Threads/X抜き書き2024.2.27

赤坂で晩飯食おうと見てるけど。なんか嫌な街だな。感じが良くない。おっさんたちが他の街以上にふんぞりかえって歩いている気がする。

こういうの観るとYMOが海外でも評価されたつっても何割くらいオリエンタリズムなのか考えちゃう。

母に、「日本の何でもかんでもアメリカ白人を「ネイティブ」として発音ならなにやら矯正するような英語教育のありかたは植民地主義の追認ではないか」と話したら「まさにその通りで、私があなたに教えたのはそれでも現状英語を覚えていた方が有利だからにすぎない」と返された。

3PUのレスポールカスタム、結局3wayでミックスポジションはフェイズアウトなのだから、普通のやつをフェイズアウトで繋げばだいたい同じだよなあ。

レスポールずっと弾いてたからかセミアコもええ音で弾けるようになった なんかこういうことよくあるんだけど…ギブソン系とフェンダー系はほんと違う楽器だなあ。鳴らし方とかレスポンスの感覚が違いすぎる。

こないだレスポールの010からのゲージの1弦が切れちゃったので余ってた011でいいやと張ってみたけど、別に問題ないし、なんならいつも感じてた1弦の音の弱さみたいなのが解消されて普通に良かった。

009とか弾くと繊細すぎて難しい。音を膨らませないといけないんだが、そのためのタッチの強さが弱すぎるし、割れるポイントが早すぎる。

レスポールの磁石の向きもとに戻して普通にフェイズインのトーンにした。フェイズアウトは他の普通のポジションにくらべて音量は小さすぎるしトーンはキャンキャンすぎる。テールピースを思っきし上げてフェイズアウトにした時のトーンはかなり怪しくて良いんだが、それやるとリアやフロントはルーズすぎて使えなくなる。

全体のバランスとして、尖らせるならいいが、いまいち普段使いに向かないという判断…。そういうのをコピーすることになったらまたPUばらして反転してテールピース上げればいいし。

どっちかというとタイト気味にした方が個人的なフラットな地点という感じがする。前はとにかくルーズにした方が弾きやすく感じてたが、そうすると各ポジションで差がなくなったりしてギター使い分ける意味なくなるのよね…。

now and thenも出し、ベースも帰ってきてポールの人生のエンディング感がいよいよ増してきた。

個人的にはせっかくいいイヤホン手に入れたし、練習のためにもいろんな帯域聴こえたりとかした方がなんかいい気がするから最近は🍎メインに聴くようにしてるけど、なんか🍎の方が音質いいとか言ってる人の「音楽好き」っぷりのしょ〜もなさみたいなのもなくはない。

年明けに父と妹と飲んだ時、父が「お前と子供の時もっと遊んでやればよかった」と言っていた。俺はただ自分が忘れただけだと思っていたのだけど、そういう感じだったらしい。父は当時起業したばかりで忙しかった。いわれてみれば父の書斎はいつも空いていた気がする。

父がそういう感じだったり、母の病気が発覚して精神的に不安定だったりでおもいかえすとあんまり居心地のいい環境ではなかったのかな。俺が家にいるのがはっきりいやになったり、ネットの友達関係に耽溺し始めたのは中学くらいの頃だったと記憶しているけど、ひょっとしたら子どもの頃の俺はそれなりにいろいろなものを抱えていたのかもしらん。しかしとにかくあの頃は自責思考が強かった。

おれ自身こそ過去のものとして扱ってはいるけれど、高校大学とかけてかなり家族との交渉を断とうとしていたおれの印象というのは後悔として親の中に残っているのだろうなと最近肌で感じることが増えた。

今でこそ普段はないものとして振る舞っているけど、とにかく「自分は人並みのこともできない」と強烈に不安だった。初めての相手へのコミュニケーションとか。仕事や勉強といった手続き一般が本当にできなくて、その不安にいつも苛まれていた。

そういうのを最近は忘れて生きられるようになってきたのはまあ良かったのだろうが(薬のおかげもあるが)しかしあの頃どうしようもなくつらかった自分のこともたまに思い出して大事にしてあげないと(今後の自分のためにも)いけないのかもしれないな。

