【エッセイ】何者かになりたい!
何者かになりたい
というフレーズ二耳なじみがあるな。と唐突に思った。
”ワナビ”なんて言葉も聞いたことがある。
2つとも何か特別な人になりたい! とか、有名になりたい! などの願望を含んだ言葉だと思います。
こういった望み、欲をテーマにして書かれる作品も多い様な気がします。
ただ僕はずっとこの言葉に違和感を覚えていました。
今日は何者かになりたいと言う事について書いていきたいと思います。
そもそも何者かになりたい! というのは具体的にどういう意味で使われているのかを考えたいと思います。
例えばアイドルになりたいとか、配信者になりたいとか、小説家になりたいとか、何か特別そうな生業(なりわい)に就こうとするときにこの言葉が登場するように思います。
それも名乗るだけとか小説を書くだけ、という事ではなくて収入を得たい、その事で暮らしていきたいと言う様な意味を含んでいるように思います。
アイドルも小説かも自称できるので今からでも成れる、とは思います。
でもそうじゃない。
その仕事で有名になりたいし、あわよくば儲けたい。
それが何者かになりたいと言う欲求の本質なのかなと思います。
もちろんこの感情を否定するつもりも批判するつもりもありません。
承認欲求のおかげで力が湧く人もいるでしょう。
ただ僕が勝手に心配しているのは”何者かにならなくてはならない!”という脅迫めいた感情です。
アニメや小説でも特別な人間になれない人物の苦悩はよく描かれてます。
また現実でも、野球の大谷さんや将棋の藤井さんを見てコンプレックスを抱くような人をインターネット上では見かけます。
僕としてはそこまで自分を追い込まなくても良いかなと思います。
というのも、個人というのは誰しもが独立した意思を持ち、その人としてしか生きることができないからです。
人というのは生まれながらにして”その人”であって、特別な個人だと思うのです。
産まれた時から何者かではある。というのが僕の考えです。
だから何者かになりたい! という言葉に違和感を持ったのでしょうね。
産まれた時から特別な人間じゃん。
というのが僕の考えなのでしょう。
もちろん、有名になりたい、特別な事を仕事にしたいと言う気持ちも分かります。
しかし生まれた時から個人は特別であって、有名にならなくてはならないとか、一般的な生き方をしてはならないというようなルールはこの世界には存在しないのだと、頭の隅にでも置いておいて欲しいのです。
なぜこんなことを言うのか。
やはり創作物を見ると悩める主人公たちから、こういった脅迫めいた感情を感じるからだと思います。
僕が勝手に心配しているのでしょうね。
有名になりたい! 特別になりたい!
そう言った考え方に囚われ、圧迫されていく人が多いのではないかと勝手に考え、勝手に考察し、勝手に書いてしまいました。
もちろん何者かになれていないと言う人を、慰めるため助けるために書いた訳ではありません。
何者かになりたい!と強烈に思っても良いのです。
しかし何者かになりたい! という感情は諸刃の剣であると僕は思います。
何者かになりたい!という言葉に呪われている人が居るのならば、少し落ち着いて”何者かになりたい!”ってなんだ? と考えていただければ良いのかなと、またしても勝手ながらに思います。
何者でもない1個人より。