人間は考える葦である
という言葉が最近非常に好きです。この言葉にとても納得します。
このところ、「考える」ことについてよく考えます。本を読んでいても映画を観ていてもyoutubeをみていても、何となく自分なりに意見を考えています。
もともとメディアは何であれ、考えさせられるエンディングのものが好きです。終始ハッピーな話なんて、世の中にそうそうないと思っているからです。どんな起承転結にも紆余曲折があるもんだと思っています(そもそも起承転結の転よ)。ハッピーエンドの話はどうも釈然としない。
何かのnoteで書いたかもしれませんが、後味の悪い作品が好きです。いわゆる「胸糞」オチ。どうして好きかというと考えさせられるからです。主人公やその周りの登場人物や、それを作った制作側の気持ちなんかを自分なりに考えると、それこそ納得したり正解があるわけではないですが、その作品を通して「考える」ことが出来るからです。
そうして題名に戻りますが、そもそもこの言葉の意味をまんまググりました。
「人間は自然のなかでもっとも弱い一茎(ひとくき)の葦にすぎない。だが、それは考える葦である」
(いや私がnoteで引用とかしちゃうなんて・・・初引用やん・・・)
最も弱い立場の存在には、「考える」という能力、もしくは才能が備わっている。
どんな人間でも、大小や質量の違いはあれど、考えるということをしますよね。「今日夜ご飯何食べよう」も、「明日をどうやって生きよう」も、内容の差はあれ「考える」という括りの中に属します。人間は毎日、下手すれば毎秒何かを考え、選択し、行動しているのかもしれません。
今まで座右の銘はと聞かれたとき、私には答えられる一文が無かったのですが、今後はこれが回答になるかもしれないなと思いました。ただこれって座右の銘なんでしょうか(笑)