結婚できなかった次善の人生プランも一応考えておく
私は当初は「結婚は絶対する!」と思って結婚前提の人生だけを思い描いていました。もし結婚できなかった場合の人生を描いてしまったら、そっちが叶ってしまいそうで嫌だったからです。
でも、34歳になったある時、「できるかどうかわからないことを前提として人生を考えていたら、もしできなかったらどこにもたどり着けないんじゃないか」と思いました。
言い換えると、もうそろそろ夢ばかり見るのはやめて、現実を見よう。
と思いました。
当時の私は、漠然とした夢で、田舎に移住して、拠点を持って、セラピーを仕事としたいと思っていました。でも、もし結婚相手がそういう感じの人じゃなかったら、例えば都会で働く人だったらそっちでもいいのかなあ、とか、海外で働きたい人ならついていくのかなあとか思って、そういわれると、そこまでかなえたい夢でもないのかなあ、と。
でももし結婚できなかったら、どうよ。
一生、今のままの暮らしでいいの?夢の暮らしも「いいなあ」と思いながらかなえないままでいいのか。
そう思ったとき、「結婚できなかった場合の次善プランも考えて、結婚プラント同時並行で進めよう」と思いました。
「結婚」に求めているものは何?
そう思ったとき「私が結婚に求めているものは何だろう」と改めて考えました
「子どもが欲しい」「支えあう相手が欲しい」といったイメージでした。であれば、例えば家族で入居できるシェアハウスに住むとか、古民家拠点を誰かと共同経営者とか、という方法もあるなと思いました。
もし、結婚相手が見つからなかったら、共同経営者を探す線で、住みたい田舎を見つけて、移住しよう。
それと並行的に結婚相手を探そう。
そう思って、私は長野県安曇野に期間限定で移住しました。
次善のプランを立てることが婚活スイッチにどうつながるか?
「結婚」っていうと、30過ぎても結婚できなかったという実績により、当時の私にはもはや「私にそんな大それたことができるんだろうか?」クラスに難易度が高く感じられていました。
また、相手が現れるかどうかには、正直運要素も強くあると感じていました。
それまでは、田舎に移住したいという思いがあっても「でもその前に結婚したいしなあ」というところに考えがいって先にすすめませんでした。「結婚したいけどできない」を言い訳に、他の夢を叶えることを気が付くと先送りしていた部分も多くありました。
それが、次善の策を立てたことにより一気に「これなら私にもできる」「今からできることがあるから一歩ずつ進むぞ」という気持ちになることができました。
「これから私は自分の力で田舎に住んで理想の暮らしを作るぞ」という本気の気持ちが生まれた気がします。もう逃げられないぞ、という。
そう考えると結婚に期待しているつもりはなかったんですが、やっぱりどこかで結婚したら人生が変わるというか、結婚してから人生が始まると思っていた部分はあったんでしょうね。
「気楽になる」効果もありました。
以前は、「このまま結婚出来なかったらどうしよう」という不安がどこかにありました。でも、計画を立てた後は、結婚できなくても、次善プランなら何とかなりそう。楽しくやっていけそうだなと思って、ずいぶん気持ちが楽になりました。このことも、相手を引き寄せる上でプラスに働いたような気がします。
「結婚したいという執着を手放せたとき、自然と出会いがある」
この言葉、聞いたことありませんか?私も何度となく耳にしましたがこのアドバイスはキツいなあと思っていました。
結婚したいために「結婚したいという執着」を手放そうと努力するんだけどそれは結局「結婚したいから」が根底にあるから、手放す努力をしている限り、手放せてないことになるという矛盾。
それで「どうやったら本当の意味で執着を手放せるんだろう」と悩んでいました。
それが、この「次善の策を考えておく」ということをしたことによって、執着を手放すことができたのも、精神的に大きな一歩だったのを覚えています。