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父、夢枕に立つ。

亡くなった人が夢に出てくると、自称霊感があるわたしは”何か伝えたかったんじゃないか…”なんて思う。そもそも、霊感があるかもしれない…と思ったのは、祖母が亡くなったときまで遡る。

まだ実家で暮らしていた頃、電話の音で目が覚めた。わたしの枕元からはちょうど電話機が見える。ベルがなる電話機を見た瞬間、「祖母が亡くなった」と感じた。現に、その電話は祖母の訃報を知らせるもので、わたしの父(先月亡くなった)が応対した。なぜ「亡くなった」と感じたのかというと、その当日の夢に祖母が出てきたからだった。

夢の中で祖母の手を握っていたわたし。入院先のベッドに祖母は横たわっていて、お見舞いに行ったわたしは祖母の傍らで手を握っていた。昔の人のわりには大柄だった祖母がわたしの手を強く握ると、ものすごい勢いでベッドごと遠くに行ってしまった。さすがは夢の中。支離滅裂だ。

さっきまで手を握っていた祖母は、どんどん遠くへ行ってしまう。もう手を伸ばしても届かない。光の中にベッドごと包まれていくような感覚があって、それと同時に現実の世界で電話のベルが鳴り始めた。寝ぼけまなこのわたしの視界に入ったのは、例の電話機。それを見て、「祖母が亡くなった」と思ったわけだ。まるで夢の中に別れを告げに来たかのようだった。

だから、亡くなった人が夢に出てくるというのは、自称霊感があるわたしにとっては意味があることのように思えてならない。

前置きは長くなったが、お墓探しの旅が始まった頃、先月亡くなったばかりの父が夢に出てきた。わたしの夢では2度目のご登場(ジャジャーン)。

父が信心深くないことは今までの記事でも何度か書いたことはあるが、そのDNAを受け継ぐわたしも、まるで信仰心がない。リビングに鎮座するお骨に手を合わせたりはするが、葬儀屋さんが置いていってくれたお鈴やお線香は正直あまり使っていない。お土産でもらったお酒を、父が焼いた器に注いで、「呑みたいだろうに~」と意地悪に声を掛けるくらいだ。

とは言え、あまりに信仰心がないので少々うしろめたさもあった。

”ちゃんとご供養してあげないと”

そんなことを考えながら、この数日暮らしていた。夢枕に立った父曰く、「ろうそくだけは絶やさないで~」(うらめしや~のイントネーションで)とのこと。


──お線香じゃなくて、…ろうそく?

──キャンドルジュンかな?


父が夢に出てきた日の朝、ろうそくを灯した。ゆらゆらと揺れる炎越しの遺影は鼻で笑っているようだった。どうやら、祖母が夢に出てきてくれたときのような深い意味はないようだ。

後日談:遠方の姉にも父が夢に出てくるか聞いたところ、「出てきやしね~」とのことでした。せっかくなら姉妹平等に夢に出て、何か意味のあるお告げでもしてほしい今日この頃です。


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