Threads抜書き2024.9.27
採血でぶっ倒れちゃうんで毎回ベッドでとってもらってんだけど、さーーっと血の気がひいて視界がチカチカするたびに、おれ戦争なんか絶対行けねえなあと思うのであった
ブルースジュニアについて何日か調べてるけど、やっぱり改造にしても情報量がかなり多いし、請け負ってくれるとこも多い。やっぱ定番を買うメリットってあるなあ
イングヴェイはジェフベック嫌いだったらしいけど、それもなんかわかるな。イングヴェイはどこまでも端正ではあるから
なるほど。デフォルトのエミネンスのスピーカーを外した時、すげー重いなと思ったんだけど、ジェンセンに替えたらちょっと音圧感が減ってあっさりした音になってしまった。あのスピーカーは小さい筐体でも迫力を出しましょうみたいな設計でチョイスされていたのかもしらん
うーん。やっぱ別にスピーカーとかなんとかいじる必要ってないのかも。
結局そのアンプの分に合ったスピーカーがチョイスされているもので、変にいいスピーカー載せてもそのスピーカーの音になってしまうというか
ジャックホワイトがいつでもキメキメなのはほんと偉いよな
とうとうピックをマイクスタンドにつけるようになったのかと思ったら違った。ボーカルのディレイを操作してた笑
アンダーグレイトホワイトノーザンライツで「ステージでは自分に色々チャレンジを課していた。ピックを落としたらアンプのところまで取りに飛んでいかないといけないとか」とか言っててアホやんと思ったものだけど この人はほんとアスリートっつうか修行の人やんな わざわざ声にかけるディレイまで自分で操作するとはね
逆にいうとこの人のやりたいこと(できること)っていうのは本当にカチカチに明確で、そこからブレないように新しいものを取り入れようとするから意味不明になるということなんだろうな
まあある種身体性というか、エフェクターくらいのテクノロジーは全部俺がコントロールしてやるっていうパラノイア。それを外れるような(把握できなくなるような)テクノロジー(例えばテックにディレイは操作してもらうとか)は絶対に使わねえぞというところなんだろうな
そんなビックリ人間になるくらいならシンプルなままやればいいじゃんと俺は思ってしまうが、しかしこの人の異常なバイタリティはそれを許さない
ホワイトストライプスで普通にロックンロールをやりつづけてたらまあストーンズみたいに往年のバンドになってしまうわけで、それを自分には許さないんだねえ。だから意味不明な形で進化し続けようとしている
ラカンターズのインタビューでロックンロールの復権みたいなことを言ってたけど大真面目にやろうとしてんだな
単純にあいみょんの写真などを見たいためフォローしているあいみょんのファンアカウントが「中国で日本人の子供が暴行を受けた」というニュースをストーリーに何度か上げていて、特に何かコメントを添えているわけではないのだがなんとなくああとなってしまった
Threadsはスカッとジャパンのスカッと抜きみたいな投稿が多くて自分の感情を消費される
ただあり得ない人間がいたという話がされ、それにみんなで文句を言っている
性格悪くてごめんみたいなこと言う人は本当に自分の性格の悪さを受け入れているのだろうか
おれが大学に入った頃、つけめんが流行ってどこに行ってもあの変な筆文字の看板の鰹節の味しかしないつけ麺屋があったと記憶しているのだが、単に大学入って外食でそういうのを食べる機会が増えただけかもしれない。
日吉にあったあびすけっていうつけ麺屋の店主がTwitterでイキりまくっていて嫌いだった
3年くらい前、とにかく自分は素直がいいところである、友達への愛があふれてる、みたいな自己認識があって、やたらにそういうことをしていた気がするのだが、今にしてみると自己実現みたいなことに他人を利用していた面も否めんな
オモコロの寺悠仁、本当に専門性を持っていた頃のオタクの数少ない生き残りという感じで結構好き
被写体とか言うてるやつもそういう女の子を撮りまくってSNS上げてるカメラマンもなんなんだと内心思っている
裏垢男子と気分的に接続してんだよな
寺悠仁の記事読んでたら、アンプの改造できるくらいの電気回路の知識欲しかったなあとか思った
木工でギターを楽器として成立させるための物理と、アンプの音作るための電気知識だけは欲しい
ギター10年やってきて修理と調整はある程度できるようになってるから(ネックとか致命的なのは除く)