かつて当時の恋人にこういうことを言っていると「過去にばかり原因を求めて変わる気がない」みたいなことを言われ…まあ、そうだし、そんなこと聞かされてうんざりさせたのは申し訳ないけど、そんときはどうしようもなかったんだよなあ、と思う。

これドラムが間違えててメンバーがずっとキレてるってコメントで指摘されてんだけど、何がおかしいのかいまだにわからない。

と思ったら1テイク目でトチって、2テイク目(これ)でもまだ怒られ続けてるんじゃないかってコメントあった。なるほどね。

英会話カフェに4時間滞在してずっと英語喋り続けてる。

Twitter見てて「クソアコギだから治した」って他人が上げてる画像のギター見たらビフォーの段階で俺のより普通に弦高低かった。

英語を学ぶということ…ことに、日本人のいう「ネイティブ」発音が、ほぼアメリカ白人の英語に限定されていることのファシズム性というか。そういうことを最近考えてる。英語の発音練習してる過程で。

さわやかのハンバーグは美味いが、普通にしっかり火の通った部分の方がうまいと感じてしまう。しかし、生涯で1,2回しか行ったことないのであの焼き方でしか食べたことがないし、今後行く時もせっかくだからとあの焼き方で頼んでしまうだろう。俺は「せっかくだから」に弱い。

会社の最寄りの喫煙所の入り口に木が生えており、入る時には頭を下げなければならない。千利休が作った喫煙所なのか?

直感的に、杉田水脈の顔というか表情にあのねじくれた悪意が表れていると感じてしまうのだが、これもルッキズムかな…。

最近渋谷に行くといつもハチ公前に記念撮影の観光者の列ができているけど、言うたらただの小さな銅像なわけで、海外の人からしてなにか面白いことがあるのだろうか?たとえば有名なアニメで登場したとか。

英語を勉強したくなかったのは勉強をつまらないものだと思い込んでいて、つまらなくなければ勉強じゃないからつまらなくしようしようときていたというのもあるな。
しかしあれ、英語は勉強しなくてもできるっていうのがちょうどプライド保ちやすいラインだったのかもしれん。実態は、rとlの発音の区別すらついていなかったのだが…昨日からアプリで勉強はじめて、それにやっと気がつくことができた。

引き続きストロークスの「Soma」を録っていたのだが、例えばギターのタイミングを変えて弾いたあとにベースを録りなおしたりすると、ベースのタイミングの解釈も変わっちゃうっていうか…結局、各パートの真ん中はどこかを考えながらやらないとごちゃごちゃになってしまう。で、なったのが今。

こういうプレイを「歌うようで素晴らしい」と考える人は多いかもしれないが、そもそも 歌でこういうトリッキーなフェイクをやってる人が居たとして、良いか?

「歌うように弾け」というのは、「メカニカルに弾きすぎるな」とか、「メロディやニュアンスを大切にしろ」とか、「自然に湧いてくるものを弾け」というのを一言に縮めた標語のようなもので、本当にここまでやっちゃうのはなんか転倒しているような気がする。

過大評価されてるブルースロックギタリストは誰?ってスレッドに、「ボナマッサ。フィーリングも何もない。SRVは全部を持ってる」つってるやつがいて、まあそういうのがいるのは承知しているけど、はいはい、という気持ちになった。もちろんどっちも嫌いだ。

しばしば昼飯を同期の女の子と食べに行くんだけど、飯出てきたら二人とも無言で食べるし、そのほかでも大した話するわけでもないのでなんのためにわざわざ行ってるのかよくわからない。

ライフワークとか趣味というものにはある程度メカニカルな練習要素もあった方がいいのかもしれない。文章みたいに、自分の内心からのラグが少ない形態では、メンタルが悪く振れたときに表現するとそのまま出るし、それが内心のネガティブな感情を増幅してしまうことすらありうる。楽器には基礎練やコピーがあるし、絵にはデッサン練習とかがある。それは内心と出力に距離があるだけに、やってるうちに平常に戻してくれる効果がある(まあ、落ち込んでると弾く気にもならないのだが…)

