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早稲田どらま館企画『えんげきの”え”』の「観察」の二日目


初日の観察はコチラ↓

◆企画2日目になりました

 昨日の発表を経て、3チームどのように稽古していくのでしょうか。

 山本は先の用事を済ませ15時半に会場に到着。
 今回は見学者が2名いらしており、また、見学者ブースが出現していました。

 全体的には10時半からみんな稽古をスタートさせていまして、まさに佳境、肩が温まっているところにやってきましたよ。

◆Aチームの稽古

 本日は主にAチームを中心に観察。 
 稽古場では「小道具をどこまで用意するか」を議論していました。
「書類を散らかしたい場合、どういう書類の束ね方やフォルダーがよいか」「劇中、見ることになる「窓」はどこらへんなのか」を細かく決めていたところ。

 その話合いの中、登場人物の一人であるカツデンテイに威圧感を出すための小道具、何か必要か? と言う話題に。いろいろ案が上がるが、カツデンテイ役の工藤吹さんが、
「私には手と足があるので威嚇ができます」
 と言っていたのが印象的。

 昨日にくらべて、いろいろやろうとしているのが伝わるなあ。

 それで、冒頭から返していく。俳優たちは脚本を手にしつつも、なるべく見ないようにして。
 結構長いシーンを通して、昨日は手を付けていなかったシーン6以降のシーンを返し稽古になっていきます。

◆大胆な演出

 その、シーン6以降で、Aチームは大胆な演出を施すことに。
 戯曲のセリフをテキストとして利用して、特殊な振り付けを施すシーンになっていました。

 いやあ、驚いた。
 まだまだ練習中で発展途上だけど、セリフを役から解放して、この戯曲を観客に思わぬ形で届けようとしてくれている。
 おもしろいなあ。
 後に振り返りで話してくれたところでは、演出の工藤さんが、テキストを配られた当初から構想されていたものだったらしい。

 シーンの返しが終わり、簡単なフィードバック。
 演出の工藤さんが、フィードバックのさ中「これをどう受け取ってくれるか」とつぶやいていたのが印象的。

 わかるなあ。確信はないんだよなあ。

 それでも、やる。こういう方向性でやることを、選択する。
 それは勇気というものだよなあ。

◆田中角栄

 戯曲のト書き(というか、セリフの中のカッコ)に「(咳払い。田中角栄みたく、練習)」と書いてあったので、そこに疑問が出てきたのだった。
 というか、みんな普通に、田中角栄を知らない。

 すまん、こんなト書き。
 正直俺も世代ではないよ。なんかでも、モノマネネタの定番みたいなところがあって書いてみたところ……申し訳ないな。ふざけてるニュアンスが伝わればいいなと思った書いたところなんですよね。

 で、Aチームのみんな、スマホで動画を検索し、実際の田中角栄のスピーチを見ている。

 申し訳ねぇ。そこに行きつかせてしまって申し訳ねえ。
 これ、でもそうだよなあ、例えば「ちょっと待てよ(木村拓哉っぽく)」って書いたら、100年後の人々は本物の方のキムタクを参照してしまうよなあ。

 ああ、このままではこのチームは、実際の田中角栄のスピーチを参照してしまうなあ……「これ、上手くなるように練習してきます!」とゼタ役の英さん。ああ、ああ……申し訳ない。申し訳ないなあ。

◆他のチームや、観客の視線を意識していた

 フィードバックを聞きながら、昨日の他のチームの事を気にしている言葉もいくつか。
 毎日発表があり、また別のチームが、今まさに同じ脚本で稽古をしている、と考えると、意識をするだろうなあと思う。

 また、稽古になると、観客がいないので雰囲気が違う、という指摘も。  
 こういう、毎回「観客がいるような感じで発表」があるというのはワークショップならではだけど、そもそも稽古って、だいたい本番まで観客という存在と分断されているのが常だ。

 いかに稽古で観客をイメージしたって、生身の観客に出会うって、普通本番までは、いないものなあ。
 それは演劇の稽古の古来からの課題ともいえるところなのかも。

◆演出と俳優の関係

 Aチーム演出の工藤さんは、言葉少なに、振り絞って、演出の言葉を紡ぐ。
 「元気さがほしい。」と言うと、俳優たち、それを受け止めつつ「それはテンポ感を意識したほうがいいのか? テンションを上げる事か?」と質問や提案で反応を返す。
 演出の言葉を、演出助手の中西さんをはじめ、皆がフォローして盛り立てている。

 そんな中、後半からのあの演出はどうやって作りあがったのだろう。

 フィードバックでもそのあたりの演技や細かな動きが争点になった。
 10P以降のある地点(皆は「切り替えの所」という表現をしている)から、勢いが消えてしまう問題について話し合っていた。