指板修正、フレット交換、すり合わせ くらいできるとジャンク再生すらできるけどそこまでやる必要あるだろうか。まあ必要なくてもやってしまいそうな気がする
ローリングストーンズは嫌いじゃないけど、本質的にはローリングストーンズやりたいやつがブルースやってますみたいなのはよくわかんないというか、それならローリングストーンズ本気でコピーした方が絶対直線だと思うんだけど(だってその二つは異なるものなのだから)なんかブルースやってますって言いたがるのだよなあ。
意地の悪い見方をするならば(というか、メタに見るならば)彼らはローリングストーンズをやるためにブルースを利用したいのであって、ブルースそのものをやりたいわけではないんだよ。もっと言うなら、白人ロックの「参照元」としてしかブルースを見ていない。自分たちもアジア人なのに、ロック中心史観(ロッキズム)を内面化している。まあそういう構造でこれまで回ってきたことこそが問題であって、その人たちだけが悪いわけじゃないが…。
もちろん俺だってロックも好きだし、ブルースをやり始めたのもきっかけはロックだったわけで、人のこた言えないけど。
まあ、自戒を込めて、自分は自分がすごくなるためにブルースを利用するのではなくて、ただブルースそのものをやりたいがためにブルースをやろうと思うのであった
まじで、どういうわけかジャガーの日はセミアコ弾いてもそんなだし、セミアコの日はジャガー弾いてもそんななんだよな。多分タッチがかなり変わってるんだけどあんま意識して切り替えられない
そろそろローリングストーンズを槍玉にロッキストを叩くのも飽きたというか、同じことばっか言うてることに気づいた
俺は自分の"義憤"に溺れがちなので、自戒の槍で諸共に刺してもらえるのはありがたいことかもしれない
瞑想とかも少し試したりしたんだけど気づいたら細かい怒りで頭の中がミチミチになってたりする。そういうのを逐一点検しなきゃならない
まあもうこういう短文で思いついた端から書きまくるみたいなのが生活に結びつきすぎててやめんの無理なんだよねほんとに
下北沢で久しぶりに「ガン萎え」という言葉を聞いた
俺が作って来た曲、なにかのパロディの体を(自分の中では)取りながらにして普通に奇曲になる という所があるので まずそれらしい曲を作ろうという自我があらゆることを邪魔してるんだろうなとは思う
人になんか言いたくなるのは自分のある部分を投影しているから というのは最近つとに思う。
他人を鏡にして、それを殴っている。
結局実践のことにしか興味がないからライターが向いているかというとあんま向いてないかもしれない
やっぱりどうしたって、実感として理解しようともしてない人が「グルーヴ」とか「アンサンブル」みたいな言葉で音楽を論じることには空虚さを感じざるをえない
だから意味がないというより、役割が違うというか。ライターにはライターの表現の仕方があると思うんだけど
音楽ライターにプレイヤー的な視点は求められない、と先輩は昔言っていたが、まあそれはそうで、プレイヤーが書いてもプレイヤーの書きものにしかなんないんだよね。逆に本業のライターがプレイヤー的な語彙を生わかりで遣ってるの見ると「おいおい」と思うという話
プレイヤーの書きものにはそれはそれの意味があると思うけど(たとえばギターマガジンのような専門誌においては)
ブルースとかそういう狭いジャンルの書き物というとどうしてもディスクレビューとか、クレジットがどうなってて的な知識の話か、あるいはプレイヤーの書きものか、になりがちで…いや、それがむしろ普通なのか?あんま読まんからわからん
俺みたいにシカゴ・ブルースの「正解」に近づくためにやっている、という人間にとってはできるだけ一次情報の方がいいわけで、その場合においてはライターっていうのはどちらかというとそれの仲介者になってしまうんだよな
攻撃態勢入った時は結構反応早いんだけど、合わせるモード入ってるとパッと反応できないことは多い
多くの日本人は歌が上手いということをカラオケが上手いとほぼイコールで考えているのだろうね
昨日レコ屋で聞いて思ったけどやっぱCornell Dupreeのギターは知らん曲であってもわかるな
Jacob Collier。あんま好きじゃないタイプの人たちにあまりに「天才」「変態」扱いされてて好きじゃなかったんだけど、この人本人はもちろんそういうしょうもないレベルにいなくて、音楽を愛してるんやな。
