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早稲田どらま館企画『えんげきの”え”』の「観察」の四日目


◆観察四日目

「えんげきのえ」の最終日は、観客を入れての「上演発表」と「演出助手による、経過の報告」がセットになった日程。
 参加者が3日間かけて作った上演物を見るのと、この企画の肝として、「何が行われていたのか」の報告を聞くというしつらえになってます。

 参加者の皆さんは午前からいわいる「場当たり」という作業をしている中、私は13時に来場。一応、客席誘導の役割として劇場内に。
 なんとなく、上演前の劇場のこの時間に、発声練習をしてしまう私。ストレッチしてしまう私。「あるある」と言ってください。
 一方参加者の皆さんは、あわただしそうに準備をしつつ、受け付け開始の直前まで忙しそうに調整を続けます。

◆最後まで検討は続く

 中でもCチームの楽屋での話が私の耳に。最後の最後まで「この衣裳でいこうかどうか」と打ち合わせしていた。
「会社を弔って見えるように、うどんさんの衣裳の色彩を黒にしたほうが面白いのではないか」と、内田さんは黒い服を持参し、着てみながら議論。

 Cチームは発表順が1番手。あと30分で始まるところ、最後まで粘って考えて、いいものを作りたいという意欲を感じつつ、演出に復帰した小川さんはそれでも「最後のトマリトの演出で黒い上着を脱ぎ、白くなる(脱皮)、という演出の兼ね合いもあるから、帽子は黒の物にして、前の衣裳で行こう」と決断を下す。
 提案に対して、何でも飲み込むという訳でもなく、考えを述べながら断を下す小川さん。前日、彼が演出するところを見られなかったので、どう決断していたのかを見れたのは趣深かった。

◆開場

 当日は劇場の外では早稲田大学のオープンキャンパスが行われ、受験を検討する高校生の方も多かった。なんとこの企画にも足を運んでくださる方もいて、うれしかったなあ。いわいる普通の公演という形ではなかったけど、どう映っただろう。

 観客のみなさんと共に、他のチームも観客席に座り、満員になる会場。
 発表順番は、セッティングの都合でC→A→Bの順番になった。
 なので、観客の皆さんは、オブジェのように積まれた大量の段ボールを目にすることに。

 よし。
 おれ、こういうの好きなんだ。劇場に入ったら、非日常なものがあるというのか。素舞台を否定するわけではないが、さびしい。これは僕の感覚ですけど。門をくぐったらそこに、日常ではない何かがあるというのがうれしいんですよ。

◆発表

 いよいよ発表になる。
 とはいえ、本当にすみません、ここからは山本、当然のことながら本番中はパソコンを起動できず、メモも取れなかったので、「何をやっていたのか」の詳細が書けず申し訳ない。
 簡素なものになります……。

 上演前に、企画代表の宮崎さんから、発表についての諸注意を述べつつ、「同じ脚本で3チームが発表する」という事を告げた時「あ、そうなんだ」って顔をした観客の人がいたのが興味深い。驚いただろうなあ。どういう感想を持ったのかしら。

 こういう企画、たしかにあんまりないかも。蜷川幸雄と野田秀樹の『パンドラの鐘』の公演は、同じ脚本で演出と出演者が違うのを同時期に、とかはあった気がするけれど……。
「同じ脚本で演出と出演者が違うものを、同時に見たい」というのは、需要ある気がするんだけどどうかなあ。

〇Cチーム

 14時やや過ぎにスタート。シームレスに、ぬるっと始まってくれる。これは脚本上でも、そうなったらいいなあと思って書いたこと。受け取ってくれた感じする。
 うどんさん役の内田さんが、しつこくカツデンテイ役の平野さんに絡み、平野さんはそれを受けて、強くうどんさんに反応する。
 この間、客電がついたまま。
 それが、脚本に従い、上演ベルのような音声と共に客電が消えると、その大きな切り替わりも相まって、舞台がさっきまであった明るさから、不安な暗さに。

