2023.8.20(『ブラック・ジャック』面白すぎワロタ)

土曜は祖母の米寿の祝い。途中で花を買っていく。そんなに大それたことをしなくても、こういうちょっとした手土産なんかが人を喜ばせる。と知ったのは前の彼女の家族との付き合いの中だった。そういうふうに自分の中にだけ向いていた細かい細かい神経を外に向けるだけでけっこう悪くないプレゼントなんかができるんだと気づけて、少し自分が好きになった。(これは就活のときカウンセラーにいわれたことだ)だからなんかあると手土産を持参するのが癖になっている。自己満足でもある。それはわかっているけど、相手もまあ大概は嬉しく思ってくれる。win-winではないか、と考えるようにしている。深く考えることもできるが、あまりしない方が結果的にフットワークを軽くできるとも、最近しばしば思う。

おれはここ数年でぐんと鈍感になったと思う。というか、ネガティヴな方向で過敏すぎた神経をなだめてきたというのが正しいか。人はこんなことを気にしない、とか、そういう処理の仕方をだんだん覚えてきた。といっても薬を切らしたりするととたんにとげとげしい自分が現れたりもする。どちらが自分か。どちらも自分なんだろうなあ。

鈍感力なんて言葉があったけれど…いまはまあ悪くないバランス(であるという保証もないが)だったとしても、このさき歳をとるにつれ、この鈍感さが加害性を持たないか、ということは心配している。というかいまだって何らかの加害性は持っているはずなんだ。でも、それを0にしようとするとかえって自分の人格が制御できなくなって、別の加害性を持ちうるから、なんかほどほどにしようってのもある。

日記に戻そう。そんなおれの試みがうまくはまったのか、精神安定のために持ち込んだギターが功を奏したのか、祖母はよろこんでくれた。ちょっとしたときに、ギターを弾いて適当に歌ってみせるみたいなことでも喜んでくれる人がいるならおれはやるのだな。まえはこんなので評価されたくない、みたいなのがあったけど。それに関してはつまらないプライドだったと思う。

母方の祖母は(これでもずいぶん弱ったようだけど)八十八歳になってもあんまり変わらず元気にみえるから大したものだと思う。昔から太極拳だ、テニスだ、料理教室だとアクティブな人だったけど。でも八十八歳という年齢は年齢なんだな。そういうことを、書いているいまはじめて意識する。そろそろ自分の人生の締めくくりも考えていることだろう。会いに行ってやらねば。

自分の年齢のことも考える。おれはいま20代も終わりが近づいていて、キャリアがなんとかかんとか、みたいなことも世間では言われている。これ前も書いたかもだけど、それでも今の気ままな暮らしはゆくゆく思い出して財産になるだろうと思っているから、マイペースにやっている。でもそれはそれなりに後悔は残さないようにしなくてはいけないのかもしれない。家族に元気なうちに会っておくとかもそうだ。

戻そう。そのあとひとりで出て、彼女の誕生日祝い。といってもプレゼントこそ用意したけれどいつも通りうちでのんびりして、近所のいつもより少し良いお店で夕食を食べて、またのんびりしただけだ。でもこんなことが、こんなことで許されることがいまはありがたい。ロマンティックでもないし、そんなに特別な感じもしないけど、でも都度きちんとした仕掛けをしなくてはいけないというプレッシャーを与えないでくれたことは有り難かった。まあ付き合って1ヶ月くらいで、よくわからないというのもあるだろうけど。

翌日。ちゃんぽんを食べに行くと「ラテンフェスティバル」という催しがやっていたので友人を呼んで見物したが、なんだか拍子抜けにしょぼく、文字通り毒にも薬にもならない演奏だったので早々に退散して友人宅へ。疲れていたのか互いにあまり言葉が出なかった。『ブラック・ジャック』を読んであまりの面白さに驚嘆する。近くの餃子を出す居酒屋に行ったがまあだいたい予想通りの今様の店。うまいけど何も感じない。うしろに文化とか積み重ねがないんだろう。飯を食べるつもりで二人でライスもかきこみ、ふらふら歩いて、また彼の家で『ブラック・ジャック』を読んだ。あまりに面白い。どの巻のどの話を読んでも。

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