2023.9.21(なんとか生きる)

今週はめっきり調子が悪かった。いろいろあるけど、やらなければいけないタスクがあるときおれはそれに手をつけられず、しかしそのことを片時も忘れることはできないのでどんどん気分が落ち込んでゆく。とりあえずやってしまえばいいのに。なんというのか、こういう時に思うことがあって、それは、自分はやらない、を選択してしまっているのだが、その理由をつけるために鬱気味になっていくのではないかということだ。鬱が先か、やらないが先か。正直どっちというわけでもないだろうが(両方あるのだと思うし)とにかくこういう解釈をしておくとまだしも早く手をつける根拠にはなる。やればいいのだという。

ここ最近は何かと理由をつけて日記を書いてなかった。もともと自分を啓発するようなつもりで書き始めたこの日記だけれど、そういう効能が得られなくなっていたというか。自分の考えが、寸前に書いた文章によって誘導され、最初は思わなかった結論にいたる。そういう経験を最近していなかった。先日友人と話したとき、彼はどちらかといえばそこにポジティブな方向づけをしているといったようなことを言っていて、ああそういうやり方があったなあと思った。

さきに自分を啓発するという言い方をしたけれども、そういえば日記を始めた今年の一月という時期は精神的にかなり沈んでいた。なのでこれらは自分から生み出される救いの言葉みたいなところがたしかにあった。あるいはもっとも身近な人間(自分)との会話であったり、今日の自分が何かを一つなした、という証跡であったり。とにかく一日スマホを見続けてしまうような日々に一つひび割れを作りたかった、そういうものだった。文章の品質だとか、どう読まれるかとか、そういうのを気にせずにとにかく書き続ける、継続する、という思想は、思えばそこから来ているのだ(もちろんそのアイデア自体は坂口恭平の影響が大きい)。そもそも自分が少しでも救われるために書いていたわけで。人に読んでもらえれば嬉しいし、面白いものになればそれだけやり甲斐はあるけど、でもそれはそもそもついでだったのだ。そのことを忘れていて、何か意味のあるものにしようと考えていたので、このところは書けなくなっていたのではないか。

秋が来る。もっとも、もはや夏と冬の中間地点でしかないような気候だけれど。毎年、秋のおわりごろから春先にかけてメンタルが落ち込むことが本当に多いので、すでに不安がある。

調子悪いのを気候とかに原因を求めるやり方を今年は覚えて、それで自分を責めないように多少できてきたけど、逆算すると天気が悪い日は調子が悪くなるというのを先にインプットしてしまうことになるので、それもうまくないなという気がする。たとえば冬はもう調子が悪くなるものだと思っていたら本当にそうなってしまうだろうし。そうなるともうほんとに、四季のうち三つは調子悪いことになってしまい、全快している時期なんてほとんどないことになる。この考え方もそれはそれで、転換してしまっておきたい気はする。

とはいえなあ。どうすりゃいい? Twitterみたいだが、身体を鍛えたらよくなんのかな。自分のコンディションの平均値を上げていければその分自分の能力そのものが向上するということになる。まあ単純にそう思う。ジムでも通おうかなあ。意外と近くにねんだよな。行けなくはない、くらいのところにある。


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