演出
シリアスになっている。

演出助手
 「からだゼロ」という指示になっているから(勢いが消えて)シームレスにはなれない。

俳優
 (定位置につくまで)ただの待ちの時間になってしまう(から、勢いがなくなる)。前のシーンが身体の接触などもあるから、クールダウンした印象に。

演出
 表情がなくなってしまう。
 ゼロ顔になっている。キャラの気持ちになって読む。

俳優
 そのつながりはどうやってやってみるべきか。

演出
 二人同時に入ってきて、(定位置につくまでの)タイムを削ってみるのはどうか。

俳優
 セリフ言いながら入ってみてはどうか?
 切った時のト書きの意図とは違うが、セリフを言いながら例の位置にしてしまえばどうか。

 ……と言う感じの、コミュニケーションの中、「そこだけ抜き出して稽古をやってみよう」という事に。
 だが動きを修正・変更する中、「うどんさんが重い荷物を持ってくる」と言うところが、どうもタイミングが悪くなってしまう。

中西
どの速度で、どれだけの重さを表現すればいいか

谷田部
いつでもずっと重くなくてもいいのではないか。例えば最初だけ引きずる、とか。

 そこで、また俳優たち、やってみる。
 演出の意図を受けて、俳優が提案し、議論して、試しにやってみる。
 その稽古のスピード感。
 工藤さんの演出の言葉は、必ずしも具体的な指示ではないのかもしれない。
 そして俳優が実際にやることは限りなく具体の組み重ねだ。

「ここからだと見えない」「こうすると短縮になる」「きっかけは『抱きしめている』手を見て」「ここだといける」「箱は13使う」「このセリフのタイミングで箱を持って出入りする」「真ん中に私がいる以上奥が見えづらい」「じゃあ、タイミングを変えよう」

 こうした具体的な試行錯誤の組み合わせの中に、演出家の「『誰でもいいんですか』というセリフは聞きたい」というオーダーがあり、さらに俳優たちは、動く。
 身体を脳のように、思考のツールみたく、考えを全身で試す。

 これが、演劇の稽古場だなあ、とつくづく思う。

 こうして一つ一つの問題を解決していくうちに、新たな問題も出現する。

工藤吹
「椅子を動かすところが怖い。(奥で人を突き飛ばすシーンがあり、その時)椅子が当たりそうで怖い」

 それを解消するために、「椅子を動かす時のガラガラを聞いてから」突き飛ばすという流れにし、そのままの勢いで皆は定位置に就くという流れに。

 結果、動きが連鎖することによって「切り替え」の地点の停滞が消え、勢いが生まれた。

 こうして、いつの間にか当初の問題だった「切り替えのシーンに至る時、勢いが消えてしまう」問題が解消されていたのだった。

◆稽古の隙間で

 休憩中、見学をしに来た人に話を聴くAチームの演出の工藤さん。
 旧知の仲っぽかった感。見学しに来た人は、じっくりと言葉を選びつつ……。

「おもしろかったけど、何をどう口にしたらいいか迷う」
「問題を1個1個クリアして作っていっているように見える」
「動作と動作の間がやりづらそう。移動の動機とか」
「動機が無くてもできる事がある。逆に、とりあえず手を上げてみる。それが効果的ではあるが……」

 と、見学者の人たちも言葉を選ぶ。演劇をよくしようとするための言葉って難しい。意見を求められるその言葉を、見学の方もすごく考えて発してくれている。

 演劇にとって何が良い事なのか、それそのものが分からない中、それでも具体的な問題を解決していかなくてはいけない困難さがある。
 だから、自分が何を言ったらいいのか、また、何を聞いたらいいのか。何を見たらいいのか。
 言葉を選び、迷い、自分で自分の言葉に飲み込まれていくようなむつかしさを感じるんだろうなあ。

 まして、山本の描くような脚本は、何が面白いのか、何が善か、何が美しくて、真なのか、分かりにくい。
 そもそも、それらがあるのかどうかも分からない。

 さらにそれは、言語化すればするほど違う、と感じられるようなものかもしれない。

 それでも、言葉にしなくてはいけない。稽古にしなくてはならない。
 なにが正解かもわからない中、前進しなければならない。

 生きているのか死んでいるのかもわからない。そのあいまいさに耐えられるか。
 白黒つかない中で、それでも言葉を絞り出して、周囲によい影響を放てるか。何より、自分が楽しくいられるか。

