早稲田どらま館企画『えんげきの”え”』の「観察」の三日目
二日目の観察はこちら↓
◆企画の3日目
暑い日が続いています。そんな8月3日は、早稲田ではオープンキャンパスが実施されており、受験生の方も多くいらっしゃっているさなか……。
私は14時に早稲田どらま館に到着。
本日は主にCチームの稽古を中心に観察していきます。
◆段ボールが増えている。
Cチームの俳優たち、本番仕様の衣裳ということでスーツを着てた。この短い時間で各々、よく集めてきたなあ。
そして、昨日より段ボールの数が明らかに増えとる。段ボールまみれの劇場内。これが舞台美術代わりになるという寸法です。
明日は別の2チームがそれぞれ別の稽古場で練習に使っている段ボールが来るので、つまり3倍に膨れ上がる事だろうなあ。
◆舞台美術はどうしても欲しかった
演劇で、舞台美術は、どうしても欲しいと思う山本だった。舞台を見に行ったら、美術が立ってないとやだなあと思う派なのです。や、モノとしての美術がなかったとしても、せめて、美術の概念は欲しい。
この企画用に戯曲書く時、何とかして舞台上に舞台美術が発生させられないかと思っていました。や、だからといって、お金や手間もかけられないのは分かっていたけれど。
さらにそこに、企画に参加する人の意図も入れるような余地がないと、ただのワガママになってしまうなあ、……と思って、考えた結果、ト書きに、
と指定した。段ボールなら、何とか集められるのではないか。
さらに、舞台美術はただの飾りではなく、演技と共にあるようなものにしたいなあと思い「うどんさん」という、舞台上の物をひたすら運搬しているというキャラクターを作成した。
そうすれば、舞台上に物が「ある」→「ない」と、動きが付けられる。場そのものが変化できる。風を吹かせることができる。美術とどう俳優や演出が関われる余地も作れるんじゃあないかというところ。
さらに、劇中こんなセリフも入れました。
「そうは見えなくなってしまった」場所として、段ボール、つまり、美術をどう演出してくれるのかなあという願いを込めて、このセリフを書いてみたんですけれど、果たして本番では、どうなっているでしょうか。
そしてCチームは、段ボールを増やし、後方にオブジェのようなタワーを作っていた。劇の最中、「一つ一つ畳まれて」崩れていく、という演技を、今日は稽古で試していたなあ。
◆Cチームの稽古
今日は演出の小川さんが不在。演出助手の浜田さんが司会をして、稽古場を運営していました。
Cチームは稽古のフォーマットを固めており、
⓪範囲の決定・目標設定
① 実演
② 休憩
③ 俳優ターン(1人づつ)
④ ディスカッション
と、この次第にのっとり稽古を進めていた。
これは、演出の小川さんが定めたことなのだろうか。
このフォーマットにより、俳優たちは一人一人、演出の存在に寄らず、自主的に稽古をすることができていました。
Cチーム、本当機能的に稽古していたなあと思った。停滞の時間なく、一人一人、前進ができるように。
このフォーマットのやり方が最善かどうかは分からない。でも、こうした「フォーマットを定めて、稽古のルールを作り、それが運用されている」事が、こうした企画で出現していることに驚いている私は、明らかに、時代に取り残されていると実感した。
私は古い。とてつもなくセンスが古びている。
見習わないといけない。
◆課題とディスカッション
このフォーマットにのっとりながら、俳優たちは発言しながら、午前の稽古で出てきた自分の課題を設定していく。
今回の全体的な目標設定は「関係性を探る」。
平野(カツデンテイ役)
「やってやって」というわりに具体的な指示をせず、すぐにあきらめるカツデンテイ。ちゃんと「やってほしい」という意志を相手に通してから諦めたい。
内田(うどんさん役)
関係性はわからないが、舞台の最初から板付きでもいられる事が分かった
桜木(トマリト役)
ゼタさんへの反応が出来ている感。内々定を取り消されてしまうのではないかという事にちゃんと恐れられる。
ほたか(ゼタ役)
カツデンテイとの接し方。トマリトに対しては素直。うどんに対しては関心がない
と言う感じで、一人一人、稽古を通しての自分の実感を話して、ディスカッションに入る。
桜木
ゼタさんが見てくれるようになった前半。だから反応を返しやすかった。
内田
二人(トマリト・ゼタ)の謎の再会があった事が見てて面白い。うどんさんとして中にどうやって入ろうかはまだ分からない。
平野
先ほどのトマリトに対する感じは怖い感じでしたか?