弾き方、右手のタッチ、っていうのは短期集中で「修正」できるもんじゃないってのを最近の経験で知ってる。まず耳がその出したい音を認識して、そのイメージが徐々に徐々に右手という出力に影響していく(で、いつのまにか当たり前になってる)という順であって、逆、つまり出力を一気に無理やり変えることはできない。
まあちょっと前は手の動画を集めたりしたし、それはそれで自分の「弾き方」のクセの外のものをいっぱい見る=入力することでだんだん固定観念を取り外していくことには役立ったかな。とにかく、即効性のある「研究」はない。
まあもちろんそれでも研究はしなくちゃいけないというか、広い意味での情報を集めたりそれを出力する工夫したりは続けていくことになるんだけど(それはほっといてもやるので)、なんというかそれが結果になるまでの流れは、やってる間にイメージしてる感じとは少し違う。調べて、弾き方変えて、「これだ!」って感じじゃない。いつの間にか弾き方変わってて、いつの間にか出るようになってる、そんな感じかも。
まず昨日師匠とギター弾いて、俺の出音と彼の出音が全く違う、とうぜん弾き方も違う、ということにあらためてショックを受けたわけだけど、それが自分の出音に影響した結果が出るのは、まだ少し先
しかし先日界隈の中では確かに上手いけど嫌われてるおじさんと飲んで、「俺上手いでしょ?」って言い続けるむなしさをすごく感じてしまった。そういうこと言ってると演奏良くてもチープに見えてしまいますね…、まあ、色々話してて底が見えてしまったのが大きいけど。
あのおじさんの性格の悪さはあんま他人事とも思えないとこがあって、気をつけようと思った
俺が師匠に会わず、つまりブルースのやり方を知ることもなく、ただただセッションに通う人になってたらあのおじさんみたいに酔っ払って悪態ついて店出禁になって、それでも俺はすごいと言い続けて、な人になってしまったかもしれんと思うとおそろしいよ。
あいみょんかわいーとか言うてたけど、直球で行きずりのセックスの後の後悔みたいなのを歌っちゃう感じの曲があることを知り(純潔でいてほしいとかそういうやつじゃなくて、クリープハイプが苦手なのと全く同じ理由で)結構苦手になった。
そんなに初期の朴訥なシンガーソングライター的なイメージが好きだったわけではないんだけど(今のおしゃれな感じの方がタイプ)とはいえ、その初期の感じ「あっての」みたいなのは意識にあったのかなあ。
ES-340もずーっとフレット低い低い弾きづらいと言い続けて来たけど替えなくてよかった。なんであんなに弾きづらいと思ってたんだろうと思うけど左手で適当にタラララと手癖で弾くのが当たり前だったからだ。一個一個の音をちゃんと弾けてれば低くったって問題ない。
恐山は年々「自分はADHDで発達障害なんだなあ」という自覚をはっきりさせて来ている気がするので、オモコロファンにありがちな「ドジっ子」みたいなイジりは次第に問題になるだろうな。
とはいえ「ADHDの人」という枠を与えられるのと、そういうキャラで消費されんのとだと、どっちが本人としちゃ居心地いいんだろうか
横になったりしてると揺れを感じて、ん、地震かな?と思うんだけど、自分の心臓が揺れてるせいなのかわかんなくなったり、そういうことが最近よくある
ブルースやってる奴よりメタルやってるやつの方が真面目に練習してる
聴力検査、毎年「もっとやらせてくれ、もっと俺の力を細かく測ってくれ」と思う
あんま痩せる!!という勢いでやらず少なくとも健康に生きられるように日々の食事くらいは把握して、あわよくば痩せよう
いわゆるビザールギターって結局のとこ良くはないのよな
日本製はまあだいたい。しょぼいというか密度のない、拡散しちゃう音というか。ピックアップもパワー無さすぎていつもカリカリ。
廊下の天井に死んだまま張り付いてるカメムシが実は生きてて、いくらほうきとかで払っても俺の部屋に入ってくる というの、夢だったんだな 今朝の
おすすめにモヤモヤした…こんなことがあった…って投稿が流れまくるの嫌なんでミュートワードに設定したい(する)けど前にやったら意味なかったんだよな
1弦が切れた!と思ったらボールエンドのとこのよじって固定してあるとこがほどけてた。何ヶ月も張りっぱなしだとそういうこともあるんだ…。ギリギリチューニングはできるけど音はペンペンだし、バラの1弦もないし、なんとなくそろそろ替えようかなと思ってたとこでもあるし久しぶりに全部替えるか