 そこが、いいところだと。私たちに、ふさわしいことだと。私たちは、
私たちの、信じているところだと思うんですが、どうでしょう。

◆プロンプとお守り

 午後の稽古のフィードバック。演出からは「まだセリフを自分のものにしていない。例えば、谷田部さんはセリフを崩して、自分のものにしている」という事を指摘しつつ、

「見てないものを目指したい」

 と締めくくる。

 また、脚本を手で持っていると、手でやっている動作が隠れてしまっている。そろそろ脚本をお守り的に持つのはよそうか。ブロンプ出せば行けそうかと俳優たちに問いかける。

 まだまだ不安な俳優たち。特に「切り替え」以降はまだ定まっていない。
 明日は台本を放す練習をするとして、今日はニュアンスでもいい、正確な発話でなくてもいいから、他のチームの演出助手の方にプロンプターをお願いし、さらに不安な人は後半の部分はお守りとして脚本を持ってやりましょうという流れに。

 まだセリフの入っていないというときに、手に脚本があるというのは「お守り」たりうるんだなあと、見ていて思った。

 それほどまでに、人前に立つという事――それはたとえ、稽古場で、企画の仲間だとしても、他者の視線に晒されるというのは「お守り」が必要なほど、不安と恐怖が付きまとうものなのかもしれない。

◆発表

ざわざわと他のチームがどらま館にやってきた。発表の時間になったのだ。
本日はA→B→Cの順番で発表。

〇Aチーム

 先の通しと比べてテンポがよい流れに。
 人の目にされられる、となると、これほどよくなっていくのだなあ、
 特に先ほどのフィードバックにあった、「セリフを自分のものにしよう」という意識があって、積極的に脚本にない合いの手や語尾を変えて、言葉を自分に落とし込もうと尽力していた。

 発表途中、いろいろあって出演者じゃない人が入ってきてしまうトラブル。ちょうど緊迫するシーンだったところ。
 うまくそのトラブルを笑いに昇華し、笑いも起きる。

 発表の中のワンイベントとして面白いところではあったものの、「稽古」として見た場合、ちょっと崩れてしまったところがあったかも。
 積み上げてきた緊張感も、よく言えばやわらいだとはいえ……。

 それでも立て直し、いよいよ、満を持して後半の「切り替え」のシークエンス。他のチームの初めてのお目見え。

 その大胆な演出に、観客席の皆、息をのむ。
 稽古よりはるかに、その勢いと、問題点が解決されたシーンになった。
 まだまだ、おそらく演出の工藤さんの納得いくシーンにはなってないだろうけれど、その演出のインパクトは、他のチームの人にも伝わった事だろう。

 発表後のフィードバック
 試してみたかったことを試めすことはできたが、完全にたどり着いてはいない。ブラッシュアップしたい、とのこと。
 この大胆な演出は「グループミーティングの日に、最終地点はここ、と決めていた。今日の稽古では、「どうしてこうやりたいか」を確認しつつ進行し、それを2日目の役割としてそれをやった」そうです。

 質疑応答・感想で、Cチームの演出の小川さん
「キャラクターの核があり、ニュアンスとして。デフォルメしてやっていたように見えた。Cチームでも、現れ方は違うが、似た方向性で稽古を進めていた」
 とあり、これはCチームの発表も気になるところ。

〇Bチーム

 前日の発表は途中のシーンまでだったが、今日は最後まで。
 俳優たちは脚本を外して、覚えた状態で臨んでいる。

 今回は特に、最序盤の、客入れ前のプロローグのシーンを丁寧にやっている印象。

 特徴的なのは「窓を見る」「互いを見つめる」「荷物が運ばれている」といったシーンで、強めに間を取っている事。

 その中で、キャラクターの配置や立ち姿にこだわりがあるように見えた。
 企画代表の宮崎さんからフィードバックにて、「沈黙が心地よかった」という感想が出るように、そうした間や配置にこだわりが発揮されていた。

 また後半で、うどんさんの運ぶ大きな荷物は「袋にはいった怪しい荷物を運ぶ。落とす」というような演出になっており、こうした「言葉の外」の、無言のシーンに強い演出が施されているようにも見えた。

 発表後のフィードバックでは「シーン4をコントっぽくしようとした」と、コメディ的なところにも力を入れつつ、立ち姿の構図には力を入れていたとのこと。
 これはフィードバックの時の質問感想タイムでも言及されていて「ゲネ写(舞台写真)を撮るならここだなーと思ういい構図のところが多かった」という感想が出ており、演出の中嶋さんの狙いが伝わった瞬間でもあった。

 その立ち姿と、沈黙の相性がよかったのだろうなあ。

〇Cチーム

 こちらは、昨日の「不穏さ」から一転、その空気は残しつつも、全体的に各人がパワーを出していた感。

 ただいろいろとトラブルがあったようで、例えばどらま館の入り口ドアを固定するドアストッパーが止まらないであるとか、ドアが閉まっていることから中での俳優のきっかけ台詞がきこえず、俳優の出が遅れるなど、うまく行かないところもあった様子。

