2021年の日記

整理用で、べつにおもしろいわけじゃないけど。出てきたので

[2021/11/08(月)]

・今いい感じで動いてるな、というときと、パッとしない人生を生きている感じがするときがあって、ここ1週間くらいは後者だ
後者となる要因は、おおむね自分を律せてないことだ。やるべき最低限のことをとりあえず片付ける。プラスアルファで、なにか良いことをする(1日一個でもよさそうだ)これだけでずいぶん違ってくるように思う。

・『違国日記』はすぐれた作品だが、最近ちょっとぶれてきたような気がしている。
そもそも親子間(や、その他の)微妙なコミュニケーションの齟齬をメインに描いていて、その描き方含めてかなり現代的に感じたからよかったのだが。このところ、クィア、女性差別…といったその他の(現代的な)要素も入れ込まれてきた。
もちろんそれ自体は素晴らしいのだけど、それぞれのテーマが作品一本を通してでも語るべきボリューム、重要性を持っているので
ここでさらに追加するのはすこしキャパシティオーバーな感がいなめない。でも面白いので、みんなに読んでほしい。

・少し前、『かげきしょうじょ!』を一気に読んだ。この作品は、「尊み」という感覚をメインの燃料にしているようだ。
キャラクターの、(読者にはなしえないと感じさせる)ひたむきさ、情熱、ドラマ…というのが呼び起こす感情をおれは「尊み」と勝手に定義している。おれがガールズ&パンツァー劇場版とか百合イラストに求めたのもその「尊み」だし、アイドルとかロックバンドを応援してる人もそれを見出しているように思う。それこそこの作品のモデルであるところの宝塚歌劇団に求められるものもそうなのだろう。

・人がなにかを「尊い」というとき、それは生身の人間に向けて発せられてはいない。あくまで対象者に投影された偶像についていっている。「尊い」という言葉選び自体にそれは含意されているのは明らかだ(そもそも人に対してつかう言葉ではない)
 対象者が自分の見たかった「尊い」イメージから離れたとき、多くの人は興味を失ってしまう(ビリー・アイリッシュがイメチェンしたとき、何万人という人がインスタのフォローを外したように)。もちろん、エンターテインメントなんてそういうものだといえばそうだし、「尊み」を燃料に日々をがんばって生きる人々を否定などしようもない。
が、自分に関していうと、ガルパンとかけものフレンズに対して欲望したものは無責任な幻想だったという反省がある。
自分のドラマを生きるのではなく、仮想の他人にそれを期待した、ということ。(そこまで言うか?)

[2021/11/09(火)]
・↑などと書いたその日に『スクール・オブ・ロック』を観て、ラストのライブシーンでぐっと来てしまった。架空の物語なんかそれでいいじゃんという気持ちになる。

・映画としての関連はたぶんそこまでないと思うが、『シング・ストリート』となんとなく対比して見てしまう。すべてがしっかり報われるスクール・オブ・ロックと、報われるかどうかもわからず、変わらないものは最後まで変わってくれないが、それでも進むんだというシング・ストリート。

・音楽的にやりたいことがじつはだいぶ多い。荒っぽいブルースギターもやりたいし、もっとジャズ的な細かいこともやっていきたい。歌もやりたいし、歌一つとっても荒めに歌うのと繊細にやるのとでスタイルを決めあぐねている。作曲も本当はもっとやりたい。ビートルズ的なコード進行にコーラスの曲も作りたいし、ドラム打ち込みでヒップホップ以降的な曲作りもしていきたい。宅録にしたって、Dr.Dreのアルバムを丸コピしてみたいし、ビートルズの完コピも久しぶりにやってみたい。ジャマイカ系の音楽もやってみたい。ベースもドラムもピアノもやってみたい。なんならちょっと習ってみたい(特にピアノ。)
 音楽的視程がながいといえばそうだし、散漫といえばそうだ。実際ふだんから集中していろいろなことをできているかといえばそうとも言いがたい。おれが本当に時間を有効に使って毎日クリエイティブに生きられていたら、結構ちゃんと幅の広い、大したミュージシャンになれるのではないかという気はうすうすしている。少なくともそれに足るセンスそのものと頭のよさはあるはずで、ただそれをどう日々修練していくかとかどういうビジョンをもって向かっていくのかというところがやはり薄い。逆にそれさえあればなんだってできるような気がするが。。。

[2021/11/16(火)]

