文字が読めることの喜び
さぼり癖がすごいですね。あけましておめでとうございます。
もう一月も最終日で、新年のご挨拶とは甚だ失礼だ。
一月は何故か怒涛でした。転職活動をしていた時期と同じくらい、毎日がハプニングの連続。2022年始まって一か月しか経っていませんが、もう疲れました。
今疲れた、とタイピングして、自分が疲れてるんだな、と気づきました。文字起こしする意味ってこういうところもありますよね。視覚で判断することで状況の理解がしやすくなることもあります。
私事ですが、一月は体調を長く崩していました。これについてはちゃんとまとめて文章に残したいなと思っているのですが、うん。
それで、仕事もままならない日が続いたわけです。朦朧とする意識の中付けているテレビのYouTubeの内容もよく覚えていない、映像や音声が目の前に繰り広げられているものの何も得られない、そんな日が何日も続きました。
そうなると何が出来ないかと言うと、読書が出来ないわけですね。文字が読めない。文庫本を開く気力もないし、文字の意味を理解できない。
読書というのは本当に体力と知力を使うのだなと改めて身をもって感じました。
体調が悪いので仕事をお休みすることになり、そうしたらちょっとは読書捗るかな、なんて最初の方は甘く考えていました。いや~読んでない本も溜まってきたし(こういう時私はよく積読という単語を思い出しています。積んどく)ちょっと進んじゃうかも~体調不良でお仕事お休みするなんて久しぶりやんけ~、なんて思っていたのです。馬鹿です。
結局体調が悪かった二週間くらいの内に一度も本を開けることはありませんでした。ちなみにそれまでに読もうよもうと思っていたのはこちら。結局回復してから開けることになりました。
そして昨日読了したのがこちら。
木曜日の子どもを読み終えて、内容がどうこうというよりはまず「文字が読めて理解できた・・・」という気持ちの方が強かったです。え、言ってる意味理解できる・・・みたいな(笑)
今年も沢山文章読みたいです。健康でいて。