英語圏在住経験ゼロからCEFR C2レベルの英語力になるまでのストーリー
はじめまして!代々木で小さな英語教室をやっています、松崎由起子と申します。今日は私の43年間にわたる英語とのかかわりと、英語圏に住んだことがないのに「ネイティヴと同じ」CEFR C2レベルの英語力を手に入れるまでの、ながーーーーい道のりをご紹介します。少しでも皆さんのお役に立てると良いのですが。一言で言うと、「英語がしゃべれるようになる魔法はありませんよ」、「悩みは一生尽きませんよ」、「だからこそ自分だけの向き合い方を見付けることが大事です⭐」というお話です。
それでは、はじまり、はじまり〜
◆初めて英語の音とリズムに触れた子供時代
1980年、東京生まれ。どんな子供時代だったかというと、とにかく歌ったり踊ったり陽気な子供でした。そして、見たもの、聞いたものは全てマネしないと気が済まないというめんどくさい性格でした(笑)叔母がジャズをやっていたり、両親が映画好きだったこともあって、英語に触れる機会はまあまあ、あったと思います。なので、英語だと気づく前からマネしていた可能性はあります。あと、小学校に上がると米軍基地の方が週1回来て歌を歌ったりビンゴをしたりという機会がありました。
◆コミュニケーションツールとしての英語を日々体感したフランスでの4年間
10歳のとき、突然父の転勤でフランスに行くことになりました。外国といえばアメリカだと思っていたので、「フランスって何 ?」「どこに連れて行かれるの?」という不安しかありませんでしたね。友人から「カタツムリを食べる国らしいよ!」と言われてますます不安になったのを覚えています。
1990年7月、フランス上陸!学校選びが始まります。3日間くらいかけて車で色々回ったのですが、日本人学校はパリ市内から遠く、車酔いする私にはスクールバスの道中が耐えられず断念。現地校も迷いましたが、たまたま見学に行った日に優しい校長先生が迎えてくれた(夏休みなので他の学校は無人だった)インターナショナルスクールに行くことになりました。
インターナショナルスクールは公用語こそ英語ですが、先生も生徒も色々な国の人たちが集まっているので、それはそれはカオスでした。発音一つとっても当然イギリスとアメリカは違うわけで、一所懸命練習してやっとイギリス風の発音を覚えたと思ったら担任の先生がアメリカ人になり「なんだその発音は!」と怒られたり、いじめられたり。今思えば、英語初心者にはけっこう劣悪な環境かも……。おまけにやたらとインド人の先生が多い学校で、聞き取れない授業も少なくありませんでした(苦笑)。英語が嫌いに……というか、ただただ呆然としているだけの日々が2年間続きました。「精神年齢が高すぎて授業がつまんないんじゃないか」(実は小5で今と同じ160cmあり、かなり大人びていたのもあるかと思われます)と飛び級させられ、余計大変でした。でも独特な発音の英語でも問題なく聞き取れるのはこのときの経験のお陰です。インド人の友人とランチタイムにおにぎりとカレーを交換をしたり、英語一つで世界中の人と仲良くなれることを知り、「英語はツールだ!」ということを身を持って体験できた、貴重な4年間でした。
唯一の問題(?)は、世界情勢や各国の経済によって在校生の国籍のバランスが変わること。バブル真っ只中の90年代初頭はとにかく日本人が多かったのです。でも所詮は子供。日本が恋しくて、日本語に渇望していて、当時は日本人の友人たちと交換日記をしたり、日本のCDやテレビ番組のビデオを交換したり、日本の雑誌を見てPLAZAに憧れたり、そんな生活を送っていました。
◆「英語ペラペラ」な日本人との付き合い方含め日本における英語習得の難しさを感じた中高時代
帰国後は半年間区立の中学に通い、その後ICU高校に入学しました。帰国子女が多い学校だったので、「アメリカ在住十数年!」「日本語より英語が得意!」という子供も少なくなく、「私も一応理解はしてるししゃべれるんだけど、やっぱり違うなあ」と落ち込む日々。入学してすぐに「大変なところに来てしまった」と後悔しました。当時流行っていた「フルハウス」などの流行りの海外ドラマを観ては、アメリカの女の子や海外生活にひたすら憧れる毎日でした。憧れすぎてとりあえず大げさな身振り手振りでセリフをマネだけしてみたりしていたのですが、今思えばこれはシャドーイングというものだったと思います♫
高2のある日、本屋でたまたまTOEICという試験のパンフレットを見つけました。周りがやれ英検準一級だ、一級だと騒ぐなか、競争に疲れた私はふと「人と違う資格が欲しい」と考え、申込みます。合否がハッキリする英検よりお得かな?これから流行りそうなテストだなとも思いました。結果は830。当時は今と少し違う内容でしたので、簡単だったとは言いませんが、少なくともビジネス英語の知識は必要ありませんでした。誤文訂正など、学生の知識でも充分に解ける問題ばかりだったんです。面接もなく、ライティングもないので、むしろなんて優しいテストなんだ!と思いました。
