2023.5.12(ガリ勉)

昨日はばりばりやったんで、今日はのんびり過ごそうと思ったが、けっこう面倒くさい作業が残っていることに気づいた。故障PCの交換。もうこういう事務みたいなことが面倒でしょうがない。そういえば家族の用事も放置している。事務だからだ。事務は面倒くさい。コピーバンドで曲を覚えるのも、決め事をやるのもだいたい事務だ。おれは仕事でももっとグルーヴとか、本質的なことを考えていたいよ。いたいか?まあ、楽しいなら。

このあいだ「サラリーマンやってるとみんながサラリーマンごっこをやってるように見えてしょうがない」という話を聞いた。まあじっさい、なんでこんなに無駄な処理をやらなきゃいけないんだということを考えることがよくある。ほとんど同じような内容を4か所くらいに書かなきゃいけない。同じ内容は一個のところに書いた方が安全なはずだが、だんだんこういう申請みたいなことが増えていったので、一本化ができなかったのだろう。

までも、本当は、事務≠クリエイティブというわけでもないんだけど。坂口恭平は創作もビジネスも事務の連続みたいなことを言っている。にしても、無駄な事務はやりたくないものだ。

最近自分の文体というのがすこし変わっている気がする。読んでいる人からしたら大差ないのだろうがより口語めいているというか、あまり改行も入れず、直前に言ったことに自分でレスポンスするような気持ちで書いている。ひとしきり言い切ったら段落を変える。こんなふうに。

特にどういうきっかけがあったかとかも思いだせない。ツイッターばっかりやっているからかな。とくにギターをいじっていて、ちょっとパーツを変えたことへの感想を連ツイで訂正していくみたいなことをしばらくやっていたからかもしれない。ああいう、音の細かい違いみたいなことはすぐに印象が変わるので、そのつど補足か訂正していかないとおいつかない。追いつく必要があるのかもわからないが。

ギターのキャパシタを換えて、音が変わった気がするけどそうでもない気がする、わかんない!wみたいなことを言う人もたくさんいるが、そもそもそういう音色みたいなものはけしてstableなものではないのだろう。それを聞いている耳、というか認識している脳も。

ブリッジを軽いものに換えたから、少し音の重心も上がるだろう、そういう理屈を通して音も聴いている。現象としての音そのものは分節できないが言葉によってそれをなそうとする。だから確たることを言えなくなると自信をなくして、「ま、オカルトだけどw」みたいなことをいうことになる。そこに貧しさがある。我々の耳も、音も、すべてあわいの中なのだから、つど印象を修正してさえいけばいいのだ。そのなかで傾向みたいなものが見えたならいったんそこを一つの基準として仮固定する、みたいなことをやっていく。そういう繰り返しの中にいる。

まあギターいじりで喩えたが、音楽にしろ学問にしろ同じなんじゃないかね。

先日、俺が音楽と生活の両面で信頼している人に、「福ちゃん(俺のあだ名)はらせん状に上達していくタイプやん」と言われた。さきの段落で考え方についてひとつふれたが、まさにな、という気がする。同じところをぐるぐる回っているようで実は上昇している。音楽について、この一年間はそういう感じだったし、ひたすら練習してまっすぐ上昇しようという考えにとらわれていたときはなんかうまくいかなかった。その人はこの半年くらいでそれを見抜いてくれたわけで、さすがというほかない。

貧しいことなのだが、「この人に気に入られたいし、それをアピールしたい」みたいな心性がどうも自分には長いことあった。いまも少しはある。(もちろん、さきに書いた人は、そういう対象ではない。)

それは1,2年ほど、ブルース界隈においても機能していた。自分みたいな若めの人間が、よくわからんおっさんになめられないための生存戦略でもあったかもしれない。「若いのにこんな音楽やってえらいね~!」みたいなのは、向こうには悪気はないのだが、だるい。俺がいいのは若いからじゃなくて俺がいいからで、お前よりちゃんとやっとるわ、といいたくもなる。まあそれもこれもどうでもよくなってきた。

他人を政治に用いるみたいなのは貧しいことだ。それはわかっているし、なんなら無自覚なままそういうことをどんどんやっていく(そういう人は「人脈」という言葉を好むのだろう)人もいるなかで、自分はそこまで政治的な人間ではないとは思う。

もっともそういうドライな関係も別にないものでもないのかもしれない。仕事なんかは多く、お互いのメリットのために一時的につきあうわけで、それが別に悪いことではない。でも、気づいたらそういう関係しかない、みたいなのは困るな。

みそきんは話題になっているものの中で唯一邪悪でないもの、だからみんな話題にしている、みたいなことを恐山が書いていた。たしかにな。懐古になるけれど、十年前くらいのツイッターではああいう邪気のあまりないニュースがけっこう多くあったような気がする。いまは、むなくそ悪い話と、それに怒っている人、なぜか擁護している人、そんな殺伐とした景色ばかりが広がっている。ツイッターは便所の落書きとよくいったものだが(とっくに陳腐化したフレーズだと思っていたが、いまだに鬼の首取ったように使う人がいるのも驚く)、そんなものよりもよほど悪意が強い。

