Threads抜き書き 2023.11.29

むこうのプロはほとんどチャーチ・ミュージシャンかトラックメイカー、って話、後者はともかく前者は単に毎週礼拝があって食い扶持に困りにくいからなのではと友達が言っていたの、なんか今になって改めて納得している。でもってあんまりあの感じも好きではない気がするな。ちょっとメカニカルな方向に上手すぎるというのか。もちろん観たら降参って感じだと思うけれども…

インスタのリール動画とかを無為に見続けてなんとなく肌感覚でわかってきたけど、ジャパノファイル的な感じで日本はじめとするアジアの女性を萌えアニメキャラみたいに見ようとする人たちが海外にいっぱいいるな。そういうステレオタイプがある。

あとレイシストネタみたいなのもかなりウケてるね。「N…」みたいな。中国のコメディアンかなんかのいかにもステレオタイプっぽいシーンを日本人のものと思ってたり ああこいつらのナチュラルな感覚ってこういう感じなのかと…。
まあ日本のオタクなんかBLMがらみでマジで直球の差別してたけど。でもなんというのか、日本人のそういう連中ってまるで自分が名誉白人であるかのように黒人への偏見を口にするのが滑稽(なんて言ってる場合でもないが)なんだよな。むしろ俺たちも戦わなきゃいけんねんで。

そういうのは日本人のロックとかブルース観にも通じるものがある。前にひどかったのは、「黒人だけのためのJBのファンクを万人に開かれたものにしたスライ」みたいな記事。こいつの頭の中ではロックになる→俺たちに認められる存在になる というのが成功するということになっている。無自覚に白人中心のロック史観を内面化している、かわいそうなおっさん。

M-1とかのなんかみんな真剣に笑い取りに行ってる感じが意外と苦手なのかもしれない。なんか笑いきれない。

ふらっと入った本屋に「アコースティック・ギター・マガジン」があったので、先日アコギを買ってやや関心が高まっているのもあり立ち読みしてみた。なんか、全然知らないような日本人の変なソロギタリストがやたら出てくる。
アコギ業界ってのも日本ジャズ界とかと似たような偏った世界なのだろうなと思ったが、普通にギターマガジンに出てくるようなギタリストもそりゃはたからみたら誰だよって話だよね。

しかし勉強家のおれとしては、家でプレイの練習するわけでもなく、ハウスなりエレクトロニカなりの歴史や文脈を勉強するでもなく、毎週末ディグりに行くでもなく、家でMix作るでもない「DJ」っていったい何をしているのか甚だ疑問だ。

どこかのセッションでSeptember(まあこのバックもどうかと思ったが)でひたすらペンタ(悪い意味で使われる単語としての)のダサい高速(でもない)シーケンスフレーズをダラダラ繰り返す陶酔したギタリストを見かけてしまい本当にげんなりしたな。センスがないのはまあしょうがないとして、そんなにも曲に関係のないギターを自慰のように弾きまくって恥ずかしくないのか? 本当に驚くくらい音楽へのリスペクトがない。

キース・リチャーズの「ロックはいいけどロールはどうした」みたいな発言を引用したがる人はいっぱいいるが、意味がわかってそうな人は一人もいない。つーか、キースも適当に言ってるのではないのか。ここでいうロールはスウィングのことだろうと想像するけど、別に語源としては関係ないし。

日本においてグルーヴとかっていうのはほとんど都市伝説と化している。

仕事のできる、できないを誰にでも効果のあるけなし言葉だと思っている人はつまらないサラリーマン規範を内面化している。

「ブルースロックはブルースじゃないよ」という普通のことを言っている投稿に炎上的に反応が集まったりしているのをみるたびに思うが、みんな「ブルース」とか「ファンキー」を魔法の言葉か何かと勘違いしてないか?

funkyの原義が「臭い」だとして、「臭い音楽だから」「funk」になった。ここまでが正当な用法だと思うのだが、
さらに「ファンクっぽい」という意味での「ファンキー」という用法が生まれてしまっている気がする。(あえてカタカナで書いている)
ここまで来ちゃうともはや原語のニュアンスは失われ、ただの形式的な音楽用語になってしまう。

たとえばレビューに、私はおすすめ欄の有象無象に心をかき乱されたくない、どうかフォローだけのタイムラインのみ表示できるように選択可能にしてくださいという望みをいくら書いたところで、Metaの上層部に届くことはないだろうし、またそういう意見があったとしても黙殺されるだろう(おすすめ欄を強制的に表示した方がなんらかの数字が良いという計算が出ているなら)
そもそもユーザーの意見を聞いて改善しようみたいな感覚でこういう巨大なサービスは動いてないということをイーロン・マスクは教えてくれた。

「ビートルズの新曲から学べる教訓は二つあります」とビジネス話に繋げたnoteを長々と書く、どっかの社長…。ただそれ(作品)を感じることができず「教訓」を得ようとする風にしか受け取れなくなっているなんてあまりに気の毒だと思ったが、ひょっとしたら何でもかんでも評したり自分の演奏に取り入れようとか考えながら聴いてしまうことも近い領域に入っているのだろうか?

ポールの終活とか色々言われてるけど。デモテープと今回のを比べるとやっぱり原曲の良さというのはスポイルされてるかんじはする。ただそれを活かしていたらビートルズっぽさの再現が難しくなったのもわかる。

ブルースセッションに行ったとき俺の音楽人生は変わった!!みたいなことを無邪気に長文で書いてる人を見た。日本のブルースおじさんをブルースマンとかありがたがる奴はブルースを真面目に聴いたことすらない。

ブルースはお前のギターを素晴らしいものにしてくれる魔法のスパイスではない。

1時間くらい練習して、一昨日くらいにやった時よりはちゃんとわけがわかるようになってきてた。なんかおれ、日を置いても練習によって貯まった経験値が維持されるというイメージがつきづらくて、やるならその日のうちにやろうとしてしまう。そのマインドセットを変えたい。

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