ちなみにその頃は友人はおろか両親も、ましてや学校の先生も、誰もTOEICなんて知りませんでした。でも私が830というスコアを取得したことで興味を持って調べた人はいたと思います。人と違う資格を取得することで一気に一目おかれる存在になれることを知りました。もちろん、学習の目的はそこにはありません。が、達成感や自己肯定感は大事ですからね。特に日本では英語が出来るだけで幅をきかせるというか......なんか偉そうな人が多いので(笑)流されないようにしないと辛いです。
◆自分だけの英語を確立することの意味と「今あるものでも人の役に立てる」ことに気付いた大学時代
高校時代の英語コンプレックスを克服するため、大学は授業が全て英語で行われる上智大学比較文化学部に入学しました。……というとカッコイイですが、英語ばっかりやっていたのと、社会学が勉強したくて社会学科のある大学三校しか受けなかったので他(早稲田とICU)は全滅しただけです。結果的には良かったんですよ。でも入学前日までドキドキしていたのは事実。ぜ、ぜんぶ英語!Σ(×_×;)!??と。
でも積極的な発言を求められる少人数制の授業、そして週2回のプレゼン(科目ごとに)恥ずかしがっている余裕は一切ナシ。気付けばいつの間にか「恥ずかしい」は克服していました。「自分の考えを伝えたい!」という 思いも強くなり、また、「『私なんか』と落ち込むくらいなら発音の上手い人を観察してマネ(お得意の!)して、盗めばいい!」と前向きな考えになっていました。とにかく自分だけの言葉と発音を前向きに模索した4年間でした。大学2年生のときには英検1級に合格。亡くなった祖父がとても喜んでくれて、初めての腕時計を買ってくれました。
大学時代は慶應中・高校生が通う学習塾で英語を教えるアルバイトもしました。複雑な文法をいかに楽しく、分かりやすく説明するかを日々考えるようになりました。とても良い経験になりました。もっと勉強して人の役に立ちたい!と思いました。
↑10年以上経った今も「欲しい!」と大人気の手作り教材100ページ!
それともう一つ!実はこんなものを母が見つけて来てくれ、これも英語力アップには大変役立ちました。
「コロケーション」と言う、ある単語があったとき、ネイティヴがそれによく組み合わせて使う動詞、形容詞、副詞が多数載っている辞書です。コロケーションとは、日本語で言えば、「傘を使う」ではなく「傘をさす」の方が自然だというような考えになります。この辞書で、より「正しい」、より自然な英語を徹底的に学びました。
◆「英語ユーザー」になりたいという気持ちが芽生えたメーカー勤務時代
卒業後は東証1部上場の香料メーカーに就職。外資系に就職しないことを不思議がる人も いましたが、「日本企業の方が英語力を必要としているはず」との思いから、あえて日系企業を選んだのです。この判断は正しく、入社時から経営企画部という会社の中枢を担う部署に配属となり、会社パンフレットやホームページ、海外アニュアルレポートの翻訳、IR通訳などの重要な業務を任せてもらうことができました。厳しいけれど、とても充実した日々でした。責任を持って正確な情報を伝えること、そしてわかりやすく伝えることを学びました。
とはいえ、ここでもまた自分に足りないものに気付き、少しだけ落ち込みます。というのも、アメリカの子会社から電話がかかってくると若干手が震える!「Hello」のあと何も出てこない!のです。これはマズイなあ……と思い、ついにラーナー(学習者)からユーザー(使用者)になることを本気で考え始めるのです。
◆「英語ユーザー」になる!人から頼られる仕事で英語を使わざるを得ない状況で自らを追い込んだコンシェルジュ時代
もっともっと英語を「使う」側に立ちたい!との思いからコンシェルジュに転職。高級ホテルでフロントの隣に小さなデスクを出している相談係です。基本的に法に触れないことならなんでも対応することになっているんですよ。お受けできないときは代案を出します。
日本にいながらにして英語力を劇的にアップさせるには、毎日外国語が使える環境に自らをおくこと、そしてそれくらい逃げ場のない状況に自らを追い込むことだと気付いた私は、なんと一流企業を辞めて時給1000円のホテルのコンシェルジュになります。すぐに契約社員にはなれたものの、それでも年収200万円代後半というジリ貧生活。でも業務を通して毎日英語、フランス語、そして途中から興味を持った韓国語の勉強ができ、さらに色々な人の役に立てるところ!すっかりハマりました。「こんなに楽しいのにお給料がいただけるの!?」と、心から充実した日々を送っていました。