今日はもうゆっくりやりたい。どうせ月曜日も出社なのだし、月曜日はそれなりにいそがしいし。午後には腰が重くてやってなかったことをいくつかやろう。

きのうハウンド・ドッグ・テイラーの伝記を少し読み進めた。全部英語なので大変かと思ったが、単語さえ調べれば意外と読みやすい。チャプター1を終えたところで、全部で24+エピローグなのであと24チャプターだ。あんがいいけるぞ。思っていたより1ページの分量が多くなく、助かった。でかいペーパーバックだが、感覚としては新書くらいなんじゃないかな。翻訳まではたぶんしないので(著作権的にダメだし、そこまでしてFacebookのおじさんたちに読ませる義理はない)あれだが、やはりこういうことがあると翻訳の授業受けといてよかったのだと思う。途中からばっくれてしまったが……。あれで読まされる文章のほうが、3倍はむずかしかった。その経験のおかげで、「あんがい読みやすいじゃん」と今なっているわけだから。

伝記はKKKの車列がTchulaのハウンド・ドッグの家に向かう場面から始まる。簡潔ながら緊迫感があって、風景も見えてくるうまい文章だ。ハウンド・ドッグについてなんか新情報があれば拾いたいなと思って買ったものだが、予想を超えて読み物として面白そう。彼がKKKに追われるようになったきっかけについてはハウンド・ドッグ当人のインタビューと少し食い違っている。酔っぱらって適当に話を変えていたからか、このライターの脚色なのかはわからない。いずれにせよ白人女性と一緒にいたところを、難癖つけられたというのは同じだ。インタビューでは、彼が運転手をしていたトラックに女性が乗り込んできたのを見られた、といっているが、この本ではギグを見ていた女性がハウンド・ドッグにちょっと色目を使った(と、夫の白人男がとった)みたいな話になっている。
後者のほうが話としてはかっこいいが、どうだろうか。

その当時のハウンド・ドッグは25歳としている。25歳! 彼は、有名になりだしたのが40を超えたころと遅咲きのほうなので、若いころの写真とかもない。あるなら見てみたい。

ハウンド・ドッグがギターを始めたのは40歳を超えてから、みたいな噂をどこかで聞いた気がするが、すでにギターを背負ってあちこち行っていたとも書いてあるし、インタビューでもミシシッピ時代から(最初はピアノだったが、やめて)ギターを弾いていたといっているし、Tchulaを脱出するのが25歳なら、ギターは40歳からというのはたんなる誤認だろう。しかし写真がないから、なかなかイメージがつかない。どうしてもあのおじさんが木陰に隠れたり、側溝で夜を明かしたりしているイメージになる。

まあ、シカゴ時代の記述に行くのが楽しみだ。なんにしても。

なーんかこの人と合わんなあ、という気がしてしまう人たち、たぶんあんまり本を読まないんだな、と今ふと気づいた。まあ本を読まない奴はバカなんていうつもりは毛頭ないが、子供のころから本を読んでいた人同士で合う波長みたいなのはたしかにある気がする。もちろん例外もあるけれど。

前にある人について、「音楽好きだし、センスもいい。本読んだりとか、自分で体系立てる作業みたいなのはしないけど…」みたいなことを同じく音楽が好きな友達に話していたら、「いいじゃん。要はオタクじゃないってことでしょ?」と返ってきて、あ! そうかと思った。自分のアプローチっていうのは音楽オタクのやり方なのだ。先日、曲を作っている知人にも言われた。福地君みたいにブルースとかをガリ勉的にやってる人って珍しいみたいな。俺はガリ勉なのか。

ロックうんちくジジイの言うことなんか聞いてないで本でもWikipediaでも読みこんだらええやん、などと思うことも多いけど、ガリ勉じゃない人からしたら年寄りの見たリアルタイムの空気みたいな話を聞く方が面白いのかもしれない。

どっちがいいとかいうつもりはない。まあ以前は自分のそういうガリ勉性みたいなものが気になっていて、もっと軽やかにやっていけたら、などと考えもしたが、自分のそれは結局個性なのだ。他人に勧めることでもないし、無理に自分で変えなければいけないことでもない。ただ自分の強みとしてもっておけばよいし、他人にはそれなりにイライラしたり、そういうもんかと落ち着いてみたりしていけばいいのだと思う。

以前何がそんなに気になっていたのかといえば、そういうアプローチそのものというよりはその裏にある自意識とか自信のなさだったのだろうと思う。自分はそういうやり方なんだ、じゃあどうするか、それだけでしかない。

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