桜木
目つきが怖い感じだった。
平野
自分としては昨日の通しより今日の稽古した雰囲気の方があっていた。この方向でブラッシュアップしていいか。
関係性を探った結果、「相手を見る」「舞台上に居る人物の出かたを伺う」という事に鋭敏になって、それらを受ける演技を意識しようという機運になって行ったなあ。
◆窓
さらに議論は、関係性の演技からテクニカルな事へも話題が広がる。
懸念だったのは「窓から外を見るシーン」で、全員がどの地点をみるといいのかを打ち合わせた。
全員は、セリフの中にあった『「煙」を見る』でいいのか?
あるいは、もっと遠くなのか?
ト書きには「五階建てのビル」とある。では、高さはどれほどか。下を見る方がいいか、それとも、もっと遠くを見るのか。
俳優たち、とりあえずの目標物として「劇場の壁面にあったシミ」を見たらどうかとなりかけるが、実際の照明になってお客さんが入ったら見えない。その事実に気づき、みんな、大笑い。シミは見えないよ……という事で、別の目印を探る。
Cチームは、登場人物の一人は下手にある椅子から窓を見ることになったから、その角度から見えたものを、他の立ち位置の人物たちも見ることにということで、座った人も立っている人にも、説得力のある窓の位置を設定する。
この、舞台に置かれていない「窓」は、観客とどう共有できるのか。本番が楽しみな感じだ。
◆トライしていく俳優たち
稽古はディスカッションから、次のトライをどうするか。その目標を話し合う事に。
「関係性の変化」という案も出つつ、それは抽象度が高いね、という事になり……。
実際の上演の場所であるどらま館での稽古であることを生かして、構造上まだ試せていないところがあると気づく。
たとえば、アクティングエリア外での声を出すシーンや、段ボールをオブジェとして大量に積んだものをどう回収するか(台車の使用やひもの活用など)まだ試していないことが多い事に気づく。
また、後半で持ってくる「水の入ったとされる段ボール」は、他の段ボールとは違うものがいいのではないか、という話題にも。
そこで次の課題は各自の見つかった問いで遊ぼうということで「発表前に試したい事を試す」という事に。
実際の照明も入れ、本番前の最後の試しのつもりで、各人、思い切った事を、特にうどんさん役の内田さんは、今手に入る小道具を駆使して様々な事をやってみていた。
稽古後の、俳優ターンとディスカッションにて、試したことや感じた事を語り合う俳優たち
内田
いろいろわかりました。台車に段ボールを載せるとだめだった。台車を使う意図は「序盤苦労して運んでいるのを、後半ラクして運んでいる」を見せたかったからだが、大きな音が出てセリフが消えてしまうので1か所だけにしようと思う。先の表現は「段ボールを一つ一つ畳んで、軽々と運んでいる」という事で出していく。
平野
「やってください、やらないですね、はい」で終わらせると面白くない。
ちゃんとやって欲しいという感じをもった状態で臨みたい。
水の下りは出来たと思っている。そこが出来たと思っちゃい過ぎて、ゼタさんに出て行ってほしいところがぐだぐだだった。
桜木
ぴえんを意識。(前の発表で)デフォルメされたトマリトを見て、礼を多くしてみた。
窓のシーンの後の、社長室に行く動機が今までつかめなかったが、「好奇心」という形で動機を作ると行ける事を発見した。
ほたか
もっと試せばよかったなあ。
トマリトにじゃれついている感じはあるけれど、「だれでもいい」と言われたのが痛いところだと実感。自分よくないところを指摘されて居づらい感じが出せた。
などなどなど……議論が膨らんでいく。
◆足し算と引き算
演出家の不在の稽古場で、俳優たちはどんどんアイデアをひねり出して、足していく。
すごい。
なんて豊かな稽古場だろう。
それはシステムとして「目標設定」「トライ」「自己フィードバック」「ディスカッション」というプロセスがあるから、その創造性を「個人の勇み足」ではなく、安心感をもって稽古場に提示していい、というのがあるからかなあと思った。
同時に、観察している私から見ると、俳優の出すアイデアって、何か盛ったり、「足すこと」になっていくなあと思った。
それは、今の段階は成果を上げているが――。
演出助手の浜田さんからは、演出の小川さんの残した演出、特に「虚無」の感じが少ないと感じた事を話題にする。
皆、初日で小川さんが出した演出におけるキーワードである「虚無」について、立ち悩む……。
・・・・・・・・・・・・
ここからは、稽古場で僕が思った事。
俳優の持ち寄るアイデアは、「足す」プラン、つまり「する」という方向性が多い。
「こうする」「ああする」というアイデア出しが俳優から提案できるこのチームは、もうかなり「堂に入っている」成熟さを感じる。
そして、今ここに必要なのは、引き算の発想。何をしないようにするか。何かを引き立てるために、何をしないか。そして「する」から「居る」へ。
「DO」のプランから、「BE」の状態へ、どう自分が居られるかをやるタームになったんだろうなあと思う。
そしてその時助けになるのが、演じない立場で劇を作る、演出家の役割なんだろうなあと思った。
「する」ではなく「いる、ある」を促す存在。
