2024.3.16(本を読んだ)

いつも職場のPCかスマホで書いているのでMacBookで書くのは久しぶりだ。開いたら去年の十一月末の書きかけの画面が出てきた。三ヶ月くらい開いていなかったのか。

最近家で日記を書くということをほぼやってなくて、だいたいいつもコロラドにいる三十分から一時間の間に書いている。俺は基本的にただぼーっとすることがうまくできなくて、そうすればいいような時にもスマホでSNSやYouTubeでやたらに情報を入れてしまう。そのほとんどはゴミとして流れていってしまうが。

まあそういうのもあって最近瞑想をはじめた。このごろは寝る前にやるので、多くの場合でそのまま寝てしまうんだけど、まあそもそも寝付きが良くないのでそれならそれでいいかもしれない。

んー、あんまり進まないね。どうやって書いてたんだっけ?

あと最近は絵を描いてる。理由は日記を始めたときと近い。自分の中にある、「うまくやらなければ」という意識を抜くために、とにかくどれだけいい加減であっても平均一日一枚ずつ上げていくみたいな練習。

そういうのもあってか最近あまり身を入れてギターの練習をしていない。まあ、自分の考え方を少しずつ変容させていくことも大事だし、絵にしても継続の練習ではある。自分に無理をさせない形でなにかしらを生み出す、見られるという自意識を過剰に存在させない。

千葉雅也の小説、『デッドライン』『オーバーヒート』『エレクトリック』の三作を読んだ。思えば自分が何を読むかというのもかなり自意識によって狭めてきてしまった(それはこの間書いた、ベタなテレビドラマを観られないとかの話にも近い)ため、大学以来小説とかもあまり読めてなかった。個人的には『デッドライン』が一番好みだった。「人々がもっと雑に生きていた頃」の空気感が好かったのもあるし(これは今のうちに引っ越してきて以降、そういう空気感を求めて喫煙できる店を探しもとめているのと同根の欲望、というか好み)、それぞれバラバラの場面が並んでいるような書かれ方も面白かった。これはどっかでツイートしたな。ええと。

なんというか、俺は小説に一本の線になった「筋」があると、それを理解しなくては、これまで読んできたものを記憶して把握していなくては、と思っちゃう節があり、それが結構しんどいのだが、そういう「筋のある」物語であっても、読んできたページを振り返ったところでおれの頭の中には断片しかないわけで(忘れちゃうから)、なら最初からそういう断片を並べて、それを続けて読んでいくことで何かテーマとか、より広い意味での筋…流れみたいなのが立ち上がってくるようにすればいいのかも

そうね。

発展場のシーンを読んで思ったんだけど、ああやって偶然出会った人とセックスをする(もちろんそこで連絡先を交換したりしてもよい)という目的の場所が成り立つのは、男女間であるような(というか男が女に押し付けているような)性規範とか、単純に身体の力の差とかが(もちろん個人差はあるにせよ)ない、男性同士だからなんだな。まあ男女間であってもヤリモクでマッチングアプリとか使う人はいるわけで、俺が知らないだけのことではあるけれど。いずれにせよ男女間で生じうる傾斜とかは一応解消されているわけで、すごく先を行っているなと感じる。でもまあそんな単純なものではないのだろうね。

暖かくなってきたせいかな。このところは本を読んだりとかできている。どっかのタイミングで運動とかも始められたら良いんだけど。今日はこのへんにして寝ますか。

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