訃報を知らせるのに良いタイミングなどない。
あー、やっぱり泣いてしまった。
今週から仕事を再開し、来週には父の納骨を控えている。通常運転に戻りつつある、わたしの生活。だから、意を決して行ったんだ。父がよく通っていた立呑屋へ。
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父が足繁く通っていた立呑屋は、わたしが通っているジムのすぐ近くにある。筋トレは趣味と言ってもいいくらいだから、わたしも毎日のように立呑屋の前を通っていた。
コロナ禍で人数制限や換気の義務を負った立呑屋は、扉を大解放して営業を続けている。だから、店の前を通るとカウンターで呑んでいる父の姿が漏れなく見えた。
ときどきは声を掛けたりもしたが、酒呑み同士で盛り上がっているところを、娘のわたしが割って入るのも憚られる。そんなわけで、いつも扉から父の姿だけ確認するのが習慣になっていた。それはわたしなりの親孝行だった。
そんな毎日が続くと思っていた去年の秋。扉越しの親孝行は唐突に終わりを告げる。父が入院することになったのだ。
そこから先は、これまでも書いた通り。余命3ヶ月の"3ヶ月"は無情にも過ぎていった。
父の食を支えてくれていた立呑屋には挨拶に行かねばなるまい。しかし、何と伝えて良いかわからない。マスターの顔を見たら泣いてしまう。
そんなことを考えていたら、3ヶ月、いや4ヶ月が過ぎようとしていた。
さすがに納骨までには行かねば。
日を追うごとに焦る。焦って更に足が進まない。
本当のことを言えば、真っ先に訃報を知らせるべきだったのかもしれない。しかし、時はコロナ禍。家族だけで見送るのが良い、と頑なに信じていたわたしは、訃報を知らせることなく今に至ってしまった。
そして、昨日。立呑屋が開店する前に、お世話になった挨拶に伺うことにした。何曜日の何時に伺っても、訃報を知らせるのに良いタイミングなどない。
重ね重ね無礼だとは思いつつも、納骨までには…という一方的な都合で立呑屋に向かった。
しかし、"今日だ"と心に決めたはずだったのに、立呑屋の暖簾が見えたら心が揺らいだ。心だけじゃない。目の前がゆらゆらと揺れている、涙で。
あー、やっぱり泣いてしまった。
「今日のところは帰ろう…」
そう思った矢先、お店のスタッフが「娘さん!」と声をかけてくれた。さすがは大解放中。
そこからはお察しのとおり。マスターとスタッフに温かく迎えられたわたしは、申し訳なさとせつなさと嬉しさで、大号泣をした。
訃報を知らせるのに良いタイミングなどない。
時間はかかってしまったけれど、感謝の気持ちを存分に伝えることができた。これですっきり、父の納骨を迎えられそうだ。