Cチームは皆、「虚無ってどうすればいいのかなあ」と苦戦している。
虚無の作り方は、おそらく「する」ではなく「いる」の発想ではないかなあと……観察して思ったことです。
俳優の足し算と、演出家の引き算がかみ合った時に、稽古って、掛け算のような創造性を生むのかもなあ、と。
――みたいなことを、稽古場に居合わせている僕はすごくこのチームに言いたくなったが、こらえる。
私は「観察」だ。ぐっ、と、観察をするのだ。
チームに影響は与えてはならぬぞう、と……。
でも、ここに書いたのは、この記事をチームの皆が見るのは多分、時間的にも発表が終わった後だと思うから、だから、影響は与えないだろう、ならばよし、ってなもんで、今、思った事を書きました。
虚無は引き算で出現する。
しない事、したいのにできない事、表に現れることがついぞなかった感情、仕草、言葉たちを飲み込む、引き算になった身体から出現するんじゃないか。
それは私たちが日常的に、強いられていることでもある。
口にできなかった言葉たち、出せなかった感情たち。叫び出したいのに、声を上げる事すら許されない私たちの社会。その中で、無かったことになる身体たち、存在たち、感情たち。
これは、間違える以外に出せなかった、本来では出現しなかった何か、を意識して書いたセリフだったのでした。
・・・・・・・・・・
「でも、虚無は疲れる。さっきのは、楽をしてた」
そういって笑う内田さん。
だれよりもチーム内で率先してアイデアを出して、足し算してたなあ、内田さん。
いい俳優で、このチームのいいお兄さんって感じだなあ。
◆「共演」するということ
何度目かのトライの後、「共演」という考え方の議論が出てきたところが興味深かった。
内田
人物同士の関わり合いが少なくなるとエネルギーが減る。
虚無になるにしてもシンプルにエネルギーが高い方が面白かろうと思った。
エネルギーとは何か……それは、「エネルギー」……エネルギーってなんだ。
浜田
「緊張感」という言葉でも言い換えられるかも
内田
そうかも。自分だったらこの一連の流れ(搬出が無事に終えられるかどうか)。そこに緊張感があってもいいなと思うがどうか。
浜田
「舞台上にいる他者の出かたを伺う」を失わないことも緊張感。「共演」するという事。キャラを自分自身でどう出すか、だけではなく、関係を見せる方向で行こうと小川さんは言っていた。
この「共演」する、という考え方。
自分の「やろう」とする感じにいっぱいにならない。相手の出かたをよく見て、それを受けて、自分が動く。
これは日常でも私たちが自然にやっていることだけれど。「演技」になってしまうとつい、自分に課せられたタスクを「出す」ことで精いっぱいな感じになる。
だが、「他者を伺い、他者の出かたで、自分の反応を出す」事は、本当の意味で他者と「共演」する事なんだなあと思った。
内田
怒りとか、ステータスの高い演技をすると「(他者と)切れてしまう」
恐怖とかは(他者と)繋がらなくてもできてしまうから。
自分の出したい感情を、いかに舞台上の他者に紐づける事ができるかどうか。
極端な事を言えば、日常、私たちが生活するうえで、自分の感情や感覚、考えを、他者に巻き込んで「共演」することができるか。
それは、大きな意味で、演劇が社会の中で求められている事ではないだろうか。
◆発表
そんなわけで三日目の発表である。
今回は明日の本番も試すため、実際の照明を使用してのものに。
それでですね、空間が暗くなるので、私、パソコンを起動させると明りが漏れちゃうので、あんまり記録できておらず、見聞録が他の日より簡素になってしまう事をお許しください。
今日も皆さんものすごく力が入っていましたよ!
〇Cチーム
稽古で決めた「本番前に試す」を強い目標として念頭にあった様子。
通し稽古よりも様々な事を試していたなあ。
平野さんは勝手に板付きで開始しようとして、演出助手の浜田さんに伝えずやってたので「俺には共有してぇ……」という感じになってたのが面白かった。
特に冒頭の部分、内田さんがとてもいろいろ仕掛ける仕掛ける……小道具をたくさん使いつつ、手数多くやってたなあ。うどんさんの躍動。そして稽古よりも荷物がテンポよくハケ消えていた。懸念だった台車のしようもコンパクトに。
そして稽古していたトマリトとゼタの触れるシーン。息を飲むように皆が食い入って見ているのを感じる。
僕の印象では、あと一歩、踏み込んでいけそうでもあったけれど。
さらに最後半でのトマリトとカツデンテイのやり取りは、照明の暗さも相まって、濃密な空間が出現できていたようにも思えます。
発表後のフィードバックでは、「そこにいると馬鹿に見える」と言うセリフで、後半のトマリトが本当に「バカな人を見ている」ような感じがあると発見。
桜木さんは「最後はカツデンテさんになればいいと思った」と発見して、ガン決まった目でうどんさんを見ていたので、内田さんが恐れていたのが面白かったなあ。
〇Aチーム
特殊な作業が入るため、舞台転換に時間がかかる事が判明しつつ……。
前回の発表からさらに深まった印象。
頑張って、脚本を外してセリフを発話していたのが伝わってくる。
例の田中角栄のシーンは、すごく張った演説のように。こうなったのか!
