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途上国のお産は、力に溢れている。それに対して日本は…?

冨田江里子さんお話し会、ものすごくよかったです!

日本からモルジブに行ったのち、フィリピンに行って、貧しい母子のための診療所を開いたそうです。

お産の際の道具を写真で見せてもらいましたが、はさみなど本当にシンプル。

赤ちゃんを取り上げる際も、直前まで産婆さんがお菓子を食べていて、そのまま消毒もせずに取り上げてしまったのをみてびっくりしたけど、母子ともに何の問題もなく育っているそうです。

モルディブではお産で医者にかかることはほとんどなかったそうです。自宅で当然のように産むから。でも日本ではほとんど病院で、しかも、最近では産婦人科医の数が足りないから計画分娩で、日付を指定されて人工的に出産を進めるオキシトシンを投与されて「産まされる」お産が増えているとか。
人口オキシトシンと、自然に出るオキシトシンでは、後者の方が充実感のあるお産ができることが科学的にわかっている。

元々お産で異常が起きることは数パーセントと少なくて、でも日本のお産ではその数パーセントを起こさないことを前提として過剰な医療がほどこされている。

向こうでは、赤ちゃんが出産後にお母さんとずっとべったりいて、泣かない。

穏やかな時間が流れている。日本では、「泣くのが仕事」って言われて、「泣くことで呼吸が鍛えられる」と言われるけど、向こうで泣いてなくても全く呼吸は問題ない。それよりもむしろ、「お母さんを休ませるために赤ちゃんは預かりますね」というのが、母子共に不安にさせているのでは。だから泣くんじゃないか。

しかも医者の都合で、母子とも準備できていないので薬で無理やり産まされるのが自然なお産と言えるんだろうか。

途上国では発達障害児もいないという。病院出産の増加と、発達障害や虐待の増加は似たようなカーブを描くそう。
やっぱり何かおかしい。

何が、とは言えないけど、昔は病院がなくても子孫はつながってきているのに、過剰な薬や、設備は必要なのか。

人は可能性の種。理論的には生きられない障害をもった子どもが、何年も生きたりするのを見てきたそうです。

逆に、フィリピンでお金がないせいで、本当に命をかけたお産になった事例もききました。きれいごとじゃなかった。でも。ただ、命があればいいのだろうか。もちろん命は最低限として、心が大丈夫であること、健康であること。幸せであること。そんなお産を選び取るために、そのための方法を知らないといけないと思いました。

ただ、冨田さんが繰り返していたのが、「脳幹を使う」ということ。今の私たちは大脳が働きすぎて、原始的な脳が働いていない。考え過ぎるから、妊娠もできにくくなっているのではないか。どうやって育てたらいいのかわからなくなるのではないかとも言っていました。

産んでから「なんかおかしい」と思う女性もたくさんいるみたいです。

敷かれたレールに何も考えずに乗ってしまわないために、それ以外の選択肢を知ること、そして感性、感覚、本能と言ったものを、復活させて選び取ること、取り戻すことが大切なのかなと思いました。

もう一つの希望は、人は産まれ直しができる
という話。

こんな風に産まれてしまったから、産んでしまったから、もうどうしようもないんじゃなくて、何度でも、例えば布団から出てきて、産まれたー!って幸せそうに叫んでもいい。

そんな風に、自分の記憶を後からでも塗り替えていけば、過去は変えていける。

とにかく素敵な時間でした。

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