弱小高校演劇部のヒラコ・第4回
【わたし、書きます】
部活が本格的に始まるのって、いつなんだろう、と思っているうちに、五月のゴールデンウイークは終わり、五月病は始まり、進学クラスのはずのわたしのクラスの中にもさっそく学校に来れなくなった人もいる。連休から三日間、来ない子。わたしはその人の顔を思い出すことが出来なくなってて、あれ? って感じで。太ってた女の子だった。それだけしか覚えてない。お弁当のグループにもたしか入ってなかった気がする。
ああ、順当かも、とその時思った。不登校は普通の事だ。不登校という普通に、わたしだっていつなるかどうかわからない。
放課後。職員室に演劇部の部室――被服準備室の鍵を受け取ろうとすると、もう鍵はなくて、部室に向かえばもう鳥先輩がそこに居た。ノートを広げ、外を見ている。少し開けた窓から風が入り、鳥先輩の胸につけている赤い羽根募金のアレが静かに揺れている。
「おはようございます。今日、早かったんですね。」
「おはよう。」
鳥先輩はぼんやりと、でもわたしを見て、わたしの目に向かっておはようを返す。時刻的にはもう夕方16時のおはようだ。
「どうですか」
「どうだろうね」
と鳥先輩、いれたっきりにしてる紅茶に手を付ける。
結局どうするんだって話なのだが、どうにもなっていない
脚本の話だ。鳥先輩は一度だけ目にした舞台『グッドモーニング』という演目をやりたい。だが、『グッドモーニング』の脚本は現在も手に入っていない。
「その劇団にメールして脚本をもらうようお願いをしたらダメなんですか?」と言ったが、鳥先輩は怖い顔して「そんな失礼なことはだめ」。
「プロ相手にそんな高校生が甘えたらだめだって」というが、そんなものなんかなあ。逆に高校生なんだし、そこんところ、うまく甘えちゃいかんのか。
で、多分今日も鳥先輩の「舞台の記憶取り戻し待ち」なんだが、四月末から何も進展はしていない。わたしたちは紅茶をいれ、ただ居て、脚本を読んだり、不意に思い出したように発声練習をしたりしていた。部活ってこういうものなのだろうか。
鳥先輩と対面に座り、先輩からこれまで聞き取ったのをわたしはスマホにまとめてあるものを読み返す。
『グッドモーニング』
・鳥先輩が東京で見た演劇。
・2人芝居である。女の子が2人だけ。
・舞台美術は骨組みだけでできた自転車置き場。屋根付き。本番前2人で設営していた(その劇団が高校演劇ルールでやるという変なところで、冒頭10分は舞台設営らしい)
・女の子の一人が、異様な早い時間に学校にやってくる。
・そしたら、すでにもう一人そこにいた。
・一人はすごいきれいな、もうひとりはすごくかわいいと(鳥先輩は)思った。
・劇中二人は変なキャラだと周囲から思われている(キモい人だと思われている?)
・一人は夜のうちに学校で何かしてて(?)これから帰るところ、もう一人の女子とそこで会う
・初対面の二人、ずっと目を合わせない
・あれはわたしだ、って思った(??)
・見てたら涙が出てきた(?)
・いつのまにか目が合ってる
・最後二人で「おはよう」って言ったと思う
「結局……どういう話なんですかね」
わたしは後半読み上げていて、鳥先輩に聞かせるようにしていた。
「わたしもわからない。感動したのに、なんだか思い出せなくて」
鳥先輩は他人事のように、肩をすくめる。軽くアメリカ人入ってるその仕草をナチュラルにやる人いるんだな、と思った。
そこに市原先生がバタンとドアをあける。わたしはサッとスマホを机の下に。鳥先輩はご機嫌よう顔で一礼すると、
「鳥、エダ先生が探してたぞ。ガイダンス、時間になっても来ないって」
「体調悪かったんで帰りました」
鳥先輩はナチュラルに何かをサボったらしい。余裕で何かをサボる人って初めて見たかもしれない。
「まあいいけど。終わったらエダ先生に体調悪かったから帰ったって言っておきなさいよ。」
んーなにかおかしくないか? と思いつつ市原先生も相当適当なんだなと思う。鳥先輩は市原先生から目線をそらし、また外を見る。
「で、あんたたち大会はどうするの」
市原先生は白衣をたなびかせ、書類をふわっとわたしたちが囲む学校机に置き。
「どう? ってなんすか」
「辞退?」
辞退って、え、何?