その、濃い登場人物のなかで、うどんさんがひたすら淡々と「荷物の運搬」に徹していたのが僕には印象的でした。
そして件の「切り替わり」のシーン。
わずかなミスがあったようだが、全体的にはさらに演出が加わり、音と照明の功か、振り付けの変更もあって、意図が強く、鮮明になったなあという印象があった。これは決まれば格好いいだろうなあ。
フィードバックでは、演出の工藤さん。「俳優が関係性を作ってくれた。アクトが自分のモノになってきた印象」と手ごたえを感じつつある。
ゼタ役の英さんは「ミスをたくさんした。細かいセリフを聞かずに行ってしまった。周りを見えるよう、集中していきたい」と語る。
ここでも「共演」という考え方が萌芽しているのかもなあ。自分だけにならず、いかに他者を見て、聞いて、影響し合って演技できるかどうかが焦点になっていく気がするなあ。
〇Bチーム
箱の数は少ないものの、箱の上に人形がのっかっていたりと、他のチームには見られないセッティングも。
そして今日から参加の庭師さんがカツデンテイ役として、初発表トライという形に。
工夫として、ほぼ全編に蝉の音が入るようになった。夏の暑い日の印象と、日常の延長、さらに、窓の外に見える煙という設定も相まって、企画代表の宮崎さんの感想に「終戦の日を思わせる」。
また、初日から議論された「触り方」も変更があり、トマリトが手をゼタの首に触れ、ゼタはその手に触れる、というような方向に。
これも興味深い変更だなあと感心したのでした。
フィードバックとして、演出の中嶋さんは「大変でした」と笑う。そりゃあ大変だったでしょう、僕も思わず帰り際、お声をかけさせてもらった。
蝉の音などを入れるのは、実は「さっき決まった事」。学生会館での稽古中に、蝉の音いいなと思って入れたら、フィットしたという。
前半と後半で雰囲気を変えたいという狙いがあり、照明なども連動する予定とのこと。
しみずさんは、初加入の庭師さんとの稽古を振り返り「テンポも含めて全体を練り直しつつ、居方を変えたりテンポを変えたりして。庭師さんの身体にセリフをなじませる。前段階のためにやってみた」と補足してくれた。
また上牧さんは「なかじ(中嶋さん)は、身体の演出と物の演出が得意」と説明してくれて、ぬいぐるみや、物が体に触れるという事に対して、繊細な演出があった事を明かしてくれました。
このチームも、みんなで演出や出演者を相互に盛り立てながら、意図を汲み、同意をとりながら、堅実に作品を作っているなあ。
◆三日目の感想
今日は本当、様々な発見があるとともに、皆、最終日の「上演」に向けて、緊張感と疲労が高まってたなーと思った。
特に緊張感、実際の照明が入る、という具体的なテクニカルなところが入ると、もうそれだけで張りつめるところがある。
でも、それってなんでなんだろうなあ。
なんで私たちは、「上演」と考えるだけで、ここまで緊張できるんだろう。ちゃんといいものを見せたい、と、思えるんだろう。たまたま集まった人たちが責任感のあるまじめな人たちが多いのか。
それとも、練習したものを、「共演」して見せる、という事自体に、希望と恐れを同時進行させるものがあるんだろうか。
そもそも、冷静に考えて、3日でここまでたどり着くのはすごいことだ。
でも、参加者の誰もが、「3日でここまで来たんだから勘弁してよ」なんて、思っていない空気がある。
毎日他のチームの進行を目の当たりにしているから、というのもあるかもしれない。
他者から、受け取っている。
受け取って、それに対して、私も何か、前向きな事で返していこうとする。単なる意地の張り合いではない、ギフトの送りあいのようなエネルギーが、この企画のしつらえによって発生している気がする。
願わくは、この空気が、早稲田という地域の演劇、ひいては、小劇場の運動全般に伝播していったらいいなあ、と思う次第です。
さて、最終日の「発表」がどんなのだったか、そしてその後のディスカッションではどんな事が語られていたかを、山本のフィルターを通してラストもこちらのnoteに描けたらなあと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。