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【選んで無職日記47】善意の人助けに困惑
2024/9/2 月曜日
昼前、前職の先輩とちいかわハッピーセットを食べるランチに行くのに家を出た。最近はワイヤレスイヤホンからヘッドホンに切り替えており、まあまあ暑い気温の中で耳をムシムシさせながら歩いている。
今日もいつも通り音楽を聴いて地下通路を歩いていたところ、前方20メートル先くらいでおばさんが転んだのを発見した。ついていた杖が前に滑ったかなにかで体勢を崩し、そのままぐちゃっとつぶれるような形でへたりこんでしまった。
うわ、わわ、と思ったのと同時に、すぐに立てば問題なさそう、と思ったが、なかなか起き上がらない様子を見て私は意識せず走り出した。
大丈夫ですか、と声をかけると、おばさんは何とかして立ち上がろうというそぶりを見せつつも返答がなく、もしかして足折れてる?と思う。やばい、車、車呼びましょうか、と、救急車のことを思い浮かびながら声に出していたのかどうか、私も記憶があいまいなのだが、大丈夫ですか、手お貸ししましょうかと声掛けを続け、なんとかおばさんは立ち上がった。
ようやく立った時に「ありがとうございます」と言われたが、マスク越しの顔色が黄土色で、思わず「お送りしましょうか」と伝えたが、大丈夫ですとおっしゃるのでそのまま別れた。
マックに向かう途中、何故か自分の心が高揚していることに気づいた。十分ではないかもしれないが、人助けが出来て嬉しいという感情だった。だがしかしその後に、そう考えている自分にぞっとした。人助けをして自分自ら満足しているのだから、恩着せがましい厚意の押しつけだ。もちろん彼女にとって必要なサポートだったのであれば嬉しいが、そういう行為は至極当たり前であって、自分で認めて称賛しようとしていたことに気づいたのが恥ずかしかった。
ああいう時にもっと適切なヘルプが出来るようになりたいし、見て見ぬふりせずすぐに駆け出せる心を持ち続けたい。そして出来れば”良いことしたな”と思わないようにしたい。思っても別にいいのだけど・・・自分のことなのに難しい感情の動きだった。