・↑でごちゃごちゃと書いているが、やはり人と演奏して手ごたえがあると迷いがなくなってくる。ギターを改造したくなったり買い替えたりしたくなるのは大概迷いの時期だ。わかってはいるのだけど。
あれこれ試行錯誤した挙句、結局手持ちのギターが一番いい音が出たときなどは力が抜けてしまう。ギターの良しあしというのははっきり存在するが、そこからどんな音を引き出せるかは結局弾き手だし、まあ俺程度のプレイヤーでも、だいたいのギターで良い音を出すことはできるのだ。調子が良ければ。
・ギターの音色に関してのオプションは多くない方がいいと最近は思う。弾いてないときはいろいろ改造してやろうかとか、増やす方向で考えてしまうが、演奏中は少ない方がいい。ピックアップなんか一個でいいし、コントロールも、せいぜいボリュームがあればいいといえる(大きすぎると困るので)。ピアノやドラムセット、サックスやなんかにつまみがついているだろうか?エレキギターも同じことで、根本的には生楽器の音を増幅しているだけのもの、と考えてよいはずだ(俺のやるような音楽では、という話だが)。
 こういう考え方はもともとあって、エフェクターボードを毛嫌いしていた時期もあったが、エフェクトは読んで字のごとく効果を得るだけのもので、音色そのものを云々するものではないと考え方を変えたらかなり使いやすくなった。
 「音作り」という言葉もどうかと思う。音なんか部屋の鳴りでも、体調でもすぐに変わるもので、あらかじめ作っておいてそれを再現するものではない。まあそういう考え方もあっていいし、その技術にたけた人は尊敬するが、俺がそうしようとすると神経をすりへらすので向いていない。
 しいて音作り―セッティングにこだわる必要があるとすれば、その目的は演奏のストレスを軽減することにある。自分の音が聞こえてこない(音抜けが悪い)と右手でどうにか聞こえるように弾く必要があり、その努力は演奏内容に対してノイズとなる。
自分の楽器の特性と、アンサンブルの中での位置をわきまえたうえで適切な音色にしておき、無理のない状態を作るということ。
 まあ本当にうまい人はその音作りすら考えてない感じで、ただ自分の音を聴こえやすいタイミングに置くことで自分の音を全部聴こえるようにしてしまうけれど。もう一歩その域には達してない。
 タイムということでいうとおれはまだタイトに弾こうとしすぎるところがあるので、もうすこし緩く弾いたほうがいいなと思う。レイドバックするというか。リズムに対して常に平行に同時進行するのではなく、やや後ろにずらす…というのは結果論で、たぶんもっと気を大きく、ゆったり弾くということなんだろうな。あるいは逆に突っ込んで弾くとか。単にもたもた弾くか、せかせか弾くかということではないのが難しいところだが…でも、そろそろ気の持ちよう一つで変わる気がする。

[2021/11/30(火)]
・身の回りの人が文通を始めたのがなんとなく頭に残っていたのか、会議中の暇つぶしに丁寧に字を書くなどしていた。字が汚いことを理由に、手で何かを書くことを拒否しているが、思っているほどではないのかもしれない。(急いでるときは本当に汚い)まあ、時間はかかるし筆圧が強いので、書きながら内容を考えるのは無理そうだけど。大学の記述問題、毎回手がくたくただったなあ。用意せずに行くのでめちゃくちゃに疲れたものだった。そんなことするなよ。

・Radio Gardenというアプリを知った。Google Earthのような地球儀から、世界中のラジオ局を選んで聴けるというものだ。これが本当に楽しい。適当にアフリカの局に合わせると、3連の地元リズムでメタルのようなことをやっている。中東に合わせるとクルアーン専門と思しきチャンネルがずっと男性の声で何かを読み上げている。そうかと思えば南米の大きな海の真ん中にポツンと立つ局が、リトル・ウォルターの「Juke」のカバー(現地のバンドの?)を流している。自分の想像もしたこともない音楽に驚いたり、思いもよらぬ場所に自分の仲間を見いだしたりした。
 子供のころ行ったインドネシアのタクシーの運転手が流していたラジオを思い出す。ラジオの粗い音が、きいたこともない国への郷愁をかきたてて、見たことのない景色や、嗅いだこともない匂いを想像させる。

・少し前、老アマチュア無線家のYouTubeチャンネルを見つけたことがあった。素朴な字幕だけの編集で、淡々とモールスを打ち続けるのが心地よくしばらく見ていた。無線愛好家というのは世界中にいるようで、ある動画ではグルジアと交信して、短いメッセージを送り合っていた。声も出さず、ただ2種類の符号ですべてのコミュニケーションを行う、その時間のなんと静かなことだろう。

・ここまで全部スマホで得たものだから矛盾だけれど、アナログの不自由さがもたらす想像とか、選択肢の現実的な少なさがもたらす気楽さがいま改めて恋しい。

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・アメリカのゲットー(黒人街)で流れていた音楽とは何だったのか、それは今日のR&Bにいたるまで、どのような変遷を遂げたのかが知りたい。そのためにずっとR&Bチャートの年表のようなものがあればなと思っていたのだけど、検索してみればなんのことはない、Wikipediaに1942年から現在までの週ごとのチャート1位をまとめたリストが出てきた。アナログ化したいとかいった手前だが、インターネットは便利だなあ。
・これが、眺めているだけでおもしろい。ルイ・ジョーダンは本当のトップスターだった、と知識はあるものの、更正の日本人である俺が、簡単にその実感を持てるかというと否である。それが、え、この曲2か月も3か月も1位に居座り続けたんだとか、この辺の年めちゃくちゃルイ・ジョーダン多いなとかが目で見えるとまた認識が変わってくる。

・これをプレイリスト化して一日一年ペースで聴いていくことを考えている。そうするとして、2021-1942でおよそ2か月半かかるが。ブルースのような音楽をどんどんマニアックに掘り下げていくことはもちろん大事だけれど、単純に彼らが普通に街で耳にした音楽はどんなものだったのかを体感することはまた全く新しい気付きをもたらすだろう。当時のアーティストの視点に近づくにあたって、酒を飲みまくったり薬をやる前にできることがある。

・自分で使うことを考えればSpotifyが一番いいといえばいいのだが、誰もが聴ける形(YouTubeかな?)で毎日SNSにドロップするのも悪くない。最近やってる翻訳は、自分のアイデアや知識を共有するおもしろみを俺にもたらした。
 似たような試みのコンピレーション盤はこれまでもたくさんあっただろうけれど、毎朝9時に60年前のヒットチャートが具体的に聞けるものとしてシェアされる、っていうのはいかにも素敵じゃないだろうか。まあ、こういうことを大した労力もなしにできるのはまさにデジタルの恩恵だな。

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