2023.10.6(秋)

天気がいい。過ごしやすい。すなわち調子がいい。夏が好きだとか色々言ってきたが、結局気持ちのいい気候が一番好きだし機嫌もよくなる。

ふとしたことで、「ああ ひとりきり 湯を沸かし クノールのスープを溶かす」という歌詞を思い出して久しぶりに聴きはじめた。なんか秋って感じなのよね、このミニアルバム。おれの成人の一人暮らしの理想みたいなものを感じる。理想の女の子も。俺の変にセンチメンタルなところがこういうところに出ている。

友達にかつて「ベランダの向こうの街にはさ いろんなやつが暮らしてるぜ バンドやめた郵便屋とか 土日も仕事のねーちゃんとかさ」って歌詞がいい、と言ったことがあったな。3年くらい前だろうか。そのころ、「バンドやめた郵便屋」にちょっと自分か、周りの人を重ねていたのかな。

そういう意味でこれも好きだったな。「続けてもいいから嘘は歌わないで」だって。これを好んだ時期の俺の感傷…。友達の車で、自分のバンドを解散したという話を聞いたあと、流して微妙な顔をされた記憶。笑っちゃうね。結局彼はへんな界隈でコピーバンドをダラダラ…だったらまだいいけど、かなりストイックにやりだした。

まったく違う曲についてだが、先輩がある時言った「これを聴いて救われる人もいるんだろうね」というフレーズを思い出す。何となく、この人自分で今言ったのを気に入ったんだな、と思ったっけな。

最近自分の中に、シティボーイ的なものへの憧れを見出すことが多い。でもその種の一部の人に対してなんとなく浅薄だとも感じている。実際にそうかは知らないけど、俺がそう感じる部分というのがつまり俺にはできないものなのだろうな。嫉妬というより、そこに自分との不一致をみてる。

KOHHはかっこいいなあ。

この曲の中で言われてる「ダサい」奴ですら俺はないし、もちろんKOHHみたいな人間でもない。蚊帳の外という感じ。

なんか自分の中に…いちおう音楽について、に限定しておこう、本質的なところのレイヤーまで考えようとしているかどうかというアンテナがあって、こいつはジャズのオシャレなとこしか聴いてないんだろうな、聞こえてないんだろうな、というのを人物評価に加えてしまうとこがある。そんなことしても一個も得しないというか損なんだけど。

歩いてて日記に書こうと思ったトピックがいくつかあった気がするけどみごとに全部忘れてしまった。

規範意識っていうキーワードがなんとなく最近頭の中にある。サラリーマン道徳とか、なんかそんなこと。かつてオタク的な自意識で自分を縛っていた人が大人になってリベラル的な考えをするようになったけど、それはそれで新たな規範で自分を縛っているように見えること。こいつは許せん、という相手のベクトルが反転しただけで、攻撃的なところは変わっていないこと…と書いて気づいたけど、これって俺のことか。

本を久しぶりに読んで、「全部理解することはしなくていい、どっちみちできないんだから」という考えが自分にあることに気づく。いずれにせよ自分の中に残るものって断片的なアイデアだったりするし、完璧にわからなくてもいいか、という態度。全体的に俺はそういうスタンスで生きてるところがある。どうせ人生設計なんて不可能なんだからあんまり考えなくていいじゃないとか。どうせ自分の考えを完璧に文章にするなんてできっこないんだから、思いついたはしから書いていけばいいじゃんとか。日記でずっと言ってることもこれだ。

ソロをインプロヴァイズするように文章を書けばいい、というのはいささかカッコつけすぎの表現で、自分で笑ってしまうけど。でも音楽的な時間で書くみたいなのは思っているかも。自分の中で自然に出てきたものをそのまま出力することでフロー、流れみたいなものができるし、言いたいこともなんとなく伝わる、気がする。でもこれってちゃんと音楽やってないとわかんない喩えかな。そういえば巷のアドリブ教則みたいなのって全然音楽的じゃないのが多い。スケールをどうこうしろとか、フレーズをとにかくいっぱい覚えろとか。そうやって自分自身と切り離した次元で考えているからいつまでも音楽的にならない。

“New Orleans cats don't play a lot of solos unless they got something to say. It's not an ego thing like it is with some other musicians. You say what you gotta say and then shut up.” - Dr. John


ニューオリンズのキャッツ(ミュージシャン)は言いたいことがなければたくさんソロを弾いたりしない。他のミュージシャンがやってるみたいな、エゴのためのものじゃないんだよ。言いたいことを言ったら、黙るんだ。

Dr.Johnがいいことを言っていたので、Facebookにいつものように投稿したのだが、思ったより反応がなかった。大事なことだと思うけどね。言いたいことだけ言うんだよ、って。会話でも文章でもそうかもね。言いたくもない知識をただ披露するのに付き合わされるのはたまらない。

思えば、文章をきちんと構成しなければならない、というのも学校で教え込まれた規範意識かもしれない。それでずっと文章を書くのは多分好きなんだけど書くとなると気が重くなるというのが続いた。大学まで。俺はそういうのがほんといやだ。人生設計しなくてはいけないとかもそうだ。どうせわかんないじゃないか、結婚するかどうかとか、子供を学校にやるのかどうかとか。同性婚とか夫婦別姓を認めたがらない人々なんかも、変な規範意識を内面化しているのだろう。いろんな人がいると統治しにくい。国民がみんな同じように生きてるのが一番管理しやすいのだろう。

今年はなんかそういう「これが当たり前らしいからやらなきゃ」みたいなことからだんだん自由になってきた気がする。いろんな人と会って影響されたからかな。

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