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プロフィールは固定するべき?【遅ればせながら、はじめまして #2】

noteを続けるコツやフォロワーさんを増やすコツなどが書かれた記事を読んでいると、プロフィールを固定する…といった事例が紹介されている。今日、わたしのnoteを見てくれている画面の前のあなたも、そのような記事を目にしたことがあるのではないだろうか。

…なんつって、偉そうに書きだしてしまってごめんなさい。
今日は自戒の意味を込めて、プロフィールに加筆してみようと思います。




先人のありがたい記事が数多く紹介されているというのに、わたしのプロフィールはすっかり過去の記事に埋もれていた。

いや、固定したつもりだったんです。アセアセ

改めて、【ほのじ介護録/余命3カ月の父とわたしの場合】の”わたし”です。
余命3カ月と宣告された父との介護生活を綴りはじめてから、早4カ月が経ちました。記事の連続投稿は今日で112?113?くらい…だろうと思います。114回目になります(笑)いつもいつも思うことですが、こんな拙い記事にいいねスキしてくれたり、時には温かいコメントを下さって、本当にありがとうございます!


わたしがnoteを書き始めた理由は、実家をゴミ屋敷にしてしまった父へのあてつけでした。少なくとも、きっかけはネガティブな感情を吐き出すためだったんです。

でも、介護が始まってみたらそれどころじゃなかった。

初めてのことに戸惑い、不安になり、ヘルパーさんや訪問医療の先生の力を借りて、どうにかメンタルを保つのが精一杯。

いつも行ける場所に行けない。いつも会える人に会えない。地球が反転したみたいに、わたしの日常は変わってしまった。

そんな毎日を過ごしていたら、幸か不幸かnoteを綴ろうと思うきっかけとなった父へのあてつけなんて、どうでもよくなってしまった。

その一方で、反転した世界を生きることになったわたし。実の親を身近で介護できるなんて幸せなことなんだけれど、少なくともこの時点では絶望の淵に立たされた気分だった。

このままではダメになってしまう…と思ったわたしは、やっぱりnoteに綴ることにした。文章を書いていると気持ちが落ち着いたし、同じような悩みを持っている人の力にもなれるかもしれないと思って。

微妙な距離感の家族だっただけに、はじめは父とわたしの介護生活はぎこちないものだった。しかし、一緒に生活する時間が増えると、わだかまりも少しずつ解け、介護に向き合う時間を楽しめるようになった。実際、おもしろかったし。

気づけば、わたしのnoteには父へのあてつけではなく、介護に向き合う日常が綴られるようになった。時にせつなく、時に楽しく。


そして、父が亡くなってから3カ月が経った今は、遺品整理だったり、父が亡くなった寂しさだったりを綴っています。noteを始めるきっかけになったゴミ屋敷と化した実家についても、たくさんたくさん書きました。(これはあてつけ!笑)

父が亡くなった今、父のことを書くことは減るかもしれませんが、読んだら家族のことが頭に浮かぶような、ほっこりする記事を書けたら良いな…と思っています。

では、これからもどうぞよろしくお願いします。このプロフィールは今日を機に固定しておこうと思います('◇')ゞ




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