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2023.1.27(求・熟練の眼鏡屋)

また暖房をつけたまま、床で寝てしまった。寒波が来ていたし、電気代はめちゃくちゃ高騰しているというのに暢気なものだ。

眼鏡がもうこのところずっと調子が悪くて、気づくとずれ落ちてくる。まあ、雑に扱ってるし、仕方ないことではあるんだけど。
昔地元の古い眼鏡屋さんで調整を頼んだとき、丁寧に作業してくれたし、サービスかもしれんけど一応聞いとくかと思って「あの、お代は……」と訊いたら「いただきません!」と妙に毅然と言われて怖かった。
断っても払おうとする人がいるのか、眼鏡屋の矜持にかかわることなのか、単にそういうしゃべり方の人なのかはわからないけど。
まあ、でも買ったとこでも匙を投げられた眼鏡をどうやったのかきっちりした状態にしてくれたし、腕はやはりたしかなのだろう。チェーン店ではこうはいかないのかもしれない。やっぱり職人だったのか?「こんなことで金もらえねえよ!」ってことだったのだろうか。
今住んでいるあたりにそういう眼鏡屋があるかはわからない。二駅隣にはZoffがあるけど、それだとまた「メーカーに送ってください」と言われて終わりそうな気がする。なんか、大手ってそうだよな。ジジイが「最近のあれは融通が利かない」みたいなこと言いそうだけど、まあ確かに昔は利いた融通もあったのだろうなあ。

そういえば昨日後輩がギターを再開するとのことで、押し入れから引っ張り出したEpiphoneのES-355モデルをもってきてくれた。おれはギターの手入れが好きだ。昔は「なんか汚いほうがビンテージっぽくていいんじゃないか」「ギターそのものには無頓着なほうが本物っぽいんじゃないか」みたいな中二病まがいのことを思っていたけど。そんなのきれいなほうがいいに決まっているし、そもそも手入れが好きなんだからそれに従っとけばいいだけの話だ。
『フレンズ』のモニカが、病的なきれい好きをからかわれ意固地になって、わざと椅子の配置を乱したままにしたはいいが、気になって眠れず、「朝友達が来る前にもう一回乱しとけばいい」といって整えに行くみたいな話があったけど、なんかそんな感じ。
おれがギターの手入れなんかしないほうがいいんじゃないか……などと思っていたのは、ほんの1,2年前の話なのだけど、あまりにしょうもない悩みで苦笑いしてしまう。ヒマすぎるだろ。そんなことを考えている間に練習すれば、と言ってやりたいが、そんなこと言われたら傷つくだろうな。めんどくさい奴だなあ。そう思うとまあ、俺も少しは良くなってきた。
まえはやたら状態が気になってしょっちゅう掃除したり弦のブランド変えたりしてたけど、最近は落ち着いた。たまーに拭いたり、弦変えるついでにいろいろやるくらい。

ギターの手入れ。いろいろあるけど、基本そんなにやることってないんだよな。毎回じゃなくていいから汚いなと思ったら全体を乾拭きする。弦は一か月くらいで変える。維持するだけでよければそんなもんだと思う。そっから先は、好きものかギター屋さんにやってもらえばいいというか……初心者はね。普通にかなり弾ける人とかは、そこそこちゃんとやっててほしいけど。
もう少しやりたいという人は、弦交換時にオイルを塗るとか(柑橘系は良くないとかいろいろ言われるけど、まあべつにそんなに問題ない)金属磨きクロスでフレットを磨いてやるとか。これも、ピカールみたいにはピカピカにはならないけど、どうせピカピカにしたところですぐ曇るんだからほどほどにきれいになっていればいい。
あとは汚れを落としやすくするためにポリッシュをつけるくらいか。それとてそこそこいいクロスがあればそんなに必要ないし。
ネックの調整は、よほどやりたいとかでなければ詳しい人にやってもらったほうがいい。
PUとかブリッジの調整は、別に壊れるもんでもないので興味があればやってみてもいい。
そんな感じ。結論、たまに弦変えてたまに乾拭きしとけばとりあえずOK

と、ひとしきり書いてみたわけだけど、ギターのこういう話ってつまんないねえ。普段がおもしろいわけではないけど。

この間読んだ、千葉雅也さんの『「男の料理」的追及へ向かわないこと』というnoteに力づけられたところがある。力づけられたというか、力を抜くことができたというか。
変な完璧主義をやめること。ある程度で、仮固定すること…いわれてみれば、完全な完成なんてありえない。ないのに、そこを目指してしまう。

おれが間接的に師事しているあるミュージシャンは、自分で機材も作るんだけど、ほんとに肝になる機材だけ選別して、ほとんどほしい音を作れてしまうらしい。
オタク的な探求とはかなり質が違う。オタクだったらぜんぶビンテージでそろえて、次はあれも、次はこれもとそれこそ「男の探求」を続けてしまうだろう。
「まあ、このへんで」の判断がうまいみたいなんだよな。それもかなり高いレベルで。

思い返せば昔絵を描いていたころは、画材をいっぱい使うとわけわからなくなるので、筆ペン一本で描いて、ほどほどにいいかな、と思ったところでやめていた。まあこじつければ、筆ペンというツールを使うことで有限化して、しかも仮固定(筆ペンは細かい書き込みに向かないし、消せないので、詰めすぎるということをやれない)していた、ということもできなくはない。じっさい、そういうふうに描いていたころのほうがよく絵は描けていた。

あ、そう。
Left Hand Frank

絵も描いた。

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