 と、そう、今回、各チームも、ものすごい限定されながらも「照明」「音響」の領域にも演出を施していただけた。
 三日でだ。
 三日で、各々の舞台のイメージに合う照明のオーダーを出す。これは本当にすごい事。もちろんそれに応えるスタッフたち、中心になったのは、演出助手も務める中西さんと、舞台監督経験も豊富な伊藤さんだ。
 普通、こういう企画――僅か3日の企画、それも3チーム居る中で、ここまでしつらえる事って、本当、無い事です。できないんです本来は。できないんです。当たり前に照明が変わるなんてできないんです。
 でも、やったんです。当たり前のようにやったんです。当たり前を、できる人が、ここに居たんです。
 居ました。それは、各チームの照明に、その照明を点灯させるフェーダーの指に、そこに、いました。そこに人がいました。

 舞台はそのまま、3日間の稽古の中で、俳優たちが足したこと、さらに小川さんが敷いた「虚無」「不穏」にのっとって、それらを観客に見やすくなるよう、丁寧に提示して、置くように展開していく。
力も入る。間も、かなり丁寧に置く。

 観客の反応は静かだ。
 それは、観客からの強い反応を想定したものではないことに挑んでいるから。わかりやすい脚本ではない。その複雑さを、複雑なまま汲んでくれて。不安もあっただろう。闇の中を、走るでもなく、しっかりと地に足をつけて踏むように演じられる。

 そしてラスト。3日目の発表から、さらに新たな演出が追加される。
 トマリトはラストシーンで黒のジャケットを脱ぎ、白のワイシャツ姿になる。それはカツデンテイが白系の衣裳を着ていた事とリンクするのと、打ち合わせで耳にした言葉を借りれば、それは「脱皮」だ。
 上演時間の中で、登場人物の変化を、衣裳と演技で、無言で表現する、美しさのあるシーンに昇華させたのだ。

 Cチームは見事、トップバッターを上演してくれた。

〇Aチーム

 Cチームの上演が終わり、Aチームに。舞台転換をするのだが、ここでトラブル。舞台上にテープを張るが、足りないという緊急事態に。
 慌てる一同だが、その場で「想定していたラインより短いものにする」という事で窮地を脱する。
 そのため舞台転換が長くなり、やや場の空気が停滞するところで上演になってしまったが――。

 それでも、Aチームはスタートを切る。しり上がりに緊張感が増し、観客の集中力が増していく。それは、3日目の発表よりテンポがかなり改善されているからでもある。
 さらに言えば、Cチームの丁寧でゆっくりな速度感だったものが、いい前フリにもなって、2番の上演順番というのも功を奏した感もある。

 工藤さんの狙い通り、序盤はいいテンポで進み――狙いである「切り替わり」のシーンへ。

 先に1チームが演じられていた事で、観客は何が起こるかは知っていることを逆手に取り、「役を解放」「セリフを輪番で」「振り付けをくわえ、舞台上にテープで刻んだラインの上で言葉が置かれていく」が決まっていく。

 僕も客席で見ながら、観客に「喰らえっ!」と思った。必殺技出した感じ。いや、僕の手柄ではまったくないんだけどね。

 その「切り替わり」以後も、3日目でさらに磨かれた動きに加え、「普通に荷物を持ってくるうどんさん」という動きと、外を見続けるトマリトという演出が加わり、念が強化された感がある。

 Aチームも、持てるすべてを放った感がありました。

〇Bチーム

 舞台転換。Bチームはもっとも舞台上に物が少なく、しかし、段ボール以外のもの――人形がおかれているなど。さっきまでの2団体とは明らかに違うものが配置される、という喜び。ありますね。見てる方では。期待感が高まります。

 このチームはカツデンテイ役が唯一男性の庭師さんが演じることに。

 だが、他のチームよりセリフがはっきりと置かれ、クリアに伝わるように演出されていた印象。あらためて、この戯曲の言葉を観客席に今一度伝わるような感じがしましたよ。

 さらに、これまで提示されたカツデンテイ役とは全く違う、朴訥な風体、これは庭師さんの身体に寄った造形だったのだと思うけれど、観客は中心に配置されたその庭師さんを通じて、他のキャラクター達を見ていくような視線誘導になっていくように見えた。