ストラトを弾くとおれでさえ(俺みたいなやつだからこそ、かもしれんが)「ストラトっぽい」スタイルになってしまう。ストラトを検討していた時期はそれがおもしろいというか、なんだか上手くなったような気がして欲しかったけど。ジミヘンとかそんなにガッツリ聴いてきたわけじゃないのにそうなる。いかに彼以降のストラト弾きが彼の延長でギターを弾いているかってことかな。SRV、ジョンメイヤー、フルシアンテ…。
ジミヘンのスタイルっていうのは俺からすると流麗というか、とにかく流れるようなスタイルで。それはソウル・R&Bから来るものだと思うけど。一音が強くないからそういうのがやりやすいのだろう。
ジミもRed Houseみたいな「彼なりのブルース」をやる時はSGとかV使うからね。単にアルバートキングの真似なのかもしれないけど、なんとなくそこはモードの切り替えみたいな意味があったのではないか。そういうふうに考えると、おれはストラト弾きではないんだよね。ストラト用のカードは持っているけどメインではない。なんせストラト弾きで強烈に好き、という人はいない。基本的には「取り入れる」ために聴いてきた人たち。

ワウ。あんまりちゃんと練習したことはないんだけど、録ってみたら・普通に拍に合わせて踏む(あんまやらない) ・エンベロープフィルター的な感じで1音1音に合わせて踏む ・フレーズの強調したいところで開く ・フェイザーのイメージで、フレーズと関係なくゆっくり開いて閉じるのをくり返す みたいな踏み方を自分なりにやってるのがわかった。

ワウ踏んでソロ、みたいなことは別にそんなにしなくていいかもしれない。どうしてもジミヘンっていうか、あんまかっこよくないロックっぽくなっちゃう。

ワウ踏むとなると個人的にはギブソン系の方が楽だな。ピーキーになりすぎないし意外と踵側の低音もブーミーではなく元々ある低音が豊かに聴こえる。なんか、前にファンク系のバンドをやってた時に思いの外ストラトがしっくりこなかったのと似ている。

自分の中の「ファンク」サウンドの中にはストラトの音ってあんまりないのだろうな。好きな時期のJBは箱物とかだし。MetersのNocentelliはStarcasterだし…Chicそんな聞かんし…。

世間のストラトーワウーファンクのイメージって、かなりな部分ジミヘン→ジョン・フルシアンテから来てるんかもしれん。

俺の場合テレキャスターだけど、フェンダー系にワウ踏むと、なんとなくジミヘン的なプレイに引っ張られるし、あんまそれは本意じゃない。

しかしクラプトンがミッドブーストかけてストラト弾くの、ほんとなんか良くないなという気がするな。元々弱い音を中域ブーストして狭めて。あの人は(別にメロディックなギターを弾くわけではないのだが)ラインの人なんだろうな。非常に二次元的な、ひとつながりの線のようなギターを弾くイメージ。フレーズの捉え方がそうなんじゃないだろうか。そりゃ機材揃えてエルモアやってもあの感じにはならない。

そういう意味ではペイジとかベックの方がまだ変な捉え方をしていて面白い。

カーリースみたいなサービスに対して「自分の車を人に貸すなんて愛が足りない、そんな奴は車に乗るな」ぐらいの反応が集まってて「いつの時代?」と思ったけど、まあ俺も自分の弾いてないギターをサブスクレンタルサービスに登録なんて絶対したくないしそれと同じか。

高いしね。車って。前に旧車屋のおじさんのYouTubeを観てたら、昔は自分の(子供)部屋なんてなかったから車を買ったらそれが自分の部屋になったんだ、だから友達乗せる時も靴脱がせたし…つってた。それはたしかに想像しなかったなあ。

麻生太郎が成人式で「これからは犯罪やったらニュースに出るから…」つうのも、若い奴らに体のいい奴隷でいて欲しいという精神性に通じるものがあると感じてしまうが、こういうのを「社会の現実」みたいな感じでありがたがるやつというのもいるだろうな。

