ただ居る記。第7回
先週もただ居たけれど、今週(18日)は居ないのです。ご注意を……。
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BUoYのカフェスペースに、週に一回、ただ居始めて、1か月になる。最初の想定とはちょっと違うなあと思ったのは、「どこからともなく、人が必ず来てくれて、話しかけて来てくれる」ということだ。
まさか、ただ居る僕に話しかけてくるためだけに、この場所に来てくれるとは思わなかったのだ。たしかに、宣伝のようにこのコラムも書くし、ツイッターで告知もする。そもそも、BUoYの方からは「平日の昼にお客さんが来ないので何かやってくれないか」という依頼で居るんだから、人が来てくれないと、本末転倒なんだよな。
でも僕は内心「ツイッターで『ただ居る』といっだけで、誰かが会いに来てくれるほど、この世は甘い世界ではないのだ……」とも思っていた。誰かが自分の発言や告知を見ている……というのは、思い上がりだ。まして、自分は「ただ居る」だけなのだ。芸を見せるわけでもなく、珍しい生き物だったり、聖遺物だったり、出土した貴重な物のかけらでもない。
でも先週も人が来てくれたんだよなあ。旧知の人だった。
あまりに旧知だったので、最初自分の言葉のトーンが、全くよくわからなくなって、敬語だった。ただ話しているうちに「敬語がおかしいぞ」と思い、チューニングをするように敬語からタメ語になっていく。そのチューニングが、ちょっとおかしかった。ラジオの周波数を合わすような繊細さで敬語が変異していくのに、話している内容は「ドラゴンボールの悟空と、その第2子の悟天は会話が成立しているのか?」とかだったり。
いやでも、悟空と第2子の悟天は、会話が成立するのか?
漫画の話なので、知らない人に軽く設定を説明すると、主人公の悟空は、まず異星人でして、それで、その第2子(母は地球人)の悟天というキャラクターは、「悟空の死後に生まれた子」となっている。
その後、いろいろあって悟空は生き返ったりするが、「生き返った父を名乗る、青年風の男」と、7歳児との会話を想像するのは確かにむつかしい。
そもそもドラゴンボール世界の登場人物たちは、戦いがないとき、どんな会話で間が持つんだろうか。
たとえば、修行のやり方だろうか。子育ての会話や、仕事の愚痴など言うのだろうか。
戦いがないとき、彼らはどんな感じで居るんだろう。
彼らは戦うことで、経済が動く。
彼らはただ居るだけでなく、手から光線を放つことで、観客を呼ぶ。彼らはプロフェッショナルだ。手から光線を放って強さを見せることで、多くの観客を集め、グッズや映像作品、本を販売する。
ただ、彼らは現実世界には居ない。現実世界に居ないと、戦ったり芸を見せないと、人とコミュニケーション出来ない物なのだろうか。
そして、こうしたことは、現実空間に居ない人だけの問題ではないような気もするのだった。自分の存在がここにある、という事に、自分自身で信用や信頼を置けないと思う時、そう思わせているものは、何なのだろう。