 前日に比べ、トマリトは「虚無」から「泣きと焦り」の属性が追加され、またうどんさんが積極的にシーンを意図的に壊しにかかり、笑いをとろうと八面六臂。
 カツデンテイは怖さをさらに強化して、その「壊し」に対抗していた感があったなあ。

 そんな中でも、ゼタ役のほたかさんは昨日の路線を強く引き継いで、さらに役を深めているような印象が僕には見えたけれど、どうでしょう。

 この回は全体的にコメディ感。昨日とは打って変わって、楽しい感になった。特に、さまざまなところで余計なことをしてる感あるうどんさん役の内田さん。とにかく手数を費やして、この戯曲をどこまで崩せるか、狙ってた感ある。

 それがあったからかどうかは分からないけれど、後半のシーン8、うどんさんが去り、ゼタもいなくなった後の、トマリトとカツデンテイの最後のやり取りは、凄みと諦念の入ったいいシーンになった気がする。
 稽古で様々なことを試し、自分で読みを深めながら、掴んだ事なのかなあと思ったりしました。

 発表を終えて、このチームのフィードバック。

 演出の小川さんから、「昨日やって見てシリアス味がつよい。ホラー感あったので、コメディの要素を足してみたいと考えた。おもいのほかうどんさんが楽しくなりすぎた。今見てみて楽しくなったけど、ややノイズかもしれない。ノイジーであることははテーマではあるが……」と笑う。

 特に意識したのは「ディール」という考え方だと、内田さんが補足。
 キャラクターの目的や外見や行動、コアとなるものを明確にやってみたらどうかと思い、今回の発表に至ったそう。
 それで内田さんのうどんさんは、ああなったんだなあ。本人曰く「いたずら小僧」って感じだったらしい。

 また小川さんは、「脚本の構造上、カツデンテイを皆が困らせている」ようにとらえ、積極的にカツデンテイをみんなが困らせよう、という演出を心がけたという。

 一見、おふざけに徹しているように見えて、そこには考え方や信念があり、それを過剰なくらい拡張してやってみる。まさにこれも、稽古場だからこそ試してみる価値があることだよなあ、と思った次第。

 さてこのCチーム、明日は都合で演出の小川さんが不在という。

 俺、小川さんが演出しているところを「観察」できないんだなあと思い、ちょっと残念ではあったが、小川さん「ぶっ壊れてても文句言わないんで!」と笑いつつ、稽古を俳優たちに託すのであった。

◆二日目の感想

 二日目の感想ですが、初日の発表があった事で、各チーム、他のチームを意識し、リアクションがあったところを気にする所が多かったのかもしれないなあとも思いました。

 こういう発表形式だと、例えば一番わかりやすくリアクションがあるのは「笑い」だったりして。「笑い」は、一番はっきりとしたリアクションであるし、演じている方も結構強く意識してしまうところでもあるけれど。

 でも、笑い以外でも、観客に深く、静かに刺さるところもあり、そういうのって、演じている時には結構気づけなかったり。

 時に、そうした反応に左右されない、各チームで研ぎ澄まされる何か、と言うのも重要なことでもあるなあと思ったりしました。

 しかし本当、稽古二日目で、各チーム、もう台本を持たなくても大丈夫なくらいに仕上げてきている。

 すごいなあ。
 正直、もっと毎日の発表って、もっと素朴な感じをイメージしてたから。だって、稽古時間、本当少ないし。出来たところ、やってみたところをワンシーンやりました、でも全然大丈夫なところ、どのチームも今日は最後まで、見せ切る想定で発表、やり切ってたなあと思いました。

 いよいよ明日、ほとんど最終調整のような感じの3日目の稽古。どういう詰め方、深め方になるのか、「観察」が楽しみです。

 あと本当、3つのチームがあるから、参加してる人たちが「語りたいことを語れる相手」「質問したい相手」に事欠かないなあと思いました。これ、本当いい企画のフォーマットですね。

 ただの一方向の演劇のワークショップではなく。参加した人たち、今、気になっている他の人たちとの話したさ、沢山あると思います。ただの成果発表ではなく、こうしたコミュニケーションが自然に生まれる感じ、とてもいいなあ、と思いました。
 そしてそれを支えるスタッフたち――特に演出助手たちの丁寧な暗躍が、とてもいいなと。

 どんな暗躍があったかは、後ほどご報告できれば……今日の所は以上です。ではまた明日。

 三日目の様子はこちら↓


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