久しぶりにフレッシュな弦(つってもフェンダーのピュアニッケルなんで、割と落ち着いてる方だけど)をそのまま張った(普段はギラギラすんのが嫌だからリップクリーム塗ってから使ってる)けど、別に元気あっていいな。ただフレットの音がする、これは避けられない
三茶の四文屋、布施明の次にマイケル・ジャクソンが流れてて意味がわからない
秋は自意識の暴れとかは少なくて自分自身は生きやすいコンディションと言えそうだが、とにかくさびしくなりがち
夢の中で、相当小さい昔の携帯型テレビにプレステ1を繋いだりビデオを見たりしたんだけどなんかあれ良かったな可愛くて
結構最近匂いをかぐことを「匂った」っていう人多い気がしてて、そんな使い方なくない?といちいち気になってしまう
呂布カルマ腐すために唐突にヒップホップを語りだすオタクは滑稽というほかないが、言うてもいわゆる一般人の音楽ジャンルへの解像度ってあんなもんかあんなもん以下だよな(知らないのが悪いのではなく知らないのになんか言うのが悪いのだが)
先日会社のプレゼン大会で役員のおっさんが「妻は、このとおり美人だと思うんですが」「看護師なので医者相手にバトルして結婚しました」「3000万使いました」「向こうの家もものすごい金持ちで」と、本当にトロフィーワイフってこういうことを言うんだという発言の連続ですさまじかった
車でも買うように、大金叩いてヨメを手に入れた、と平気で言う神経が、さながらフィクションのようだった
「〜でしか得られない栄養素がある」まあ、いいたいことはわかるしうまい言い換えも思いつかないんだけど、それにしても「構文」すぎて、よしなよ、と思ってしまう
誰それと共演したとか自分はなになに派だとかはすべて政治活動の類であって、音楽そのものとは関係がない。
もちろんその過程で学ぶことがあればそれは音楽に活かせばいいし、自分がやりたい音楽をやっている人に出会えればその人と演ればよい。けれど政治活動そのものがわれわれの音楽を深めてくれるわけではない。目的と手段を履き違えてはならない
まあブルースに関してはね。アメリカのヒップホップシーンの最前線で誰それと絡んだとかはそら意味あるでしょう(自分も同じレベルにいるなら)。でも、日本のブルースシーンみたいに、俺含め誰も出来てない状況で、できない奴同士でポジションを取り合ってなんになるのか
絵画教室の先生に電話して個展伺いますと伝えた。声を聴く限りだとほんと矍鑠としておられて、電話を長引かせるでもなくほとんど昔と変わらない感じであった。うれしいね。
しかし母方の祖母とほとんど同じ喋り方、口調はもとより発声までおなじだった。あの世代の品のいい人のよく通る声。祖母にも電話してあげたくなってしまった。するか。
おばあちゃんに電話した。こんなことで喜んでもらえるんだ
彼女の惚気を話すことで「私はあなたにとって有害じゃありませんよ」という表明をしていた記憶がある
簡単なポジショントークで「この人は善良な人なんだ」と思わせるくらい、あるいはそれを「なーにを言ってんだか」と見てしまうくらい、男性というのは、あるいは俺は、醜悪な本性を抱えているのだろうか?
俺の好きなスラングで「I don't give a fuck」というのがあり、まあ「興味ねえ」みたいな意味だと思うんだが、当然感じが悪いので使う機会がない
会社員であるというのはキックボクシングにまったく興味がないのにキックボクシングの作法、ルール、技術を教え込まれ、それに積極的でないと「お前キックボクシングやってる自覚あるの?」と怒られる、そういったものだな
まあそれで金もらってる以上はそれなりにやらなくてはいけないのはわかるが、それにしても、ある町道場の中でだけ一生懸命キックの練習をして、その中でだけ認められることで1ヶ月で5000円ほどの昇給が見込まれる、そんな状況で誰がまじめにやるだろうか?
俺の人生は常にそういう一般的な仕組みのアウトサイドにあり、アウトサイダーとしてほどほどにやる、ということを内面化しすぎていて…
先日、あまりに急に秋だったので、今一緒に遊んでいてくれる友達がみんな「人生のステップ」を先に進めて、全然つきあってくれなくなる、というイメージに襲われてしまい、
だからひとは家族を作るのかと思ってしまった。でもそれは恋人にも友達にも失礼なことであったかもしれない
一晩で一万円くらい飲んじゃったらしい。
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