ただ居る記。第四回
六月27日の水曜日は、所用のためただ居ませんのでご注意を……。
その一週前にも、ただ居た。6月らしい雨が降る。BUoYの地下では、演劇の公演が始まった期間になったらしく、サウンドチェックの音楽が聞こえる。
カフェーの店員が僕の知り合いの女性で、仕事ぶりをぼんやり見ている。業者から大量の飲み物の仕入れがきたらしく、一人でムンと重い段ボールを奥に持っていく。二の腕をぶんぶん振り回し、エプロン姿で、主婦感あるなあ、とぼんやり思った。
ぼんやり『孔子伝』(白川静)を読んでいると、また「ただ居る」僕に会いに来てくれた人が来た。実は結構前に、あったような、あってないような、そんな感じの男性。ただ最初、初対面のモードで話してしまい、男性もそのような感じで話し始めてしまって、それで、まあ、でも、それでいいんじゃないかと思い、そのままお話。
タロット占いをさせてもらう。
「何占いましょう」と尋ねると、男性しばらく考え「何を……したらいいか……」と絞り出す。「なるほどー」と思いつつ、そのままカードに触れることなくしばらく雑談した。
「占ってほしいかもしれないが、何を占ってほしいか、よくわからない」ということはある。「何をしたらいいか」という漠然とした問いに、タロットは答えは薄い。占星術をやっている人なら、わりとスパーンと向き不向きを出せたりするのだけれども、タロットはどうもそういう占いにならない。
そうそう、占いにも種類がある。占星術や名前の字画、誕生日占いなどは「命術」というジャンル。これは、個人の情報の中で動かしようのないものを扱い、何らかの計算を加えて答えを出すというもの。
メリットとして「スパーンとしている」「具体的に踏み込んだことを結構断言できる」「日にちや、相性など、かなり具体的な回答を出せる」というのがある。
ただ僕は、今一つ命術に納得いってないというか、「遊び」の部分が少ないなあと感じで、得意とはしていない。
手相は「相術」というジャンルで、人間の身体特徴を通じて性格診断や傾向を見るもの。これは古代中国では健康診断法にも使われていたりと、それなりに体系化されている。
タロットカードは「占術」と呼ばれるジャンルで、ランダム性のある手続きや現象、見立てから、なんらかのストーリーを発現させるやり方。僕はこの「占術」の、「見立て」とか「ストーリーをその場で即興で作る感じ」が面白いと思い、結果タロットを愛好することになっている。
だので、厳密にいうとタロット占いは、未来の事は分からないんじゃないか。
ゲームマスターと、プレイヤーの二人で作る、即興ストーリー創作のようなものではないかと思っている。
自分の問題点をテーマに、カードを使って今後自分はどうなるだろうかというストーリーを、その場で作っていく。占い師であるゲームマスターは、カードの解釈、意味などを告げ、ストーリーをガイドする。プレイヤーの占われ人は、そのストーリーに自分を合わせ、リアクションしていく……というような。
雑談をしつつ、「ああ、そろそろいいかなあ」と思いカードを展開する。一通り占い終わると、男性は、さっき雑談では言ってなかった話を、ぽろぽろとしてくれる。タロットの展開するストーリーに触発されて、思い出した事、話がまとまった事を、口にしたり、思いを寄せたり、決意を新たにしたり。
こういう感じが、タロット占いの良さではないかなあと思ったのだった。
男性と話し込んでいると、もう17時の閉店の時間。時間はあっという間にたつ。占いするという言い訳に、今日もただ居た。