2023.10.18,19,23,26(出社日記)

10/18

ああ~あ。昨日も出社、今日も出社、明日も出社だ。金曜午後休でも取ろうかな。病院行かなきゃだし。

しんどいというよりは退屈だ。あと7時間このつまらん空間に拘束されるのかと思うと。とにかく明日明後日のうちに終わらせなきゃいかん仕事が一つある。それを片付ければとりあえず金曜は休めそう。

ぼやっと昔やっていたゲームのことを思い出していた。おれはゲーム機を中学まで持っていなくて、もっぱらパソコンでアマチュアが作ったゲームばかりやっていた。PS2やPSPを手に入れてからもエースコンバットしかやらなかったから、まあ周りと話が合わなかったな。つくづく、小学校から中学校の俺ってなんであんなに周りと合わないルートばかり選んでいたのだろう。いまとなってはなんでもいいけど…

おかしいんじゃないかってくらい眠くて何かと思ったけど、どうやら禁煙すると眠くなるらしい。ニコチンに覚醒作用があるんだって。

10/19
なんか、そうでない人の文章を読むと、文章を書く側の人、そうでない人、っているんだなって雑だけど思う。自分自身は、別にうまくはないけど、書く側かな。

これはあまりに自分に寄せた考え方かもしれないけど、自分で違和感のない文章にすることができる(あるいはその違和感に対するアンテナを持っている)人は、「書いてるな」って思う。反面、修飾やら文体やら、なんかとってつけた感のぬぐえない人っている。文章に導かれるのではなく、文章に振り回されているとでもいおうか。あるいは全く逆で、文章を「作り」過ぎているのかもしれない。それって、やっぱ日ごろから書かないとそうなるのかな。

自分は大学くらいまで全然書けなかったんだけど、(Twitterは別)それはやっぱり自分にとって自分の書いたものがどうしても自然にならないということに原因があったなと思う。興味深いことを書こうとか、頭よさそうに見えたいとか…あるいはもっと前の、「きちんと書かなければいけない」という思い込みとか。これらが原因なのか、あるいはそれらはあとからついてきた理由かしらないが、とにかく書きづらかった。なんでもいいから書こうとか、へたくそでもいいから公開しつづけようみたいなのは、何度も言ってるけど、その対策でしかない。ほんと。

自分の言葉で書けていれば稚拙であってもいいが、本当に稚拙な文章とは自分の言葉で書けていない文章である、みたいなフレーズが湧いてきた。なんかこれって音楽でもそうかもって(こういう展開、よくしますね)思う。どんなに複雑なことを流暢に弾けようが、自分の音で演奏できなかったり、自分の言いたいことを言えてなかったりするのでは格好が悪い。まあ俺も道半ばですけど、それに気づかずにやたらにうまくなっていく人たちのようにはなりたくない…なりたくないってのもそうだし、そもそもそういうふうに俺はできていなくて、なろうったってなれない。あるいはそういうことにしているのか。

10/23

やれやれ。先週に引き続き今週も出社が多い。まあ禁煙のおかげなのかどうか、寝つきと目覚めは良くなってきた。これはほんとに。

最近職場に現れたおじいさんが本当にデカい咳を遠慮なく放つのでかなりうるさい。まあ咳自体はしょうがないとして、あれでマスクもしないという配慮のなさが嫌だとか思ったりする。でも、そういう風に考える自分もいやだ。いかにも日本っぽい同調圧力な気がして。

最近自転車の交通ルールの守らなさもいちいち気になることが多い。先日、渋谷のゴミ拾いがどうだの、遵法意識だ、小さな道徳だなどと偉そうなことをいったわりにこんなことに気を取られるのがまた情けない。ことに、LUUPに乗り出してから余計気になるようになったというのが。自分は交通ルールを守っているのに自転車は堂々と守らないのがいやだということか? それってなんか小市民的というか、自分が前に批判しようとしたやつそのものじゃない?

