柿の実のなる頃に【介護回顧録】
高級フルーツ店の柿は
思っていたよりも美味しくなかった。
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去年の今頃、わたしは父の介護に奮闘していた。
奮闘といっても
食欲旺盛な末期がんの父に食事を作るのが
主な役割だった。
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投薬のせいか、父の味覚は鈍化しているようだった。
手の込んだ料理を作っても
「まぁまぁ」と言う。
旬のものを食べさせても
「おいしくない」と言う。
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そしてついに出会った。
赤々と熟れた柿に。
柿だったんだ。
父の味覚を満たすものは。
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高級フルーツ店で買う赤々とした柿を父は好んで食べた。
強い甘さが
鈍化した舌にはちょうど良いようだった。
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食欲の落ちた父は柿一つを食べることはできなかった。
何日にも分けて食べるか
わたしが残りを食べるか。
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やがて、フォークを持つことができなくなり
わたしが柿を食べさせる日が増えた。
この頃になると、食べる量より残す量が増えて
ほとんどわたしが柿を食べていた。
弱った父を真正面から見ることができず
わたしはそっぽを向いて
柿を食べさせた。そして泣いた。
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父が亡くなったあと
キッチンにはいつもと同じように
赤々とした柿が並んでいた。
もったいないから…と家に持ち帰ったが
食べる気にはならなかった。
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それから季節が巡り
今年も柿の季節になった。
高級フルーツ店の軒先には
特別なシールが貼られて、赤々と輝く柿が並ぶ。
「おいしそうでしょ」といわんばかりだった。
そのうちの一つを持ち帰る。
手にすると小さな柿の実。
これを何日もかけて食べていたかと思うと胸が苦しくなった。
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父に食べさせていたときと同じように
柿を剥き
小さく切った。
「おいしいでしょ?」
赤々とした柿が聞いてくる。
値段も見た目も、自信ありげだ。
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高級フルーツ店の柿は美味しくなかった。
あの柿は、去年食べたあの柿は
父と食べたから美味しかったのだ。涙も一緒に。