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色を持たない春は。
つい最近のつぶやきでこんなこと☝を書いた。
毎年違う春…毎年、毎月、毎日違う日がやってくるのだから、当たり前だけれど。気持ちがガラッと変わるときって、去年の今頃は何してたっけ?どんなこと考えてたっけ?なんて、ふと思ったりする。それで、去年の春のことを考えていた。
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去年の春、わたしの頭の中はお花畑だった。もちろん、父の病気が発覚する前だったから、父とは普通に会っていた。月に1回のペースで飲みに行ったり。
そうそう、頭の中がお花畑というのは決して比喩ではない。(比喩でもあるけれど)
コロナ禍の園芸ブームに例に漏れず巻き込まれたわたしは、いつも園芸店にいた。
見る花、見る苗、見る葉っぱ。どれも愛おしい。一鉢数百円で手に入るものだから、ついつい買い物の度に買ってしまう。
困ったことにスーパーまでの道中に、ペットショップと園芸店があるのだ。わたしを魅了するものたちの誘惑に、主婦であるわたしは日々打ち勝たなければならない。そしていつも勝てない。
それで、気づけばベランダには植物があふれかえっていた。1日の予定は植木のお手入れで始まる。頭の中がお花畑の春だったのだ。去年は。
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じゃあ、今年はどうだろう。
正直、春の香りがする頃は、まだ父の死が身近にありすぎてウキウキした気分になれずにいた。
「元気?」と聞かれれば、「元気」と答える。だけど、本当のことを言えばカラ元気だ。元気出さなきゃと思っているような状態がずっと続いていて、いつまでも心がからっぽなのだ。
去年はあんなにときめいた花も苗も葉っぱも、今年は色を持たない。
あぁ、やっぱり心が疲れてるんだ。
そう気づいたわたしは、ようやく自分の心の状況を知ることができた。「元気だよ」と言葉を突き返すことで、本当は大丈夫じゃない心を守っていたのだ。
そして今度は、周りから優しく差し伸べられている手や言葉を受け入れることにした。するとどうだろう。
新しい出会いがあり、チャンスに恵まれ、周りが急に春めいてきた。
…なんて、スピリチュアルみたいなこと書いたけれど、要は資格取得のための編み物教室に行ったら童心に帰るような刺激があって、そしたら急に編み物教えて~なんてお声が掛かって、そこではアンテナ張り巡らせたクリエイティブな人と出会って、わたしの心までポジティブになった…という話。
去年の春には思いもしなかったできごとが日々起きている。それでも、来年の春もまた、今年の春を思い出すのかしら。