2023.6.23(やれやれ)

結構間空いてしまった。実をいうと出社してる時にテキストエディタで描いたのが結構溜まってるのだけど、毎回ファイルを移動するの忘れててこうなっている。

ZINEの話をした。実際に自分の日記の中でよく書けているかな? というのをピックアップすると、あまりに統一感がないし、たいして面白くもないような気がしてきて、ちょっと萎んでいたところなので良かった。友人のいうには、一個共通のテーマというか方向性をみんなで共有したら面白いんじゃないかと。なるほど。それで少し、どうしていいかわかったような。

従兄弟はおれのTwitterを見て俺のひととなりがわかってきたらしい、という話をしたところ、「内容というよりは、量だよね」と言われた。ツイ廃(旧い言葉だね)ってこと? と思っていると、ああやってポンポン書きまくるあたりが俺らしいということのようだ。対面で話していても、シリアスな話題には触れるけれどもトーンはシリアスになるわけではない、割と常に一定な感じがすると。なるほどねえ。考えてもみなかったことで、かなり面白かった。いいのか悪いのかわからないけど。

これは、この一年くらいで培った技術でもある。いいふうに言えば、言葉をある程度感情と切り離すことで理性的に話を進められるし、トーンを重くしすぎない方が相手も話しやすい。相手が潜っている時に自分も潜ってしまうと、その場での連帯感はあるけど結局何の話をしていたのかよくわかんなくなる。悪い風に言えば、俺は少し軽薄に、ドライになったかもしれない。

友人がぶち壊れて画面の7割が見えないスマホを使っている。明後日に坂本慎太郎のライブに彼と一緒に行く予定なのだが、電子チケットだった場合、彼のスマホでは入場できないのではないだろうか。俺にも分配できるかもよくわからない。それに気づいたのがついさっきで、電話したが(LINEを送ってもほぼ見られないため)出ない。こうやって日記に書いてしまうのはあまりフェアではないかもしれないが、どうにかしてくれと思う。

前に、あなたはそのスマホを使い続けることで、あなたのスマホに入っているすべての連絡先に対してディスリスペクトしている、と冗談めかして言ったのだが、いままさにされている気分である。まあ、なんでもスマホ前提でやりとりする現代の状況もおかしいといえばおかしいし、それを強いるのも正しいとは言えないのだが。しかし、連絡をすべきときに連絡を取れないような状況をよしとしているのは、単純に自分に連絡をしなければいけない周りのことを軽視している、ととられてしまう。不便だけど自分が我慢すればいいやだけの話ではない。

Facebookから、知人の無職男性が38歳になったという旨の通知が来た。いま、彼のことを気に掛ける人がどれだけいるのだろうか。最後まで気にかけていた先輩は、ある時「なんで彼を旅行に誘うために毎回わざわざ朝早くに家に行ってのんびりシャワーを浴びるのを待ったりしなきゃいけないんだろう、って気づいちゃって」と言っていた。まあ、人間関係はいずれにせよ流転するし、周りのお節介は彼にとっての本意ではなかったのかもしれない。そうだとしてもそう伝えなきゃダメだろうとは思うのだけど。

俺は昔から無精で、年賀状なんかも返さないので、父に「お前そういうのやってると人にどんどん見放されるぞ」と言われ続けて育ってきたが、まあこういうことだったんだと齢28にしてようやくわかった。

やれやれ。まあ連絡取れないものは仕方がない。紙のチケットで、もう発券済かもしれないし。はあ。



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