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弱小高校演劇部のヒラコ。第3回

【市原先生】

「失礼します」とは口にするものの、職員室に入ることがなぜ失礼なのか。失礼をするってことは、職員室に入ることが礼を失う事なのかって話で、納得はできなくて、じゃあだからと言って無言で入ったりするようなこと、わたしはしなくて。
 何でかって言うとこの「失礼します」を言わないと生徒であるわたしに敵意を向けてくる教師がいる。「なんで失礼しますって言わないんだ」、とかなんとか言い、自分が教師だという事を確認しようとする教師がいる。
「なんで」って、なんだ。
 逆に聞きたいんだけど。「なんで失礼しますって言わなきゃいけないんですか」と。失礼しますって言わなきゃいけない理由を、どうせ誰もロクに答えられまい。だけど教師っていうのは、誰も答えられないことを生徒に答えさせようとする。それって、教師の職務を傘にきた、思考停止なんじゃないか? そんな問いにわたしの時間を削られるのはイヤなので、テキトウに「失礼します」という音を発する。この音さえ出せば文句を言ってこないのだ。
 これは何かに似てるなと思ったら、熊よけの鈴だ。
 山に分け入るとき、熊に襲われない様、リュックに鈴をつけるっていう。歩くとき音が鳴って、結果熊と遭遇するのを防ぐ。そういう音。音だから別に「シ・ツ・レ・イ・シ・マ・ス」には何の意味もない。何の感情もない。単なるクマよけ、声をかけられない様にするための、自衛手段にすぎない。
 と言う感じで、わたしは教師というものが、たいていキライだ。