 3日目から追加された蝉の音に加え、照明は強く、夏日を思わせるような前明りを要所で使う事で、より「終戦記念日」を想起させるものに。

 ここで脚本担当からネタバラシ、というわけではないですが……脚本での想定で、私がこの舞台の窓の外で起きていることは「ミサイル攻撃を受けて、街が燃えている光景」というものでした。冒頭の開場ベルのようなものは「Jアラート」のつもりで、東京が不意に攻撃を受け、ケータイも寸断される、というシチュエーション。
 震災前に、僕がリアリティのある災害として、好んで描いていたモチーフでしたが、このモチーフ、もう使えないかもなと思って長らく封印していたものでした。
 でも書いた。災害用に準備されたの備蓄が古びて、忘れ去られ、もしかしたら腐っているかもしれない。そんな時期を見計らって。そしてそれは、上演された。

 蝉の声を聴きながら、窓の外を見つめている私たち。
 戦前から戦中になっていく過程に、私たちはただ居る。そう、解釈してくれるように、作ってくれたのかなと思いつつ……。

 基本的にBチームの身体の在り方は、笑いを強く意識した身体。デフォルメの強い体で、前半はコントのような感覚で観客席に応答する。
 それが、「触る」シーンを経て、笑いの祝祭のあった身体たちが、窓の外の何者かを見つめる。

 昨日の発表よりテンポ感もあがり、なにより観客に一番わかりやすくウケていた。何をしているのかが明瞭だったというのもよかったのだろう。そのノリが、後半に呆然としていく。その緩急が、有効に効いていた。そんな印象がありました。

 そんな感じで、3日間の死闘の末、見事全チームが発表が完走。
 本当、怪我なく、全員無事で、何よりだった。本当ありがたい。
 そして、脚本をほぼ手放しして、すべてのチームが上演に臨んだのが、本当、すごいなあと思いましたよ。

◆発表後、演出助手による報告会

 最後に、この回のしめくくりとして「報告会」が開かれる。
 この企画で、何があったのか、どう稽古が進められたのか。その過程で、どんなことが発生したのか。それを見つめる会という趣旨。
 企画代表の宮崎さんから、この企画の概要を再説明され、「演劇の現場が多様化し、稽古場で何が起きているのか共有が難しくなった」「演劇を楽しむ事」「それでも楽しむためには、どうすればいいのか」を考える企画にという意図があった事をアナウンス後に、各演出助手からの発表が始まる。

〇Aチームの報告

 まずはAチーム担当の演出助手、中西さんより報告。
 中西さんは全体照明周りも担当されていた方で、なおかつ、Aチームは参加予定の方が一名病欠が出たという事で、急遽出演にも回ったという多忙さの中、稽古の様子を記録していた。

 特にAチームの特徴的な演出――後半、脚本のト書きから外れて、振り付けとセリフの輪読でシーンを作るところは、当初から演出家によって構想されていた事。初日は前半パートを構成し、そこは主に俳優主体のアイデアで構成され、2日目は演出家の想定していたシーンを作ったとのこと。

 中西さんがこだわったのは、3日目に、どう1日目と2日目のような稽古を融合させるかであったが、たまたま演出家が午前中不在になるということがあり、結果、前半は初日のように俳優主体で確認や深める稽古を行い、後半は演出家の想定していたシーンを深めるという事で、期せずしてバランスのいい稽古になった事を報告。

 また、中西さんのこだわった記録は、「発言タイミング」と「発言回数」。なんと、それらを克明に記録し、エクセルに記録されていた。
さらに休憩中の様子も、「休憩中、各々はどういうコマンドがあったのか」を記録。
 それらを分析すると、稽古の傾向が見えてくるのではないか、で締めくくられた。

 これ、本当驚いたなあ。ただでさえ中西さん、もろもろで多忙だっただろうに、こんな細かい記録をつけていたなんて! 

〇Bチームの報告。

 こちらは演出助手の小島さんより、どのような経緯で、舞台上の「ぬいぐるみ」は出現したのかを軸に稽古場で起きたことを説明していただいた。

 小島さんの報告によれば、当初Bチームでの稽古は、演出から一人の俳優への指示と応答、また別の俳優への指示の応答……といった形で、対演出家との一対一の指示のようなラインになっていたとのこと。

 これを小島さんは、どうにかして俳優同士でも議論のラインが生まれたらいいのではないか……と、目標設定した。

 ターニングポイントになったのは、初日の後半の稽古。ト書きに書かれた「触る」のシークエンスを廻って議論になった時に、小島さんは演出家に「達成されたい状態はどんな感じ? 観客にどう思わせたい?」などと問いかけをすることで俳優全体にも議論できるように下地を作るよう苦心したそうだ。