その後ホテルからレジデンス(ホテルよりも、より日常生活に関するやり取りが増えて、英語圏に住んだことがない私は毎日ワクワクしました)、外資系ブランドのカスタマーサービスと転職を重ねていくのですが、気付けば「お客様のために」(たった一人のお客様のときもありましたよ)という目的のために日々英語の勉強が続けられていたのです。結果、自らの英語のレベルも劇的にアップ。そう、TOEICで900を超えたのは、接客業の仕事を始めてからなのです。
さらに気付けば、個人的に勉強していた翻訳の能力や社内イベントでの通訳経験などを買われ、「英語ならあの人」という評価を得るようになり、再び会社のサイトの翻訳など様々な翻訳のお仕事を頂くようになっていました。ひょんなことからかなり上の上司に言われた「文章を書く仕事が向いてるんじゃないか」という言葉に勇気をもらい、約一年DHC実務翻訳のコースを受講し、出版翻訳オーディションに応募したところ2作品とも合格。2年の年月を経て、晴れて完成したのがこちら↓
プロとしてほぼ初めての仕事ですから、かなり本気で文法など学びなおしました。このとき、相手に映像を思い浮かべてもらうためには深い文法の知識が不可欠なのだということを学んだのです。私ってもしかしてけっこう英語出来る人?と思うようになったのは、33歳のときだったのです。
◆現在
そして35歳になった2015年4月、翻訳家・英語講師として独立しました。私が長年かけて見つけた英語習得のちょっとしたコツを皆さんにもシェアしたい!……という思いももちろんありますが、何より私自身が皆さんに英語を教えるという目的を手段にして、もっと英語習得を楽しみたいから独立!したと言っても過言ではありません。そして何より、人に必要とされることで自分自身の可能性がどんどん拡がっていくのは本当にワクワクして、大好きなのです。
【英語ナカマ募集中】私と英語習得を楽しんでくれるナカマは常時募集中です!
まずは英語学習カウンセリング。皆さんが思う以上に可能性は無限大にあります。ぜひお話しして、一緒にプランを作り上げていきましょう。皆さんのお話をじっくり伺い、多面的に見てアドバイスします。いかに英語学習を日常に取り入れて楽しく毎日英語に触れるか、それを最大限に考えます。
他にもたくさんのレッスンをご用意しています。
【資格】
TESOL
英検1級
TOEIC990点(満点)
TOEIC SW 380点/400点 (ライティング2回連続満点)
Cambridge English: Proficiency (CPE)(CEFRセファールC2最高レベル)
IELTS 7.5 (リスニング8.0、スピーキング8.5)
国際英語発音検定100点(満点)
国際英語発音協会認定「英語発音指導士」
ケンブリッジTKT (Teaching Knowledge Test) Module1,2,3およびCLIL英語指導者資格
ケンブリッジ英語教員向けスキルアップコースIELTS指導法コース修了
オックスフォード児童英語教師MATメソッドトレーニングコース修了
mpiフォニックス認定(R)試験 -知識編-合格
日本政府観光局 グッドウィルガイド
韓国語能力検定試験2級
フランス商工会議所仏語能力試験620点
アルクTOEICスコアアップ指導者養成講座修了
DHC日英実務翻訳講座AA判定にて修了
ストアカプラチナティーチャー
【指導経験】
K大学附属中学・高校・学の生徒様向け学習塾
大手不動産会社コンシェルジュ様向け接客英語研修
眼科医院様向け接客英語研修
エアライン接客英語研修
新百合ケ丘産経学園講師
個人の生徒様1000人以上
【翻訳経験】
ハリウッド映画関連翻訳
YouTube動画
バベル出版「ジャッキーの奇跡」(共訳)
企業ウェブサイト
プロピアニスト・ドラマー浅田亮太ウェブサイト
IR資料
国際見本市MC原稿
バイリンガルナレーション原稿
ブログ
業務委託契約書
マニュアル
取扱説明書
レターなど
クライアント様一例:JTB西日本、ソラシドエア、JIPANG-WORKS、 野沢温泉パール吉越、 プラスドリーム、 Pianey’s、 はないろむすび、 株式会社トータルサポートアカデミー、artrash graphics、COREBiz、合同会社クロステリア、浅田亮太、その他
【通訳】
武蔵一族 時代アカデミーなど
【英語ナレーション】
京都キッズコレクションVol.02ナレーション
子供用英語教材ナレーション
【発音ブログ】
【YouTube】
https://youtube.com/@honyakuconcierge
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?