鰹のたたきって、まあうまいけど、めっちゃ好きではないかもしれない。

吉田兼好の頃にはカツオは下魚といわれあまり食べられなかったという。

ブルースならともかく、ファンクやジャズファンクで言いたいことあんまない気がする そもそもそんなにソロを聴いてない。

世間でいうクランチが、俺の中のそれの2倍くらい歪んでて毎度驚く。

昨日思ったけど、俺バッキングうめ〜。あと右手のトーンのコントロールが自分で言うのもなんだがほんと大したもんだと思う。逆にフラットに弾き続けるみたいなのが苦手で、それはそれで弱点なんだけど。

おにぎりを歩きながら忙しなくたべたら食道に詰まって、お茶とか持ってないからひたすら耐えてたら身体の反射か何かでちょっと吐いてしまった。

太って体力なくなってから階段で転ぶリスクというのを無意識に考えてしまい、ふだんなら階段で行くところ雨だからとエレベーターを使った なんかこういうところから老いが始まるのかという気がする。

PERFECT DAYS観てないが、褒めてる人の感じがおおむね…。

ByrdsやBeatlesの印象が強いので12弦エレキギターといえばRickenbacker(あるいは天国の階段のFender Electric XII)キラキラした音、というのが概ねのイメージになってると思うけど、GibsonにもES-335の12弦バージョンとかあるわけだよな。まあそもそもオクターブ上の副弦だからキラキラはするんだけど、ギター自体の音色が落ち着いてたらそれはそれで面白いのでは。

ビリー・アイリッシュもパレスチナについては何も言ってないのか。

たとえばギターオタクがハードオフの値付け担当になって、ジャンク価格にしつつあとでこっそり自分で買い取るみたいなことは可能なのだろうか?

あ〜「明日は出社だから寝るまで有意義に過ごさないと…」という焦りによってかえって何もできない時間に入ってしまった。

雑念だらけだが15分瞑想をした 頭の中を空っぽには全然出来ないけど、単純に15分深呼吸をしているというだけでそれなりに身体にはいい気がする。

中学の頃都市伝説程度に読んでた飛鳥昭雄(恐竜は哺乳類だった!とか言ってた人)、いまとんでもないヘイト本出してるらしく、なんというのか、ハローバイバイ関が陰謀論をガンガン流すのと同様、ちゃんと勉強しないで裏へ裏へ真実があるみたいなことやってると結局そういうのに絡め取られるんだな。

ジミー・ペイジがセッションマンをやっていたと言ってもそもそも当時のイギリスにはああいうアメリカ由来の音楽の積み上げが当然ないわけで、Charが若い頃スタジオミュージシャンやってましたみたいなもんだろうと思う。極端な例えだけどファンクブラザーズとかStuffみたいなのとは違いすぎる。

VIVANTが海外でウケなかったのは海外の人の倫理観が発達しているからというよりたんにつまんないからなんじゃないかという気がする。前に先輩に勧められてAmazon Originalの「高い塔の男」ってドラマを観たら、敗戦してナチスと大日本帝国に分割統治されてるアメリカで、アメリカ白人のレジスタンスが活躍するという内容で、その恐ろしいくらいのステレオタイプ描写(例えば日本の政府高官が占いで政策を決めるみたいなシーンがある)それこそトランプが当選するような時期に「余所者からオレたちのアメリカを取り戻す」という内容のドラマを作って公開していたっていうのが凄いなと思った。「高い塔の男」っていうのはレジスタンスの謎のリーダーで、そいつが作ったフィルムをアメリカ人が観るととてつもない愛国心に目覚め(嘘だろっていうくらい涙を流しながら何度も見返す描写が入る)レジスタンスに参加しないと気が済まなくなるっていう、笑っちゃうような設定。まあそもそも面白くないし、そんなのを観る奴は向こうでもネトウヨ的というか、田舎の白人至上主義者くらいなんだろうけど、少なくともあっちでウケないのは政治的に正しくないからというのはアメリカ人に期待しすぎだと思う。

