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ゴミ屋敷で孤独死しないために、何ができるか考えてみた。【ゴミ屋敷からのSOS】番外編
うちの父はゴミ屋敷で孤独死寸前でした。
体調が悪くなって☞わたしにSOSを出して☞ゴミ屋敷から病院へ脱出できたけれど、放っておけば間違いなくゴミ屋敷で孤独死していたと思います。
どぎつい書き出しですみません。初めてこのnoteに辿り着いて下さった方のために、簡単にまえがきを記します。
まえがき
わたしの父は亡くなる日まで独り暮らしをしていました。昨年9月に病気が発覚し、年が明けた今年の1月に、わたしとわたしの娘が手を握るなか息を引き取りました。死因は胃がん。幸い、自宅で手厚い緩和ケアを受けていたおかげで、痛みはありませんでした。
孫に手を握られて息を引き取るなんて、最高じゃないか。
だが、しかし。
穏やかな時間の中で看取りができたと安堵する一方で、こうも思うのです。
通勤介護していたとはいえ、ほとんどの時間をひとりで過ごしていたわけだから、孤独死する可能性だってあった。何なら、病気の発見があと少し遅ければ、孤独死して、誰にも発見されない可能性だってあった。
だから、SNSやニュースで孤独死という言葉を見る度に、父も同じような死を遂げていたかもしれない…とヒヤッとします。亡くなった今になって、もっと、もっと気にかけてあげれば良かったと思います。だから、今日は孤独死しない、させないために何ができるか考えてみました。
※今日の記事は内閣府による調査をもとに書いています。
これまでのいきさつは【ゴミ屋敷からのSOS】のマガジンからも読めます😊
孤独死は他人事じゃない。
年間に孤独死をする人は約27000人。
そのうちの約半数が60歳以上の高齢者だそうだ。裏を返せば、約半数はわたしと同世代かそれよりも若いということ。決して他人事ではない。
孤独死への危機感があるか?
高齢者に限って言えば、孤独死への危機感があるかという調査で約8割の人が”関係ないと考えている”と答えたそうだ。
2035年に一人暮らしの高齢者は推定760万人、2005年の386万人の約2倍。単純に考えて、孤独死する人が倍になる可能性があるということだ。
じゃあ何ができる?
家族ができることを考えてみた。例えば、普段から気に掛けること。必要なら高齢者施設への入所も検討すること。
でも、父の場合、独り暮らしを謳歌しているように見えた。娘なんぞに気に掛けられてもブスっとするだけ。(高齢者を高齢者扱いしてはいけない。肝に銘じよう😅)そんなもんだから、高齢者施設に入って…という策は、わたしの父の場合は検討する余地もなかったのだが、きっと、高齢者施設に入っていれば病気の発見は早かったはずだ。
1人でいることを決して否定しないが、孤立させないことが大事だと思う。高齢者施設に入るというのは極論かもしれないが、老後の過ごし方の1つとして検討しても良いと思う。家を住み替えるように。
孤独死に備える
生前整理
孤独死に限らず、生前整理は必要だと思った。こうやって誰かのために…と書いているようで、自分のためでもある。今は家族3人で暮らしているが、娘が巣立ち、例えば先に夫を見送った場合、40代のわたしだって孤独死する可能性はある。
趣味で集めた着物や毛糸、泥まみれのアウトドアグッズ。お金にならなそうなものばかり集めてしまう…なんて歌があったけれど、遺された家族も困るだろう。どこかのタイミングで整理が必要そうだ。
それから、父の遺品整理や相続の手続きをしていて、重要な書類、印鑑だけでもひとまとめにしておいてくれたら…と度々思った。重要な書類といったら、マイナンバーカード、年金証書と年金手帳、印鑑証明とかそういったもの。これらが揃っていると残された家族は、色々手続きしやすいから。
遺言書を作る
これはインターネットで検索していて、おすすめとして紹介されていたので一応書き記しておく。幸か不幸か、わたしの父は財産をほとんど持たずして死んでいった。だから、住んでいた古い団地と預貯金を姉妹で分けて、全ての手続きは終わりになるだろうと思う。だから遺言書がなくても、さほど困ることはなかった。
しかし、相続人が複数いたり、複雑な関係の場合、それから莫大な財産を残してくれた場合はそうではないだろう。その時はきっと、遺言書が大きな意味を持つ。突然、家族の孤独死と向き合うことになった遺族の心労を減らしてくれると思う。
健康寿命を延ばす
わたしの父の場合、体力が落ちたタイミングが大きく2回あった。それは、入院生活でリハビリをさぼったとき、それから退院して食欲が減ったとき。
ベッドの上での生活を余儀なくされ、歩くこともままならなくなったがん末期。思うように手足が動かなくなり、関節は硬くなる一方だった。そんなとき、父は「(入院中に)リハビリやっておけば…」と呟くのだった。
タラレバ言っても仕方ない!とばかりに関節のマッサージを施し、どうにか気力を保つのに必死だった。そして、食事の量が減ってからはほとんど寝て過ごすことが多くなった。
そんな父を見ていて、健康寿命を延ばすためには運動と食事が大切なのだとつくづく思った。父にとっても、自分で歩ける、食べられる、というのは最後まで生きる希望になっていたように思う。
基本のき、みたいな話だけれど、結局のところ健康でいる時間を延ばすことで、ゴミ屋敷問題とは距離を置くことができる。健康であれば独身であっても1人暮らしであっても、身の回りのことを自分自身で整えて、人生を楽しむことができるから。
編集後記:以上、孤独死寸前だった父を見送り、現在進行形で相続の手続きや、かつてゴミ屋敷だった実家の片づけに向き合っているわたしが思うことでした。みなさんの周りではゴミ屋敷問題なんて起きていないでしょうか?