なまえのあるもの
蝋梅。ロウバイ。ろうばい。
ろうばいの香りに 足を止めてふりかえる。この花に名前がついていなくても、香りが無くなることはない。そんな文章を何かで読んだことがあります。あれはたしかバラだったかな?。。本当にそうだな~と思います
今日という日が、何月何日かは知らなくても、どんなエネルギーが流れている日なのかは知っていた
それが日常だった時代に きっと先人たちはみがかれた体感から統計を出し、そこに惑星や 星の動き、太陽の傾き、月の満ち欠けなどから受けている恩恵、影響などの情報もくわえ、さまざまな角度から答えをみちびき出してきたのですね。そしてその知識を共有したり、たくさんの人が扱いやすくするために、いろんな名前がつけられたと思うのです
考えることから、感じること
感じることから、考えること
呼び名がすでにあるものに対しては、感じるよりも先に脳が処理してしまう事の方が多いような気もしました
呼び名がある事で、ふと意識がもどり向き合えたり、カレンダーに書いてある「春分」という文字に目がいかなければ 知らずに通り過ぎていた。という事も···
毎日の中で、五感を意識することは、慌ただしくなりがちな日常でゆったりとした時間にひき戻してくれる とても大事な瞬間だと感じるのです
ゆったりした時は、たとえ数秒だとしても丁寧な時間となり 呼吸もととのえてくれる
その数秒を毎日つくることで、自分の意識がいつもどこにあるのかも気づかせてもらえるので、感じる時間は大切だな~思うのです
まいとしこの時期になると、葉をすべておとしてから花を咲かせるのに、今年は、すこしの葉をのこして咲いているろうばい
マスクごしに、この香りをとらえたとき、香りの粒子がどんなふうに漂っているのか感じてみました
ちいさな ちいさな香りの粒子は、となりあった他の粒子たちと、つねに、微細なしんどうでうごいてる。人が通った時におきる風でひっぱられて舞い上がり、気流ができてうずまきみたいになる
こんなふうに、かろやかにそこにあるように思うのです
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