 職員室の、一般教室より空調の効いていて肌寒い中を進む。五限終わり。まだ六限の授業をやる学年もあるからか、職員室は閑散としていて、島になっている職員室の机の群れはゴーストタウンのみたいだ。その中を突っ切って、鉄製のキイボックスの掛かっている応接室へのドア脇の場所まで直進する。数日前に鳥先輩に連れられて、部室代わりにしている被服準備室の鍵の場所を教えられていたのだった。
 キイボックスは鉄製の四角で、全体的に錆が悲惨だ。この学校の校舎はそれなりに建て増しやら改装をしたりで表面上新しい部分もなくはないけど、こうした部分に予算のなさと公立高校の残酷な放置時間の流れと予算の無さを感じる。本来ならば厳重であろう壁掛けキイボックスは半開きにだらりと開いている。
 わたしもまたその流れに加担する。誰がキイボックスの蓋などしめるもんかと思いながら目的の鍵を手にすると、そのままにして方向転換。とそのとき、キイボックス脇の、開けっ放しの応接室ドアの向こうから、生徒の怒ったような口調の声が聞こえた。
「……じゃないですか、私の髪はこれがベストなんです、これが!」
 ハッキリとした声で、一定のリズムで怒る生徒の声。そしてそれをなだめる大人の女性の声。
「あーそうー。そうねー。はいはいはい」
 木管楽器のアルトみたいな音色で、ただ音を出してるみたいな声に私には思えた。
「わかってますよ私だって悪いとかそういうのでも、だってこれがベストだから、わたしにとって」
「うん」
「って市原先生にいってもしょうがないと思うんですけど」
「ああー。まあアタシに言ってもしょうがないねー」
 ああ、声の主は、市原先生か。と、がっつり応接室の方を見てたら、市原先生と目が合ってしまった。
 市原先生は、演劇部の一応、顧問である。
 わたしよりも背の低い。国語教師なのに薄青色の白衣(?)を着、髪型はベリーショート。大きなフチのあるメガネには細かく種類があって、似たようなメガネだが実はほぼ日で違う。そのことに気づいているのはわたしだけかもしれない。年齢は不詳。30代くらいだと思うんだけど、50代って言われてもわたしは別に驚かない。別に歳をわざわざ確認するわけではないし、わたしからすれば教師の30代も50代も同じだ。
 ただ確実に言えるのは、市原先生は大人だと言う事。絶対に、自分の事を子どもとは思ってないんだろうなと思う。
 そんな顧問と、まだ部活の時間に会った事がほとんど無い。
 市原先生はわたしに目があった後、すこし大きく反応して口パクで「あー・ちょい・と・まって・て」とやり、その露骨なアイコンタクトのせいで、説教をうけてた生徒がこっちをギンっと振り向く。生徒はわたしを待たせていると判断したのか「あ、先生忙しいならもう帰っていいですか。てか帰るんですけど」と悪態をついて。その悪態を先生はスルーしつつも受け止めて「一応エダ先生には言っとくけど。あとさ指定のスポーツバッグ捨てちゃってたんならアタシに言えばあるから」とこれまた使い込んだオーボエみたいな声で生徒に音をパスすると、その生徒は怒ってんだか、怒ってもしょうがないかメンドいってな感じに変化して、スルーしたのに受け止めて、颯爽とわたしの脇を素通りしていく。
 わたしがその生徒をぼんやり見ていると、
「あー、ヒラコ。鍵の場所わかった?」
 と間抜けな声をわたしに向ける。市原先生はもうわたしを認識したのか。まだ演劇部員としては、会って2回目くらいだと思うけど。
「あ、はい。鳥先輩が今日、進路のなんちゃらでっていうか、……今度からわたしが演劇部の鍵、受け取りにくるんで」
「あーうんまあ演劇部っていうか被服準備室の鍵ね。面倒くさかったら土日か何かにサァ、鍵持ってって合鍵作ってきていいいよ。自費でよければ」
「あ、なんか逆にそういうのめんどそうなのでいいです」
「ああ、そう」
 ユルい。市原先生。てか、学校の鍵を複製したらいかんだろうに。
「さっきの子ね……頭髪服装検査でさあ、わざわざ茶髪に髪染めて、指定カバン持ってこないってさあ、好きな髪型したいなら、かえって面倒くさいって言う理解にはならないものかねえ」
 さっきの生徒のことだろう。市原先生は2年生の生活指導も担当する、ことになっているらしいが、このユルい女教師が生活指導の担当でいいのだろうか。
「体育のエダ先生に引っかかる前にね、1日だけ黒に戻せっていったらあんな感じよ」
「あー、江田先生は」
「エダ先生はねえ」
 市原先生はクッと変顔をし、江田先生の真似をする。基本的に顔に力を入れれば、誰だって江田先生になるくらい、単純な顔のつくりだ。
