週日記 ~8/25 チーズは水でない

飲みに行った。
おしゃべりするうちに、それぞれがお互いに抱いている印象を話すことになった。印象や解釈を述べると「なるほどそう見られてるのか~」みたいな反応されたり、「その解釈はちょっと違くて、実は僕がそういう行動するのはこういう意図があるんです」みたいな説明をされるのが面白かった。

「理屈っぽい人は、理屈っぽい感じで対人関係をやっているとどこかのタイミングで煙たがられたり白い目で見られることを少なからず経験し、そのような営みはあまりやらない方が良いのかと学ぶ。そして、徐々に封印して大人になっていくのが通常である。しかし、綿来さんはそのような経験をしてこなかったか、あるいは気に留めなかったまま大人になったようで、何にでも理論や説明を構築しようという理屈っぽい姿勢を他人の前で自粛せず躊躇なく曝け出しているところが特徴的である。」

僕のターンでは、このような、ほとんど悪口みたいな内容を、表現を変えながらいろんな言葉で後輩に言われ続けた。

「俺も本当は綿来さんみたいなタイプでやっていきたかったのに、周りを見て自制していたところがあったんです。だから、綿来さんに出会って『この感じでやってていいんだ!』と思いました。」

私のことを周りを見れない人間だと言っていますか?

僕は、自分が何を考えているか、何をどう感じているか、それは何故なのか、ということを考えるのが好きで、それをもとに判断基準や生き方を考えるのも好きだ。
だから、基本的に他人に興味があるタイプではないけれど「君がどのような機序・ポリシーで生活や人生をやっているのか」ということには興味があって、自分と違うタイプの考えでやってそうな人を見ると聞かせて聞かせてとなってしまう。
ただ、みんながみんな自分のスタンスについて自覚的に見解を持っているわけではないので、持たない人のところへ行って「私はこのような場合における自分のスタンスの取り方について、かくかくしかじかの理屈に基づいてこう考えています、あなたは違うようですが私の理屈とどこが違うんですかそれは何故ですか」と詰めかければ迷惑されると思う。

僕が「白い目で見られる経験」をして来ず大人になり、今も「理屈っぽい姿勢を他人の前で自粛せず躊躇なく曝け出している」理由は、それを曝け出す相手を慎重に選んでいたからかな、と思った。
同時に巡りあわせに恵まれたとも言える。そして、その後輩が僕のことを理屈っぽいと思うのは、彼も僕の曝け出し対象になっているからこそであるといえるので、君もありがとうと思った。



上とは全く関係ない文脈だが、「なんか転校したことなさそう」と言われた。
分かんないけどそういう悪口な気がする。


少量揚げもの用の角鍋をもらったので、唐揚げパーティーをした。
揚げすぎて翌日も食べ続けていた。少量でも便利なのが売りなのに。


麻婆豆腐を作ったが、味が濃すぎたのでチーズ乗せてみた。
美味しくなったけど味は濃いままだったため、チーズは水ではないということが分かった。


あざらし幼稚園がそんなに人気なら水族館もライブ映像流せばいいのにね、と思って調べたら、名古屋水族館がいろんな水槽の配信をしていた。
ペンギンがたくさんいた。


今週の3Dプリンター作品。
・デスクにトートバックをかけるホルダー
・ノートパソコンスタンド




読んだ(読んでる)

なし


観た(観ている)

・アルマゲドン
面白かったけどツッコミどころ多いな〜と思って調べたところ、科学的間違いが168個指摘されているという記事が出てきた。かわいそう。

・SPY×FAMILY Season 2
観終わった

・名探偵コナン
全然追えてないからとりあえず原作会のアニメだけを観ていこう!と思ったら、意外と視聴履歴が付いていた。
赤井さん、勝手に博士の家に入ってきすぎ。


同じ映画やアニメを何度も観たり本を繰り返し読んだりすること、いつからか無くなったなあと思った。


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