「大会の申し込み。仮でもいいから演目決めないといけないの……脚本、来週までに決まるの?」
まじか。
「『グッドモーニング』がやりたいです」
「脚本ないんでしょ?」
「思い出したらできます」
「思い出せた?」
「頭の中では思い出せてるんで」
それは……、オタクやってるわたしから言わせていただくと……や、隠すつもりはなかったのですが、わたしはガチな方のオタクで、裏垢で小説書いたり、ヲタ絵をたしなんだり、ネット上の知り合い達で同人誌出したりしてるんだけど、「頭の中では出来てる」は「何もできちゃあいない」と同義なことは、中学時代からつくづく思い知らされているもんで。
「じゃあ、出るのね。やるのね」
市原先生は鳥先輩を見る。だが鳥先輩は目をそらしたままだ。
「……」
「何」
「迷惑、かけちゃいますかね」
「また鳥はそれか」
「だって迷惑じゃないですか、わたしが演劇やるって」
鳥先輩は何を言ってるんだ。
「迷惑とか迷惑じゃないとか関係ないの。あんたがやりたいかどうか」
「やりたいとか、そう言うんじゃないです」
え、やりたくないの? わたしは鳥先輩の顔を伺おうとするが、空気がなんか重くてちょっとなんか見づらく。ガラス窓に反射する鳥先輩の顔を見る。
「わたしが何かをやろうとすると、いつも変な感じになるじゃないですか」
すごい年上の女、みたいな顔がそこにあって。わからん、年上の顔、見たことないし。ただ同級生や学校の先生や親とは違う顔。変な言い方かもしれないけど、リアルな顔だなあと思った。
「そりゃ、演劇やるってそういうことよ。演劇だけじゃあない。何かやるってことは、そういうこと」
市原先生はその辺にある段ボールをぐいっと寄せてそこに座る。
「私が一年の時、そんなんじゃなかったと思うんです。もっと普通に、あたりまえみたいに、先輩たちはやってたと思うんです。でもわたしが演劇をやろうとすると、いつも……あ、ヒラコごめんねなんか」
不意に鳥先輩がこっち見る。ドキっとする。ひゅって柔和な顔の鳥先輩が急に現れた感じ。
「鳥先輩は、……演劇やりたくないんですか」
「んーそういうんじゃないのよ」
黙ってた不意に市原先生が口をはさむ。
「鳥はだいたいこんな感じなのよ。」
「そう、こんな感じなのあたし」
市原先生はあきれ、鳥先輩はとびっきりの笑顔でわたしにニッコリする。……ニッコリされてもねえ。
「鳥先輩、は、その……演劇が、」
「演劇はやりたい」
鳥先輩のまっすぐな目。
「じゃあ何が問題なんですか」
「迷惑をかけちゃう」
そのまっすぐな目が、ゆらいで、外に。
「だれの迷惑なんだか」
市原先生は黙ってコップをどこからか取り出し、冷めきった紅茶を自分用にそそぐ。あ、先生も公認なんだ部室でのお茶会は。
「迷惑はかけたくないんです。市原サン」
「だから鳥はさ」
「迷惑ってなんですか?」
わたしが市原先生と鳥先輩の間に口を挟むと、鳥先輩は困った笑顔のまま、少し言葉を整理して、口にした。
「……私が何かやろうとすると、いつもいつだって皆に迷惑かけちゃうの。ヒラコも迷惑かけると思うし」
「わたし、迷惑だなんて思いません!」
反射的に言葉が出た。
「ヒラコがそう思わなくても、わたしはつらい。」
「なにがですか」
「……ヒラコが演劇部に入らなかったら、私が先輩じゃなかったら、ヒラコにとってもっとよかったんだろうなとか。いろいろ思っちゃう。……ちがうな。ちがう。これはヒラコを使った私の言い訳だな」
鳥先輩は上品に言葉を繕っているけど、その上品さの衣を脱ごうとして何か言ってくれようとしてる。
わたしは鳥先輩を、ただ見てる。
春の風から夏の風になろうとしてる湿度が、部屋の中を通り過ぎる。もう冬服じゃいられなくなる暖かさなのに、部室内はしんと、静かで涼しい緊張感がある。
「……わたしが演劇とか、表現ていうかな……何かをするたび、変な感じになるの。表現だけじゃない。……私がしゃべるとね。私がそこにいるとね、止まっちゃうというかね。」
鳥先輩が言葉を絞り出す。わたしはただ見ている。
「いつだって私は、何かをすると、みんなを凍らせてしまうの。」
凍らせてしまう、という言葉が聞き取れるまで、わたしには時間がかかった。
間が開く。その空白の隙間に、鳥先輩のため息が差し込まれる
「だから、私は――」
「わたし、脚本書きます」
ん?