前に盗撮まがいのことをしてたおっさんに皮肉めいたことを言い放ってみたのとかは象徴的なんだけど、やっぱり自分には安い正義感みたいなのがあって、(しかし自分には例外を作ることも多い)その正しさを十分に検討しないままにそういうことをしたり、ぼやいたりもする。直線でヤバいジジイに向かっているのではないか。これは。

似た話だが、本当に説教っていうのはやんない方がいいですね。これはもう今後気を付けるようにしたい。

これは良くないとか、これは私は不快でしたとか、そういうのははっきり言ってほしいし、俺も言うようにしたい。ただ説教、これはもう汁が出てるだけなんですよね。そしてそういう感じは相手にもはっきり伝わる。こいついま気持ちよくなってるだけじゃねえかよとか。

「自分は人を変えられる」と思ったとき、汁が分泌される。なにかしら相手を見透かしたような気分になっていたら危ないと思う。できるとしたら、私はそれを受けてこう感じましたとか、あくまで自分のいち意見として述べることくらいで…。
まあ間柄はそれぞれだろうが、友人であれば、対等なコミュニケーションにとどめることは常に念頭に置いておきたいものだ。

自戒ですよね。これは。書くほどに、自分がしばしばそれができていないことに気づかされるし、また、逆に、上に書いたようなことから外れたことをされると人よりショックを受けてしまう。こういうことを書いていると本当に自分に返ってくることが多くて身動きが取れなくなりそうだ。人に対して寛容になるほうが簡単なのかな。でも自分の直すべきところは直した方がいいよねえ。

きのう二郎系のラーメンを食べたせいかずっと胃腸の具合がおかしい。わかっているのになぜ食べるのか。でも、今後その店にわざわざ行くこともないなとなんとなく思えたのでそれはそれでよかったといえるか。

10/26

ああなんか疲れてる。昨日おとといは在宅で、まあかなりだらだらやっていたにもかかわらず…。

ラジオ「ありっちゃありスパーク」でオモコロ編集長原宿さんが話題に出していたので、「相席食堂」のロバート秋山回を観た。架空のローカルタレント「津村屋コウジ」になり切って、なんかかなり良くないおっさん像を戯画化する秋山。さすがの面白さで、めちゃくちゃ笑っちゃったけど観終わった後かなり疲れていた。ネタとはいえおっさんのそういうのを一時間見せられ続けるのは重たい。

Twitterを一応見なくなってしばらくたつけど(そういえば禁煙よりも前から続いている)依然としてなにか「これはいやだなあ」ということについて過敏だし、どこかに書いてしまう癖がある。もっとも、わりと自分への反省としてまとめるようにはしているけど。でもそれって何なんやろ? なんか、それによって中立になってるわけでもないし、怒りがおさまるってわけでもない。誰のため? たぶん自分のためか。

これはこれで、自分の特徴的なクセなんだろうと思う。「ああ、いや、たしかに俺も悪いです、すいません」基本的にそうなる。そうすることでしか自分の偏りを意識できない。

コミュニケーションコミュニケーションとよく言っているけど、自分のそのやり方もそんなに正道でもないかもしれない。

10年くらい前の、トリプルファイヤーがタワレコで「カモン」(ライブの「一体感」を云々する演者、観客を明確に皮肉った曲)をやってる動画。

吉田の空虚な煽りで場がしらけた空気になるほど、刃がどんどん肉に食い込んでいくという仕掛けなのだが、気づかない客は「まじかよwwww」とか、「売れると思ってんのか!w」とか言って喜んでいた。

…まあ、トリプルファイヤー的な性格の悪さに体重を乗っけるのも自分によくないとは思うけど。

でもあの「まじかよw」のダルさ。こいつは自分が見てきた「ライブ」の「常識」から一歩も出ることはないんだろうなという…かるい絶望みたいな感情になる。飛躍しているかもしれないけど。単にそう感じる。

またこういうこと書いてる。

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