間関係がすべて円滑に進む って「恋愛」に書くことなんか、という気持ちもある。ほかに項がないのだが。「人間関係」を漢字ふた文字で書くなら何かと言われると実際わからない。「友人」では幅が狭い。「人縁」という言葉を考えたがそんな言葉はないし、少し気味悪い。Twitterがないので今はこういうこともここに書くしかない。「人間関係」って言葉、昔はなかっただろうな、と思った。いや一つ思いついた。「交際」だ。昭和くらいの本で、「つきあい」とルビが振られることもあるよね。まあ「人間関係」とニュアンスは少し異なるけれど。「交際」のほうが、少しむかしでいう大人というか、社会的な感じがある。どちらが肌に合うかといえば「人間関係」だな。

またごろごろしながらスマホで書いている。本でも読めばいい。洗濯物を乾燥機に入れるタイミングで、用を済ましに行こうかと思う。帰ってきたら3時半くらいになってしまうだろう。それもなんだかな。たいした用事でもないのに、2,3時間を使ってしまうのは、「溶かした」という感じで気分がよくない。本を持参して電車で読むのがいいか。うん、それなら少し意味が出てくる。7月初めに読書会があるからそれまでに読んでおかないと。

で、用事を済ませに電車に乗っている。結局本は家に忘れてしまったのでスマホのkindleアプリでサイコパスについての通俗的な本を読んでいた。こういうのが広がっていったら、サイコパス差別、みたいなことも起きるんだろうか? まあtoxicな人からは距離を置きましょうというのは生活実感からわかるんだけど、脳の構造が違うというのを前提にした上で、そういう人から離れようというのはなんだか「そんなこと言っていいの?」という気がしないでもない。

発達障害とかLGBTといった概念はその属性名を創出することで当事者の苦しみと向き合おうみたいな意図がなんかあるのかなと勝手に思っていたのだが、世には「にいちゃん、髪長いね!ひょっとして"ジェンダー"かい?」なんて言う人もいるらしいし、男子校の時にオスカー・ワイルドを授業でやったあと、「あいつ男色だろ」みたいな言い方が流行ったことを考えると、言葉ひとつでは、世の差別的な受け止め方というのはそうそうなくならないんだなというのがわかる。「サイコパス」の定義みたいなことがたとえばテレビで大きく取り上げられたら、発達障害やASDの人を「あいつはサイコパスだ」みたいに言うやつは確実に出てくるだろう。

コミュニケーションのできない人(それはいわゆる内気な人を意味しない)に対しての忌避感については再三触れているけど、もっと言ったら読解力のない人、読解する気のない人、ということになるかもしれない。Twitterを見過ぎて、そういうのがいるというのは嫌というほどわかった。

あんま関係ないんだけど、前に仕事のテスト結果を書いた時に「〜を参照されたい」と書いたら、「不自然な言い回しなので直して」と言われたことがあった。おれは、「〜されたい」という表現を聞いたこともない人にふだん怒られてるんだな、と思ったのを憶えている。まあ向こうも似たようなことは思っているだろう。こんなこともできない奴がいるのかと。

ギター。耳が変わってきて、それまでの自分の調整がぜんぜん良くなかったということがわかって、数日、ちょっとだけ落ち込んだ。いまは新しい基準にあわせて調整しているけどそれはそれで弾きづらくて難儀しているし、調整として正しいのかも自信が持てない。ので、借り物の、自分が選んだわけではないギター(皮肉にもこれが一番音がいい)をメインに使って練習している。

そんなことを考えながら東陽町に着いた。江東区らしいというか、でかい道路にでかい建物、という、オフィスを前提とした、東京のつまんない街そのものといった作りではあったが、それなりに小さな店やら公園やらもあり思っていたよりは印象が悪くなかった。

そのまま帰るのはあまりに退屈に思えたので、御茶ノ水に寄って安い弦を探す。女の子の後輩の前でしょうもない知識を披露するバンドサークルの男子学生やら、変なテンションのオタクに辟易しながら、流行りのバンドものアニメの曲を流し続ける楽器屋で(本当に苦い顔をしていたと思う)なぜか550円で安売りされていた弦を3セット買う。DunlopのSuper Brightというやつだが、調べてもベース弦しかヒットしない。まあ、触って明らかに作りが悪いなと思うようなものでなければとりあえずなんでもいいかと思って買った。以前はピュアニッケルだの、結局ダダリオだの、ずいぶんやったものだが。

フェンダー系のギターの弦を少し太くしたかった。中域に絞ってしまった調整を、低域から高域までバーンと出るようにするための処置のひとつだ。ストラトのサドルも一度プレスにしているのだけど、ついでにダイカストに戻してみようと思う。いやはや、勉強代というには無駄が多かった。一度間違えてしまったために。でもこれを機会に、これまで思っていたいい音のする調整というのを180度認識を改めたので、まあ意味はあったと信じたい。今後もどのみち、こういうことは気になり続けるだろうから、随時あらためていくしかない。

新宿駅。小田急線の乗り換え改札に、「小田急線の乗り換え口です」と言うだけのために駅員さんが立っている。こういう仕事こそ機械に取って代わられるべきだと一瞬考えたが、しかしこういう退屈でどうでもいい仕事のない世界というのもどうだろうかなどとも思った。昔は電話番するだけの人みたいなのが普通に正社員として月給をもらっていた、なんて話を聞くと、そのくらいの方がゆとりがあっていい気もする。非生産的な仕事はロボットに任せ、人間は生産的な、意義のあることだけに従事する…なんか、いかにも理想的にみえて、それはそれで貧しいような。すべての人間が「輝く」社会。なんだかいかにも政府広報っぽくて、強迫的だ。まあ、駅員さんに関しては、そんな仕事がしたくて入ったわけではないような気もするけど。

電車の中で子供が延々泣いている。こういう時に露骨にイヤな顔とかしないし、親にしろ子供にしろ誰も責める気はないが、まあ気になんないかというと気になる。ただその感情に忠実に態度をあらわすというのは自分の正義に反するので、そのまますわっていた。ドアの近くの席なので、自分の感情に忠実な人がぞくぞくと車両を変えていく。まあ親とかを怒鳴りつけるよりはずっとまともだし、それもひとつのやり方だよねと思って見送る。

その矢先、近くでよくわからない40くらいの男が変な早口でビジネス用件っぽい電話をしはじめた。これは俺は気に入らないし、これを気に入らないという感覚にあまり疑いがない。すぐさま車両を変えたのだった。こちらの車両にも金切り声を上げる子供がいる。まあ、いいんです。それは。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?