Threads/X抜き書き(2024.3.10)

テレは細く感じられてちょっと前までレスポールばっか弾いてたんだけどなぜか今はテレもちゃんと太く聞こえる これはなんだろ、鳴らし方が実は変わってるのか、聞こえ方が変わってるのか、単に気分なのか?

なんかでも気持ちの問題みたいなのあるよな、普通に弾いたら太く出ると信じて弾くとそういうふうに鳴るというか…

レスポールの倍音が後から膨らんでくる感じに慣れて、頭の中にそういう音のイメージがあるからテレもそういうふうに鳴らせてる?

それやってって、頭の中の音というのがより解像度高く「完成」的な状態になったら、究極ギター関係ないということになるけど。

例のピックを使ってのベースの練習を楽しんでたのだが、ピックのアップダウンでリズムを取る(たとえば休符に16分のゴーストノートを入れるとか)すると、次の音に遅れたりタイミングが合わないことがありがちだ。

出す音でタイミングを取るのではなくタイミングに合った(というか意図したタイミングの)音を出すのだ。

今日録ったvelvet undergroundのコピー、原曲聴きかえすと全然あんな感じではないのだが、単体だとけっこう(自分では)それっぽく聴こえる気がするのはなんだろう。俺の頭の中にある「こうだった気がする/こうであって欲しい」がわりと音に出てるのかな。

7,80年代の日本製コピー、ストラトモデルはけっこう質の高いものが出てるんだけどテレモデルは本当に適当なの多くて(東海は良さげなの出してたみたいだけどそれはそれで手に入らない)当時の人気が推し量れる。

所有ギターは5本くらいにとどめておきたいのだが、一度所有するとそこにいろんな文脈とか愛着が発生して、結局手放せず増えてしまうということがある まあそれでもかなりバンバン手放す方だとは思うけど。

「不適切にもほどがある!」どうせやな気持ちになるだろうと思って観てないが(まあそもそもドラマを観ないが)知り合いのおじさんが「この頃の方が良かった」って無邪気に言ってるあたり別に批評性もないのだろう。

青葉市子にも青葉市子を好きな人にも罪はないのだが、昔大学中退したのにサークルに戻ってきては当時の1,2年生の女の子とかわるがわる付き合ったりしてた男が「青葉市子が好き」って言い出した時はなんかキモ…ってなった。

「上手く見られたい」の自意識を文章ではだいぶ振り切って、「確かに」が一文中に2回出てきちゃってても平気で出せるようになってきたけど(それはそれで、いいのか?)絵とかも同じような感じで習慣にできたらいいのでは。

でかつよ化したことでハチワレの思考も変容してしまったと捉えるか、ハチワレがそもそも持っていた精神的な弱さがちいかわに武器を突きつけられることではじめて表に出たと捉えるかでつらさが変わってくる(し、多分後者だろう)。

焼肉屋のデザート、シャーベットではそっけなすぎるが、黒蜜きなこアイスではあまりにくどすぎる。

千葉雅也の『デッドライン』すごい面白く読んだ。2日で一冊読み切るってのは久しぶり。

いわゆる小説っぽい作りではなく、2ページくらいの場面が断片的に並べてある感じなんだが、なんというか自分の肌に合った。

なんというか、俺は小説に一本の線になった「筋」があると、それを理解しなくては、これまで読んできたものを記憶して把握していなくては、と思っちゃう節があり、それが結構しんどいのだが、そういう「筋のある」物語であっても、読んできたページを振り返ったところでおれの頭の中には断片しかないわけで(忘れちゃうから)、なら最初からそういう断片を並べて、それを続けて読んでいくことで何かテーマとか、より広い意味での筋…流れみたいなのが立ち上がってくるようにすればいいのかも。

駅前で「世田谷名物」を名乗ってる饅頭(その上「名物にうまいものあり」とまで言ってる)試しに買って食べてみたら、甘さ控えめの白餡に薄くて堅めの皮を巻いたベーシックなまんじゅうで、確かにとっても美味しい……

本屋の件とか、なんにせよ舐めすぎのことが多すぎる この国の上にいるカスをどうやったら一掃できるのか、バグみたいなことばかり想像している。

ヘッドスペースの瞑想ガイド内容もいいしアニメも可愛くてすごくいいんだけど、吹き替えで見てると瞑想を実践するパートで急にイケボになるのに毎回集中乱される。

「シャランQ」って、なんとなーく「車乱急」みたいな熟語があって、それを元ネタにしてるのかなと本当にモヤモヤっと思ってたっぽいんだけど、こうして文章にすると全然そんな言葉ない。

最近出先で買うことが多かったのでピースとかハイライトとかセブンスターとかマルボロとか喫ってたのだが、やはりウィンストンが1番好きだなあ。なくなったらどうしよう。全然ありうる…。

インタフェースにギター繋いでDAWでヘッドフォンつけて練習すると、音源と自分のギターを同じ平面に落とし込めるのでタイミングとかフレーズはコピーしやすいな。

ただ平面と書いたように奥行きがほとんどないから、たとえばタッチとかトーンのコントロールっていう面では全然練習にならない、というか、変な方向に行ってしまう感じがある。

従兄弟の映画サークルには毎年誰かしらギターが弾ける奴がいるので、そいつに弾かせてみんなでたまの「さよなら人類」を歌うのが恒例として続いている という話、最近聞いた話の中で一番よかった。

金属バットの漫才で「なんかパンのええ匂いする施設あるなあて思て」「お前パン屋のこと施設言うてんの?」ってやりとりがあるんだけど、俺こういうのめちゃくちゃ好きなんだよな。

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