やっぱりフーとかがギターを破壊するの、「もったいないなあ」としか感じないな。

ちょっと前まで、デスノートあったらこの(政治家の)名前書いちゃうだろうな、とか考えてて、それゆえ「まあ最悪殺せるしな」みたいな現実と乖離した楽天的な気分すら持っていた もちろんデスノートは持ってないのに。

母とか、父とか、妹とそれぞれ話す分には面白いこともあるのに、四人揃うと途端に「福地家という社会」になって、めちゃくちゃつまんなくなる。

友達と軽くセッション的にギターを合わせてたのを見た従兄弟が「いいなあアドリブできるようになりてんだよな」みたいなこと言っていて、なんとなく考えてたのだが、なんだろう?やっぱりジャズとか(まあブルースもそうなんだろうけど)、そのジャンルの型というか雰囲気みたいなのがあって、その「感じ」が出てればわりとちゃんとそれっぽく聴こえるんだけど、ロックとかだと良くも悪くも「音楽的」でない演奏もアリになるし、そういうなんだったら無法地帯みたいなものを参考にしてアドリブするって逆にむずいとこでもあるんだろうな。

ロックのギター弾くアマチュア(のうち、センスと信念がない人)は大概機材と教則本ジャズに向かうけど、それってある種、ロックというジャンルに(これまた良くも悪くも)正解がないということからくるのだろう。まあ従兄弟をクサすつもりは全くなく。ただ彼がアドリブをやるとしたらどういうことから始めるのが良いのかな?と考えてた。彼が好きなペイジのライブ盤のソロからフレーズをいっぱいコピーするとか、そういうところからではあるのだけど、しかしどういうセッションにおいてそれをパッケージするのか。ペイジのギターもやはりレッド・ツェッペリンの楽曲というパッケージの中でいちばん輝くものであり、そこから外に持ち出すと、「なんだ?」ってなってしまう。ブルースとかジャズっていうのはある意味ではジャンルそのものが一つのパッケージなんだな。

そもそも流行りのバンドとかアーティストというやつを追ってきたタイプではないのだが、それにしても今回のサマソニは全然わからない。年々わかんなくなってきてる。

ビンテージとプレイテックをケンパーに突っ込んでオケに混ぜたらほぼ同じ音だった みたいな投稿が流れてきたのだが、なんか、そういう使い方と捉え方(聞こえ方)をするなら本当にプレイテック使っててくれよという気持ちになった。

なんかね。ビンテージ神話へのカウンターになってなくねえかっていうか、そもそもそういう解像度の低さでやってるから意味もなくビンテージ買ってるんちゃうんかっていうか。

楽器をケンパーに突っ込んで素人がマスタリングして作った音源をヘッドホンで素人が聴いたらそれだけ体験として目減りしてるわけだから、そりゃたいして違わないと思う。俺でもそうやって作られた「音源」聴いたらわかんないと思うし。

まあ意味なくビンテージ使うことには(自戒も込めて)否定派だけど、意味があるかないかはどちらかというと使い手の責任だからなあ。

大学時代、つまり一番ギターを弾いていた頃は「ピッキングの"矯正"というのはナンセンスである、自分の欲しいトーンよりメカニカルな弾きやすさを優先するのは本末転倒だから」と考えてたのだが、最近はなんだろう、結局頭で考えると間違った方向に進みがちだから、フラットに戻す作業も必要でありつつ、自分の欲しいトーンの追及もしなきゃいけないというアンビバレント…でもないか。まあそんな感じで考えている。なんだろうね。いまも自分のやりたいことを手放してお仕着せの「速弾きができるようになるピッキング」とかに最適化するのはおかしいと思うけど、しかし自分の考えた「欲しいトーンの出るピッキング」も、考えれば考えるほどそのトーンから遠ざかる、ということも思う。

①耳で聴いて、②そのトーンを頭で解釈して、③そのトーンが出そうなピッキングに修正する という作業があるわけだけど、①-③は本質的には伝言ゲームなんだよな。

②③で間違うことが往々にしてある。だから一度リセットしなければならない。

先に書いた、「自分の欲しいトーンよりメカニカルな弾きやすさを優先する」という文においては、教則本とかを見て③だけをやることを想定しているので、この「リセット」とは意味が異なってくる…と思う。