 そこから、俳優たちの中でも少しづつ、横の連携であったり、また、「この俳優さんは話の起点になる」「この俳優さんは最後にフォローを入れてくれる」と、特性を見抜き、それらを考慮しながら演出家に「問いかけ」をする事で、議論の動線を作ることに尽力した……という感じに。
 小島さん自身も、初日2日目は、どうにか稽古を成立させる、その役割で必死になっていたが、3日以降で「問いかけ」ながら、稽古場での楽しみを見出し、楽しめるようになっていったと語っていた。

 中でもぬいぐるみの出現は、「触る」のト書きをどうするかの議論の中で産まれた。
 「触る」練習として各人ぬいぐるみを用意し、物にどう触れるか、を試すうちに、それらを舞台上に出現させてみようという事になっていったとのこと。
 結果、ゼタ役の上牧さんがぬいぐるみをもって登場した……という経緯だと聞いて、なるほどなあ、こういう流れで、小道具の使用という発想になったんだなあ。

 そう、この「触る」というト書きに対して、どのチームも議論や、どう演じるかが課題になった。
 以前この見聞録でも前述したが、「触る」、身体を俳優同士が接触させることについては、俳優同士の同意はもちろんの事、「触る」という事を観客に提示するとき、もはやかつてのように、上演至上主義を建前に、無神経な演出をただやることは、よい稽古場ではない、よい企画ではない、という共通了解があった。

 この企画の初回に受けたハラスメント講習が念頭にもあったのかも。

 そしてそれは、上演の自由を阻害するものではない。
 むしろこうして、シーンを議論することで、上演の演出のヒントにもつながる、という事にもなるのだ。

〇発議・「この報告会の内容は参加者の同意をとれていないのではないか」について

 Bチームの発表もあった後、一度宮崎さんがここまでで質問を受け付けると、参加者からの発言があった。
 この演出助手からの報告の発表は、俳優たちにはそもそも具体的にどのような報告になるかは伝えられておらず(そもそものしつらえとして、「こういうことを報告します」とは共有が前提にされていなかった。演出助手が「稽古場のあれこれを最後に言います」とは知らなかった。知らない状態で、稽古場を観察したいという意図があったのかも)、稽古場の内情をここまで詳細に報告されるという同意は取られていなかったのではないか。
 今回は「触る」のシーンなどで、センシティブな自分の発言もあったかもしれないが、それを、第三者の観客を入れた状態で公開されうるのは、これまで参加者の同意をとってやってきたこの企画の趣旨に反するのではないか。
 という指摘があった。

 これは、重要な指摘。
 そもそも、稽古場はどこまで、公開されるべきなのかどうか。

 演出家のピーターブルックが何かの本(多分『秘密は何もない』だったかなあ)で、『稽古場は密室であるべきだ』と書いてた……気がする。見学者をいれない。密室だからこそ、稽古場は安全な実験場になる――みたいな、そんな感じの。

 一方、近年の稽古場におけるハラスメントの問題は、その稽古場が密室であるがゆえに、力のバランスが崩れるとその不均衡が見えづらく、容易に加害が発生してしまいかねないという問題もある。

 今回の企画は、そうした密室になりがちな稽古場で、何が起きているかを、3チームに同時に同じ脚本に取り掛かることから、可視化してみようという企画ではあったはずだ。

 だがそれも、参加者の同意がとれ、信頼されているからこそできうること。

 今回のしつらえは、結果的に「演出助手が黙って自分たちを記録・観察し、上演終りの報告が、ドッキリ企画みたくなっていた」という不信感を招くような構造になってなかったか。その意図はなかったとしても、そういう事になってしまってないか。

 企画代表の宮崎さんはその事実を認め、謝りつつ、五分間の休憩を挟む。

 そして次のCチームの発表では、使うはずの資料をCチーム全員で確認し、また演出助手の浜田さんから「俳優の発言や固有名詞を出す発表ではない。一部、ホワイトボードでの記録で発言をまとめた画像が映っているものがあったから削除する」という対応をすることで、次の発表に至る、という経緯にあいなった。

〇このレポートも、書くことの加害性に無自覚なのではないか

 そう、この「観察」と称した山本の稽古場の見聞録も、けっこう、稽古場で聞いたことをそのまま描いてしまっている。
 事前に参加者には「山本が稽古場での様子のレポートを書くぞ」とは伝わっていただろうけど、まさか毎日8000字くらいのレポートになるとは思ってもみなかっただろうし、けっこう、その場で耳にした発言には、名前付きで書き起こしているところもあったりする。

