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ほのじ介護録/余命3カ月の父とわたしの場合
2022年4月7日 11:32
うちの父はゴミ屋敷で孤独死寸前でした。体調が悪くなって☞わたしにSOSを出して☞ゴミ屋敷から病院へ脱出できたけれど、放っておけば間違いなくゴミ屋敷で孤独死していたと思います。どぎつい書き出しですみません。初めてこのnoteに辿り着いて下さった方のために、簡単にまえがきを記します。まえがきわたしの父は亡くなる日まで独り暮らしをしていました。昨年9月に病気が発覚し、年が明けた今年の1月に、
2022年4月1日 11:30
春だな~…なんて、ほのぼのと呟ける日がくるとは思わなかった。ほんの数カ月前までは。・・・今年の1月に他界した父。昨年の9月に病気がわかり、入院。そして、10月に退院してから、その介護をまるっと担っていたわたしは、「わたしの代表作は父の介護です!」と宣言するがごとく、父一色の日常を送っていた。父が他界して、もうすぐ3か月。お墓のことや相続手続きのことで、何なら今も「わたしの代表作は父
2022年3月31日 12:09
今日で投稿100日目。この記事は99日目の昨日のわたしが書いている。場所は、noteを綴るきっかけとなった実家で。・・・数週間ほど訪れていなかった実家へとやって来た。久しぶりというわけではないのに、玄関を開けると懐かしいにおいがした。決して良い香りではないから、においなのだと思う。お日様に照らされた畳の青いにおい。少しナフタリンのにおいも混じって、介護用品なのか消毒薬のようなに
2022年3月30日 11:57
ハウスクリーニングを依頼して、なんとなく綺麗になった実家。”なんとなく”というのは、契約では掃除してくれるはずだったトイレはほぼ手つかず、部屋の壁も傷みがあるため、「できない」と言われたためだ。それから、「床のコーティングをするから1時間くらい外に出ていて」と言われて業者に鍵を預けたが、帰ってきてみても何もコーティングされた形跡はなかった。むしろ、業務用洗剤が飛び散った跡が乾燥しはじめて、うす
2022年3月25日 10:55
もう限界だった。・・・トイレに行く度にコンビニや近くの飲食店に足を運ぶ。お金もかかるし、労力もかかる。意を決して、開かずのトイレの扉を開けてみることにした。──無理。とっさに、そう悟った。スラム街の公衆便所。もはや、そう呼ぶのに相応しいほどにまで実家のトイレは朽ち果ててしまった。かつて、わたしの実家のトイレは最新式のウォシュレットが設置され、同級生の間でも羨望の的だった。
2022年3月24日 12:38
つい今しがた、亡くなった父の友人から電話があった。子供の頃、わたしもよく遊んでもらった気の良いおじさんだ。酒に酔った赤ら顔、目尻の下がる優しい笑顔が今でも思い出される。コロナ禍で身内のみの葬儀だったので、お線香だけでも…という話になっていた。だから、これまでにも何度かそのおじさんから電話をもらっていた。しかし、予定がなかなか決まらない。というか、「では今度伺います~」「またお元気で~」なん
2022年3月23日 11:00
新しい命と出会い、姉にSOSを出して、ゴミの片付けはまずまず順調に進んでいた。いつしか、得体の知れない虫に出会うことにも慣れて。・・・ゴミ屋敷の片づけをしていて、気づいたことがあった。それは、ゴミと同じくらいお金が出てくるということ。お金といっても小銭だが、贈答用の菓子箱、梅干しが入っていた壺、コーヒーの空きビンやらに、小銭が満タンに入っているのだ。・・持ち上げるのに困るくら
2022年3月22日 11:35
わたしと姉がゴミ屋敷の惨状に四苦八苦している頃、父は。・・・幸か不幸か、コロナ禍の入院は面会謝絶ということで、入院の手続き以来病棟に入ることは許されなかった。だから、父の様子は本人からのカタコトのメールで知ることになる。察するに、”検査検査で毎日疲れる…”だそうだ。そうだろう、そうだろう。高校生の頃以来、医者に掛かっていなかったのだから。なんと返信して良いか迷うから、「何か食べた
2022年3月19日 07:58
父の病院に差し入れを届けて、ゴミ屋敷を片づける。そんな日々が続いた。その頃、わたしの頭を悩ませていたのは、父が入院したことを姉に告げるか、だった。遠方に住んでいるから、なるべくなら心配を掛けたくない。いや、本当に伝えたかったのは、ゴミ屋敷の惨状だ。電話でSOSを出して、姉には週末に来てもらうことにした。そうでもしなければ、わたしもゴミ屋敷の藻屑となって、真っ暗な海の底に沈んでしまいそうだった。
2022年3月18日 11:49
ゴミ屋敷は時として新しい命を生む。狭い狭いベランダの、そのまた端に。・・・実家のベランダの隅には、使わなくなって何年も放置された植木鉢が積み上げられていた。几帳面に同じサイズが均等に積まれている。いかにも、自分ルールの激しい父らしいと思った。植木鉢には穴が開いていて、穴の下に穴、その穴の下に穴、その穴の下に穴…といった具合に、無数の穴が層になっていた。その一番下。陽の当たらないベ
2022年3月17日 12:52
ゴミ屋敷を脱出できた父は病院で数週間過ごすことになった。人生で初めての入院。そして、検査。この時、父の体は検査をしたらしただけ病名が付くという状態だった。・・・父が入院した翌日、わたしは実家に向かった。怒りを原動力に、ズンズン進む。こみ上げてくる怒りは、ゴミ屋敷になるまで放っておいた父へのものだ。父への当てつけとして、この惨状をどうにか記録に残してやろうと思って、カメラを回したりもし
2022年3月16日 11:18
ほんの1カ月会わない間に、父は亡霊のようになってしまっていた。タクシーが辿り着いたのは、自宅から徒歩5分の病院。いつもならわけない散歩道が、今日は遠かった。・・・消化器内科での診断は、紹介状を書くからすぐに大きい病院に行ってくれ、ということだった。親切な看護師さんが手配してくれたタクシーに乗り込んで、わけもわからないまま大きい病院に向かった。当分帰って来れないであろうゴミ屋敷を眺め
2022年3月15日 11:50
入院してから、退院までが1カ月。入院している側にとっては長いと思うが、退院の準備を進める側としては短すぎる日程だった。だって、父が帰って来るはずの家はゴミ屋敷だったから。・・・「具合が悪いから病院に連れて行ってほしい」と父から電話があったのは9月のとある夜こと。出先で電話を受けたわたしは、車で実家に向かった。栄養ドリンク、ゼリー、父が好きなカレーパンを買って。実家に着いたわたし