うーん、あとでnoteとかにまとめよう。

思うに、「いいと思った音を聴く」「それはどうやって出ているのか解釈する」「その解釈のもとに出力(身体を動かす)する」という3ステップがあって、その3つの間に常にラグないしノイズがある。それによって生まれるのが「(往々にして悪い)癖」。

自分の言うところでいう「リセット」や「矯正」はそのラグによって生まれた「癖」を抜くこと。
対して、世で言われる「矯正」は、教則本とかギター講師の価値観を内面化することで、三つのステップを全部すっ飛ばしてしまうこと。それは良くない、と自分は考える。それでは何のためにやってるのかということになるから。

アドリブとかもそうで、結局「何を言いたいのか」がないのに理論勉強したりとかYouTubeのリック集を練習したりとかするのは、言いたいことがないのに英語の文法とか単語の練習をするのと同じ。同じではないか。理論≒文法なので…。外国語の勉強とアドリブの勉強が完璧に対応するわけではないのでうまく表現できないのがもどかしい。理論とリック「だけ」に頼ったのでは、では語法やニュアンス、アクセントをすっ飛ばしてしまう。

でもこれは、そもそも俺自身が音楽をやる目標を「(たとえば)50,60年代のブルースマンのように表現する」と設定しているから、という部分もある。何が正解かっていうのは結局設問者の意図次第か…な。

現代における「音楽理論」とか、「"正しい"」アドリブ、というもの自体がある思想や属性に基づいてはいる。まあ、でも、それ自体にも自覚的であるかどうかみたいな話もあるが。

レスポール弾いてたらセミアコもいい感じで弾けるようになったので、ああ俺はギブソンの身体になったかと思っていたがいざテレキャスターを弾いたらそれはそれでいい感じで鳴らせた(調整が違って弾きやすくはなかったけど)。基本的にあるギターに身体が慣れるというのは良いことではあるのだけど、それはそれで癖がついてフラットな鳴らし方から遠のくということでもあるので、煮詰まったら他のギターに手を伸ばすのもそれはそれでありなのかもしれない。

昨日連ツイしたこととも関連するんだけど、瞑想とかやってみるのもいいかもしれんな。ジョン・フルシアンテが瞑想するようになってからギターの練習の質も飛躍的に向上したと言っているような感じで。多分、頭で考えたノイズを一度取り払って身体的な感覚に立ちかえるみたいなことだと思うんだよな。

モチベーションが湧かないと練習出来なくて、しかしそれがないのに無理矢理自分に何かを課すのは苦痛にしかならないので、どうしたものかと思うのだけど…自分の本心というか性質そのものをだんだん変えていくしかないのかな。たとえば体力をつけるとか。

父のふるさと納税で箒を送ってもらって気づいたが、「掃き出し窓」というのはまさに掃き出せるから掃き出し窓なのだなあ。

俺の素の感性はけっこう東方MADとかそういう「かっこいい」演出に感応するところがあり、自意識の形によっては俺はブルースなんかやらずに普通のオタクになっていたんだろうな。まあ、スリザリンは嫌だと言っていたハリーポッターに組分け帽子が言ったのと同じですかね どうなりたいかが大事なのだと。

結局意識高いにしろ思想強いにしろ「私は考えたくないし、考えさせようとしてくるな」ということでしかなく、普通に考えてそれがわりと支配的な空気なのは終わっていると思う

おふろためるとそれまでの時間が区切られるからその間本読もうかなとか思えるのはいいな。なんかしらそうやって時間を区切るのはなんらかのコツなんだろうな。よく言われることだし、なんとなくわかってはいるのだが…。

「クズ」とか軽いノリで言える人マジでなんなんだろうなあ。俺すごい嫌いなんだけど、それって極めて社会的なものを内面化してるように聞こえるからかな。

ブラックラグーンを観ようとしたことがあるが、声優の演技であのキメキメのセリフが連発されるのが耐えられなくて5分くらいで視聴をやめた。

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