「鳥先輩あの……わたし、書きます。先輩の頭の中にある『グッドモーニング』。脚本があれば、大会、出られるんですよね?」
わたしは何を言ってるんだ。
「あの、ヒラコさ」
「あ、あのわたし、何言ってるかわからないかもしれないですが、」
っていうくらい何を言ってるのか分からないけど、わたしは言葉を押し出す。
「あの、だから、鳥先輩も何言ってるのかわからなかったんで、だからあの……脚本書きます。書きます。『グッドモーニング』。」
って言って、わたしは下を向く。
「だから……出ませんか……大会。」
沈黙。
そして――間違ったあー! と、そう思った。
いや、うすうすどこかでわたしは、『脚本を書きたい』なんて言うだろうなとは、思っていた。むしろ演技よりは、脚本を書きたかった。
いままで小説らしきものやイラスト、コマ割のない四コマ漫画はずっと描き続けていた。でもそれらは、ネットの中や身内で分かってくれる人にしかむけてしか作った事が無くて。
だからいつかわたしは、「作品」を、世の中に向けて発してみたかった。わたしの事を知らない人に、作品を見せてみたい。
でもそれ、今言うことじゃないだろうって。
「だから、わたし、鳥先輩と……演劇、やり、たい、です」
今言うことじゃないだろうって!
鳥先輩の悩みをなんか言う……のターンだろうって。それにそれって、「演劇」がやりたいというより「脚本書きたい」じゃん! 鳥先輩もなんか、事情あるっぽかったじゃんか。詳しく聞かないままなんで今? なんでわたし脚本書きたいって言った? ん? なんでだ?
「あ、じゃあ、大会出るのね」
市原先生はこの変な感じを無視して事務的に話を進める。や、ちょっと待ってよ、とわたしは顔をあげて鳥先輩に向けるが、鳥先輩もうすらぼんやりとこっちを見、また市原先生の方を見るけど、市原先生は書類の「大会参加」の欄に丸を付ける。
「タイトルは『グッドモーニング』でとりあえず出しとくね。既成脚本、生徒潤色、と。作家に上演許可もとんなきゃな」
「……はい」
鳥先輩の生返事を聞くと市原先生はひょいっと腰かけていた段ボールから立ち上がり、窓からの風に乗ったように颯爽と去ろうとする。鳥先輩はぼんやりその背中を見ている。
「あの、先輩……」
「あー、うん」
「……大会、でるん、です、よね?」
「……やるのかー」
鳥先輩は伸びをする。168cmの身体がのけぞる。少し突き出した2つの胸がくっきりと見えると、外から「トンハール(東春)、ファイオー」のソフト部の外周ランニングの掛け声が聞こえる。
「やるん、ですかねえ」
わたしは、なんかニヤニヤしてしまった。や、これから大変、難しい事になるのは分かってる。そもそもわたし、演劇の脚本なんか書いたことが無い。
でもどういう訳か、こうなるだろうな、とは思ってもいた。わたしが脚本を書く事は、どこか自然で、普通の事でもあるなって。
「いい脚本、たのむよ、ヒラコ。大変な事おしつけちゃってゴメンだけど」
たのむ、って? たのむ? って今、言われた? わたし?
「あの……がんばります! あの、『グッドモーニング』。わたし、先輩の見た演劇、できる範囲であれしますんで!」
ニヤニヤが止まらない。わたしは、鳥先輩に頼まれて物を書こうとしている!
「あれしなくていいよ。……ヒラコの考えた、『グッドモーニング』でいいと思う」
それを聞いて、わたしは心躍った。
わたしの考えた話……!
いいんですか? いいんですか? わたし、書いちゃいますよ? もちろん! もちろん鳥先輩の記憶の中にある演劇に寄り添います! 二次創作なら任せてください、オタクだから! できます、できます! ずっとずーっと、15年間やってきましたから!
……とは口にせず、わたしはただただ、ニヤニヤしてた。
「トンハールファイオー」の声がここまで響く。夏の匂いになってる五月の風が蒸し暑くて、でも通り過ぎるから涼しい。
「ヒラコ。走る?」
「え、走らないっす。脚本、書きます」
てか走るって何?
「私、ちょっと走ってくる」
え?
とか思っていると、鳥先輩は俄然部室を出て、しばらくすると校庭の外の外周を、運動部を抜かして冬服の制服で疾駆する鳥先輩が、ここから見えた。
後で聞いたら演劇部も時々、走るらしい。体力づくりっていうか、基礎連っていうか……走ることが何の基礎になるのかわからないけど。だからわたしも今後、たぶん走るらしいんだけど。
……でも制服のまま走るって、なくない?