「……江田先生っすよねえ」
 ククとわたしも笑って、市原先生となぜか歩幅を合わせ職員室を一緒に出る。なんか馴れ馴れしく話しているが、まだ会って2回目くらいで、これで3回目の会話なんだけれど、いつの間にかわたしも馴れ馴れしい。
「ヒラコは髪、それ地毛?」
「頭髪服装(検査)の日は黒染めしてます。色素薄いんで」
「あー、しなくていいよ別に。そんなの、くだらない」
「え、なんかウチの高校厳しいじゃないですか」
「ま、エダがね」
 市原先生がニヤッと笑い、小さな声でささやく。
「保護者ウケっていうか、ま、テイね。……教師が厳しくするっていう演技をすれば、ここの生徒は従ってくれるっていうか演技をしてくれるじゃない。……でもまあそもそも保護者はそんなの直接見るわけでもなし。誰もみてないし、双方楽しくないし、誰の何のための演技してんのって話よ」
 ん、なんだ、演技論?
「演技なんですか、江田先生は」
「作ってるよエダは。ずいぶん下手だけど」
 市原先生の、ニターとした顔が近い。
「……体育教官の間でさ、厳しくしろってどうせナカノ先生あたりに言われてるんでしょ。張り切ってんだか、張り切ったフリしないとナカノ先生うるさいから、エダも演技。大声出せばいいと思ってる」
 そういうものなのか。
「そこまでして生徒にナメられたくないのかねー」
 職員室に出て廊下に出、こそこそ声から普通の声の大きさになる。たしかに他の教師に聞かれたら問題ある発言なんだろうけど。
「まあ、生徒も、ナメていい先生にはナメますからね。怖いぞっていう演技してくれたら、わたしたちも乗りますし」
「ああ、ヒラコはそういう感じか」
「あ、いや……」
 調子に乗りすぎたか……? 背の低い市原先生がわたしを見る。わたしより背の低い年上に会って話をするのは初めてだ。
 一時的に会話が止まりながら一緒に階段を上がる。てかこのまま市原先生も部室に行くのか?
「ヒラコって演劇部に正式入部でいいんだっけ?」
 市原先生は階段を先行する。わたしは被服準備室に……部室に向かうんだけど。
「ええとそうですけど……入部届、が、なにか不備、とか?」
 不意に入部届に修正液を使ったのを思い出した。マズかったのかあれ。
「ああ、そんなのどうでもいいよ。」
 どうでもいいんか。
「ま、よく演劇部に入る気になったね」
「……鳥先輩がかっこよかったんで」
 この話は入部届を出す時にもしたような気がする。
「鳥ねえ。……鳥は繊細だから」
 それはわからない。まだ鳥先輩がどんな人なのかまでは。
「でも繊細なのに一人で演劇部を続けてて、すごいと思います」
「意地っ張りなんだよ鳥は。でも繊細」
 被服準備室に来た。『演劇部「仮」部室』と、わたしが勝手に段ボールで作って張った表札をじっと見る市原先生。……これはまずかったか? と思ったが、なにか、先生は見なかったことにしたらしく被服室の鍵をわたしからそっと取ると、中に入る。段ボール表札は後で外そう……。
「鳥がなんで一人で演劇部をやってるか、もう聞いた?」
「聞いてないです」
 市原先生は部室の奥まで進み、普段鳥先輩が座っている椅子に腰かける。なんだこの雰囲気、面談か? それとも普通の高校の部活は、そうか、顧問と一緒にやるものか。いままで鳥先輩と二人っきりでずっとやっていて、顧問である市原先生は1回くらい顔を出しただけだった。
「鳥が1年の頃ね、3年が5人……4人か。」
「それは、聞きました。鳥先輩が1年の時は、けっこう居たって」
 居た、と言っても、合計5人の演劇部は、まあまあ弱小と言ってもいい。
「当時の2年の代がね。全員辞めちゃってというか仮入部だけで入らなくて、当時空気悪くてさ。3年も、4人しかいないのにまあ、モメるんだよねえ」
「なんでですか」
 市原先生は窓際に洗い済みで逆さにしてある紅茶カップに目をやる。これも学校で紅茶を勝手に居れて飲んでいる証拠だから、もしかして教師に見られちゃいけない奴だったのか……とひやっとするが、先生はこれもスルーする。
「演劇がやりたくなかったんじゃないかな」
「演劇部なのに?」
 市原先生はそう言いながら白衣を脱ぐと、そっと背もたれにかける。棒のような体のライン。背筋が妙にピンと伸びていて、あ、もしかして20代なのか? とも思う。
「演劇部といってもね。演劇がしたいから演劇部に入るわけじゃないのよ。演劇よりお笑いがしたいとか、誰か入ったからついてきた、とか。演劇部ってイメージが好きであって、別に演劇がしたいわけじゃないとか。演劇部に入れば自動的に演劇ができると思って何もしない奴とか。そう言う感じだったのよ。その4人」