 中には本当、その場のメモだし、意図の違う発言として切り抜かれているところもあると思う。
 この見聞録は「各演出助手の同意をとった後、代表の宮崎さんのGOがあって公開する」というしつらえにはなっていたけれど、そう、これも、厳密にいえば参加者の同意は取られていない。

「観察」を任された僕も、今書いているこの文も、稽古場のレポートだとして、中でどんな事があったのか、第三者に見せたい、おもしろく、見せたい、みたいな事が優先して、無神経な記述があったかもしれない。

 先の宮崎さんの対応を受け、この見聞録シリーズも、3日目のレポートはいったん取り下げ、同意が取れるまで下書き状態にし、このレポートも全員に同意をとってからの公開となりました。

 僕自身、「書く」という加害性に、まったく無頓着、無自覚であったことは、あらためて反省をしなければならない。本当にすみませんでした。見たものを、書く、という事に、無神経なまま書いたところがあったと思い、思い当たるところは修正を加えています。また、参加者の中でご指摘があればいつでも修正に対応いたします。

 そして同時に、会が進行しているさなか、指摘をした参加者は、立派だなと思った。

 なあなあで済まさず、「これは違うのではないか」という事を発議できるというのは、勇気を伴う。

 この指摘や疑問が、こういう会でしっかりと出せる、ということが、演劇の未来に寄与することになっていくのだと思います。

〇Cチームの報告

 さて、最後の報告になったのはCチームの演出助手の浜田さん。

 まずは「映画『Coda コーダ あいのうた』のワンシーンを見てください」とのことで、とあるシーンの2分間ほどの切り抜きを鑑賞する。

 ある、音楽会の発表。会場は盛り上がる中、フッと、音声が消える。映画の中の登場人物の一人は難聴で、音を聞くことができない。観客席は幸せに包まれ、手が叩かれる。だが、難聴の登場人物は困惑しつつ、周囲の幸せな空気に合わせ、手を叩き、幸福の中に、ただ居あわせる――というシーン。

浜田「これを何故見せたかは、説明しませんが」
 説明しないんかい。

 浜田さんは特に、Cチームがどのように「稽古場でのルーチーンを作られていったか、その変遷」を説明していく。
 三日目の報告でも取り上げたが、Cチームは稽古のプロセスを作成し、そのルーチーンにのっとって稽古を運用していた。このようなしつらえになったのは、2日目の稽古からだったという。これは3日目に演出の小川さんが一時的に抜けるという事が分かっていたからという事情もあったのだろう。

 このルーチーンが、どのように形を変え、また項目が付け加えられていったかを説明される。

 最初は、演劇の稽古ならよくある
① 稽古範囲を演出家が指定し、
② 試演し
③ 演出家からのフィードバック

 の、この繰り返しだったが、次第に「目標をはっきり定めたい」という事から、最初に目標設定を作るターンがあり、また、演出家からのフィードバックではなく、俳優がやってどうだったのかを発現するターンが出現したという。
 しかしそこで、演出の小川さんがその俳優の発言の中「つい口出ししたくなってしまう。発言を遮って演出を始めてしまう」という事で「俳優ターン」という項目を確立させ、まずは聞き、その後「演出家のターン」を設け、最後に「ディスカッションのターン」を入れるという事になっていった、という。

 これ、3日目の見聞録でも書いたけど、こういう「稽古場のやり方そのものを、ちゃんと言語化してルール化し、同意と共に共有されていく」って、本当すごいなと思った。

 これが、3日の稽古で、変遷と改良がくわえられ、また、失敗した改良もあったという(俳優ターンの時に「寝転がってみる」をルール化しよう、とか)。

 浜田さんの中で「既に自明になっている物を、もう一度観察し、共有してみたい」という考えがあったらしい。

 報告の中では、これが自然発生的に生まれたものか、あるいは誰かの提案で形になったのかはわからなかったが、その中には「演劇に慣れてしまった人が当たり前にしていることを、ちゃんと見つめ直してみる」事は重要ではないかという指摘。
 これはまさに、今回の、稽古場で何が起きているか、どのような上演になったのかを探る趣旨に合致した考えだなあと思う。

