知られざる「本屋 余白」の名前の由来 その②
こんにちは。今回も前回に続き、私たちの屋号「本屋余白」の由来についてお話しします。さらに、「よはく」が漢字になった理由や、幻の屋号まで公開しちゃいます。
まだその①を読んでいない方はこちらを読んでみてください⬇︎
改めて、「よはく」を思いついた時の即席メモのコピペを下に。
窮屈な人生に余白を
本と余白をかけた
我々の真っ新じゃなくて既に書き込まれてはいるけどまだいっぱいじゃない
俺と陽平のモラトリアム性
他者との心の関わり
このビジネス自体も場を提供して余白で顧客がそれぞれ自由に価値を発見する
目的思考だったら自分の利益に繋がる人しか関わらないけど、余白があれば色んな人と繋がろうと思う
その①では4個目の理由までご紹介しました。今日は5個目の理由から。
他者との心の関わり
やや抽象的で分かりにくいですね。おすすめをしてくれた人と読んでくれた人が本を通して間接的につながる、ということを両者が意識することで、他者への想像力を働かせることができます。本をおすすめするとき、買うときにきっとつながるかもしれない"誰か"を想像することで、見知らぬ世界への想像力が生まれます。この不確実性や想像力が、余白と繋がる概念だと考えました。
このビジネス自体も場を提供して余白で顧客がそれぞれ自由に価値を発見する
この文章はそもそも、余白のサービスモデルとして"おすすめしてくれた人と購入してくれた人をSNSでつなげる"というものを想定していたという背景があります。(2022年4月24日現在、既にこのサービスは停止しています。)このサービスでは、SNSでつなげてそこで本を通して新たな交流が生まれることを狙いとしていました。そのつながりまで余白は介入せず、どのように利用していただくかはお客様次第でした。つながり方までは規定しない、プラットフォームとしての「よはく」を念頭に書いたメモですね。
目的思考だったら自分の利益に繋がる人しか関わらないけど、余白があれば色んな人と繋がろうと思う
目的を掲げてそれに向かって一直線に進む時、人は最短距離を歩みたくなります。すると、人付き合いが過度に損得勘定に基づいてしまうと私たちは考えました。目的を達成するためにこの人は私に何を与えてくれるのかを考えながら人と付き合う。その結果、視野が狭くなってしまったり脇道に逸れることを恐れたりしてしまう。短期的な効率は良いかもしれませんが、それは豊かな人生を歩めているのでしょうか。脇道にこそ、知らない世界にこそ、自分にとって大事な何かが待っているのではないでしょうか。心に「よはく」(ここでは「ゆとり」のようなもの)があれば、関わる人を選ぶことなく、新たな出会いや新たな発見に前向きになります。そういった姿勢や生き方こそ、私たちが理想としていたものでした。
次回は「よはく」が漢字になった理由と、「余白」になる前の仮の屋号についてご紹介!