 わたしは今、演劇部への入部の動機を問われてるんだろうか。

「演劇をよりも、別の事が好きだったんだろうね」
「好きじゃないと、やっちゃいけないんですか、演劇って」
 つい、何か歯向かったような事を口にしてしまう。なんとなく市原先生が話しやすい先生だから、こんなことを口にしてしまうのかもしれない。
「ヒラコは演劇好き?」
「わかりません。まだ。やったことないから……動機がないと、だめなんですか?」
 わたしの演劇部の入部の動機は、表面上はミーハーだ。『鳥先輩が、部活紹介でかっこよかったから』。それだけでこの弱小演劇部に入ろうとしている。
 いや、それだけの動機ではない……とは思うけど、でもまだそれは、言葉で説明できるようにはなってない。いや、もしかすると、そんな深い理由は説明できないかも。
 先生は、そんなわたしをたしなめようとしているのだろうか。
「どうでもいい」
「え」
「どうでもいいよ動機なんて」
 聞いといてなんだよ。
「でも聞きたくなっちゃうんだよなあ。人って。なんで、って。」
「なんでなんですかね」
「一番最後に帰るところだからじゃないかね」

 一瞬分からなくて、一瞬の後もわからなくて、そう口にした市原先生は大したことを言った感じでなく、その後特に補足するわけでもない。ただ時間が流れる。ゴールデンウイークを過ぎた高校の、特に空調の効いていない被服準備室は、少しだけ蒸す。先生は窓を開ける。四階は落ち止めがあるから、そんなには開かない。でもそこからは風が入る。ひゅーっと入る。動く風が、わたしの体を通り抜ける。
「どこへ」
 先生は応えず、もしくはその問いは小さすぎて、先生の耳まで届かなかったのかもしれない。
「結局そのときの三年もね、上演しなかったんだよな。春大は辞退するって言いだして。じゃあ文化祭でやるの? 自主公演にして引退にするの? って聞いて、誰も答えられなくて。……いつの間にかあの四人はぱらぱらと去っていった。1年で、一人だった鳥はどうする事も出来なくて、この部室で、ただここに積まれてた戯曲を読んでいた。」
 横に積まれた『せりふの時代』を、鳥先輩は全部読んだのだろうか。
 そういえば、なかに収録されている登場人数の少ない戯曲には、決まって折り目がついていた。もしかしてそれは、鳥先輩のつけたものだったのだろうか。
「一度市民劇団の練習にもとかにも顔出してみたみたいだけどね……。繊細だからなあ、鳥は。アタシも去年は3年の担任だったからさ。見てやれなくて。……辞めると思ってたけど、鳥は毎日ここにきてた。一人で戯曲を読んで、一人で発声練習してた」
 市原先生は窓の外を見ている。グラウンドでは陸上部がトラックで数人ずつ、全力疾走している。
「どうして、そこまで」
「ね、どうしてって、聞きたくなるでしょ。動機」
 そう言われてハッとする。自分が動機を聞かれると微妙な顔をするくせに。
「でも草加フェスの、フィナーレに出たんだよ。大会に出られなかった高校にも3分割り当てがあってさ……やっと演じられるって言ってて、鳥が一人でさあ。……飛んでたなあ」
「飛ぶって?」
「だから、飛んだのよ。自己紹介コントって言って。」
「ピーター……パン……的なことですか?」
「くわしくは本人から聞きなさいな。」
 そういうとククッと押し殺したように笑う市原先生。よほど面白かったのだろうか……?
「飛んだなあ。鳥は。名前の通り」
 こんな話、鳥先輩はしてくれなかった。
 全く演劇部としてほぼ活動できない中、たった一人でコントというか、お芝居を作った鳥先輩は、どんな気持だったんだろう。何をやったんだろう。なんで、やったんだろう。
 なんで?
 またわたし、他人の動機が気になってる。
「ま、よかったよ、ヒラコが来てくれて」
 え。
「アタシも忙しくて、なかなか顧問らしい事できなくて申し訳なくてさ……。ヒラコ。鳥を頼むよ。アタシは鳥に、演劇をさせてやりたいんだ」
「あ、はい」
 勢い返事をしたものの、わたしは急に緊張する。
 わたしは、まだ、そこまで情熱は正直言って、ない。
 孤独になってまで演劇をやろうなんて気はないからだ。
わかってる、わたしはただ、高ぶってるだけなのだと。何か普通じゃない事をしたい。だけど悪目立ちせず、静かに、それでも、特殊になりたい。動機を整理すると、そんな自己顕示欲とねじれたプライドが合わさった、もろいものを抱えてしかここにいない。
 鳥先輩みたいな、貴重な高校時代の2年間をたった一人で過ごしながら演劇を貫く純粋さなんて、持ち合わせていないのだ。
 顔が赤くなる。わたしは、恥ずかしい。そして怖い。なんか鳥先輩に会いたくない。

「あ、市原サン。ヒラコも。鍵借りてくれたんだ」
 こんなタイミングで、鳥先輩は部室に来た。わたしは弾かれたように鳥先輩を見る。間の悪い人だ。
「ヒラコ、……なんでそんな顔してんの?」
 またわたし、動機聞かれてる。
 答えられないよ。だってわたしにもわからないんだもの。わからないまま、動機もないまま、あなたの隣に居ては、演劇をしては、だめなんですか?
「じゃあ、はじめますか」
 市原先生が声を出す。そうか、顧問がいるとこんな感じで始まるんだ。
「おはようございます」
 鳥先輩は笑顔だ。めったに来ない顧問と、鳥先輩と、わたしの3人で、今日も部活が始まる。演劇部の始まりは「おはようございます」で始まるのだ……なあー。

(つづく)

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