 もろもろの説明があった中、浜田さんも迷いの中、この「観察」という方法が、自明なものを見つめ直すことが、直接は演劇の成果に直結するものではない事から、なかなか理解を得られなかったという所感を語る。

 また、そこで明らかになる――「ルールとして明確化、明文化、制度化」した事に対して、ではそこから外れることは、真の意味で自由なのか。逆に、ルールを順守すれば、それはよい成果を上げる稽古になるのか。

 わからない。

 浜田さんも、わからない、と、苦渋の表情を浮かべる。

 わからない中、それでも、今までブラックボックスのような稽古場で行われていることを「観察」することは、絶対に必要なプロセスで、必要な事ではあると、私も思う。

 この「観察」を、私も書くことによってはじめて、自分の中の無自覚な加害性に気づかされた。
 稽古場を見つめる事で、演出とは何か、稽古が前進するとは何か――相変わらずその、ゴールは、明快にならない、と思った。本当、闇だ。

 それは手探りで、身体と共に、五感を使って進むしかないものだ。
 その闇の中、それでも、他者とやるものが演劇の稽古だ。コミュニケーションをとって共に生きなければならない。

 闇が、闇である事を知る。
 その認識は、闇である事ですら無頓着であったこれまでより、僅かに前進させるものではないだろうか。

 最後に浜田さんはもう一度『Coda コーダ あいのうた』のワンシーンを見せて、報告は終了。
 これを見る、約2分間の沈黙で、参加者全員の頭の中に、いろんなことが浮かんだのだろうなあ。

◆会の終わり

 いろいろな事があったが、報告会は終了。まだ、劇場を出るまで時間がある――ということで、ブルーシートをひいてお茶を飲みながら、参加者たちは最後まで語らった。
 上演の事、この企画の事、広く演劇の事、そうではない雑談などについて。

 私はようやくここで、自分の中で「積極的に話しかける」を解禁して、各チームの輪に無理やり入っていった。
「この戯曲が難しいとすれば、どういう点が難しかったか、わかりにくかったか」を聞きたかったからである。

 惜しむらくは、本当、退館まで時間が無くて、なかなか話を聴けなかったこと……いや、「20くらい歳上の人間がぐいぐい話しかけるのも……ちょっとなあ」という遠慮が発動してしまって、なんか話しかけ下手人間になっていた。
 さらに、思ったよりも各々が、さらに議論を深めて語っていた事もあって。そう、みんな本当、議論がすごい。「終わったー、酒、酒!」ってテンションじゃないのな。すごく真摯。上演が終わった後ですら、真剣に議論をするチームがあったりして。

 結果、この戯曲が持っていた「わからなさ」を深いところまでもっと聞けなかったのが心残りだった。
 そんなわけで、参加者の方々、今後うまい事、出会えたり、話ができるタイミングになったら、その辺もっと伺いたいです。カフェオレでも飲みながら、話聞きたいです。本当。ぜひ、よろしくお願いします。

◆最後に

 そんなわけで、すみません、これ、発表で何が行われていたかが分かるような見聞録にはなかなかならなかったと思いますが……、以上でとりあえず終りでーす。
 なにが起きたか、何がやってたかは、あれですね、この見聞録スタイルでは正確には伝わらないかもですが……。

 本当、もう少し時間があれば、だらだらと、会場に残って延々と話をしたり、聞きたかったですね。また、3チームいたので、同じ役をやった俳優の人同士の話ももっと聞きたかったなあ。
 
 脚本を担当した自分の反省として、もっと戯曲、もうすこしだけ短く作ってもよかったかも。15分想定が30分くらいになってしまっていて、これは参加者の方々にすごい負担をかけてしまった。申し訳ない。

 だけど、それに応える参加者の皆さんは本当、ありがたかった。
 それに甘えず、今後はこういう企画に参加するとき、作品の完成度もさることながら、もう少し幅広く参加をしやすい戯曲、共にあれる戯曲を意識できるように改善していきたいとも思いました。

 本当、参加いただいた皆さん、観客の皆さん、そして助手チーム、運営チームの皆さん、お疲れさまでした。そしてありがとうございます。この企画に参加できてありがたかったです。

 またいずれ、どこか、演劇の現場でお会いしましょう。お疲れさまでした。

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