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【20】実家で本物の廃人に目覚める
本当は幸せだと思えてなかったと気付く
関西の実家に戻ってから、半年ほど際NLP心理学講座の通訳をしたり、他にも勉強を重ねつつ心理セラピーでの起業準備をしていった。
同時に起業に際して、「私は心理学のお陰で幸せになりました」と言うようなことをブログで発信していこうと思い、そのために自分の心についてより深く掘り下げていった。
ところが、深く見つめるにつれ、あることに気が付いてしまった。
『セラピストになるために、自分は幸せだと思わないといけない』と思い込んでいただけで、自分の本心から幸せだと思えていない。
という心の底の思いに。
夢を目指しているといいながら起業も全然成功していないし、結婚したいといいながら結婚もできていないし。私はいったいこの数年間何をやってきたんだろう
そんな思いも見えてきた。
(※鬱になりやすい人の傾向のひとつとして、途中経過を見ることができないというものがある。できたかできないか、白か黒のどちらかになってしまう。実際には少しずつ前に進んでいたのに、その辺を認めることができない。自己肯定感の低さともつながっている。あと、夢=起業成功ではない、とあとから気づくんだけど、その辺もおいおい)
さらに深く心の奥底の潜在意識を見ていくと、自分にとって大事なことが「親に認められることだった」ということ。
その裏には、「私はいらない子どもだった」という思い込み、そして、親から認められるには、結婚するか、収入をきちんと確保するか、このどちらかが必要だという思い込みもあったことに気が付きました。
(なぜ、いらないと思い込んだのかはよくわからない。後の文を読んでもらってもわかるけど、両親は私を大切に育ててくれていたので。生まれつきの傾向というものがあるんじゃないだろうか)
本当は両親からは生まれたときから認められて愛されてもいた。それなのにそのことを当時の私の心は受け取ることができず、「自分の中に勝手に親に認められる条件」を設定し、その上で「それができない自分はダメだ」「自分は会社を辞めたのに何かで起業して一人前になるでもなく、結婚もできず、中途半端なままでフラフラしているだけの未熟でダメな人間だ」と責めていた。
自分を認めていなかったのでは親ではなくて自分自身だった
どこかで、いくら頑張ってもそこにたどり着けない自分は不幸だと思い、何も達成できない自分の人生を恨んでさえいたような気もする。
客観的に見たら、何のしがらみもなく自由に好きなことをして生きて、「幸せ」なはずなのに、心からそう思えていない自分がいた。そういう思いがあるのに見ないふりをしていただけだった。
「また、自分にうそをついていた」と思った。
いろんなことがうまくいかず実家に引きこもる
この頃、収入のために他のバイトを始めようとしたものの、派遣で指導もないまま介護現場に放り込まれ、何もできなさ過ぎて5日で辞めたり、別のところでは初日から生理痛で呻いて何もできずにいたら一日でクビになったり、と人生もなんだかうまくいかなくなっていった。
さらに家にいても涙が止まらなくなったり、親に対して「私はいらない子なんでしょ!」と叫んだり、様子が明らかにおかしくなっていた。
そんな私を心配して、両親が「落ち着くまで実家でゆっくりしたらいいから。何もしなくていいよ」と言ってくれた。
それでも私は「そんなことはない。早く何かで成果を出さないと、私には価値がない」と思い詰めていた。
でもある時ふと「親の言う通りかもしれない、私はいまおかしいのかも。親に甘えさえてもらっていいのかもしれない」と思ったとき、携帯もゴミ箱に投げ捨てながら大泣きした後、全てを手放し引きこもることにした。
後から思うと、これが本当の廃人だったなぁ。
続く
それではホニャラ~
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