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日々の徒然

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父の介護のこと、亡くなってからのこと、わたしのこと。末期がんの父を自宅で介護していた日々を綴っています。
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#末期ガン

残された時間、どう過ごせるのか検索した日々【末期がん】

残された時間、どう過ごせるのか検索した日々【末期がん】

末期がんと診断された父の闘病中、わたしは日々検索をした。介護に関することだったり、病気の名前だったり、薬の副作用だったり。
それから、末期がんの人が具体的にどんな症状が出るのか検索することもあった。父に残された時間はわずか。その大切な日々をどんな風に過ごすことができるのか知りたかったから。





度々書いていることだから、もういいよという声も聞こえてきそうだけれど、そう言わずに聞いて頂け

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色を持たない春は。

色を持たない春は。

つい最近のつぶやきでこんなこと☝を書いた。
毎年違う春…毎年、毎月、毎日違う日がやってくるのだから、当たり前だけれど。気持ちがガラッと変わるときって、去年の今頃は何してたっけ?どんなこと考えてたっけ?なんて、ふと思ったりする。それで、去年の春のことを考えていた。





去年の春、わたしの頭の中はお花畑だった。もちろん、父の病気が発覚する前だったから、父とは普通に会っていた。月に1回のペー

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ハウスクリーニングの闇とこれからのミッション【ゴミ屋敷からのSOS】#9

ハウスクリーニングの闇とこれからのミッション【ゴミ屋敷からのSOS】#9

ハウスクリーニングを依頼して、なんとなく綺麗になった実家。”なんとなく”というのは、契約では掃除してくれるはずだったトイレはほぼ手つかず、部屋の壁も傷みがあるため、「できない」と言われたためだ。

それから、「床のコーティングをするから1時間くらい外に出ていて」と言われて業者に鍵を預けたが、帰ってきてみても何もコーティングされた形跡はなかった。むしろ、業務用洗剤が飛び散った跡が乾燥しはじめて、うす

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とある3つのファンタジー【陽気なおじさんを召還し、父の思い出話を聞く】

とある3つのファンタジー【陽気なおじさんを召還し、父の思い出話を聞く】

https://note.com/honozikaigoroku/n/n172e1571a987

父のことを”ちゃん”づけで呼ぶのは、もはやこのおじさんくらいだろう。青春時代を高度成長期とともに過ごし、日本経済が右肩上がりであったバブル期をともに駆け抜けた同志。さぞかし色鮮やかな思い出話が聞けるに違いない。

そう意気込んだのも、つ・か・の・ま。全ては壮大なファンタジーであってほしいと今は願う。

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不達の喪中はがきが陽気なおじさんを召還した話。

不達の喪中はがきが陽気なおじさんを召還した話。

つい今しがた、父の友人の陽気なおじさんが線香をあげに来てくれた。遠路はるばる…と言うには近い、隣接する市からの来訪だった。子供の頃、そのおじさんの家にお邪魔したことがあるが、とてもとても遠かった記憶がある。気が付けば、おじさんと会うのは30年ぶり。年齢というのは距離まで縮めてしまうようである。





そのおじさんに訃報を知らせるために送った喪中はがきは、どういうわけか不達だった。大変な失

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夢は支離滅裂だけど、死んだ父に会えた。

夢は支離滅裂だけど、死んだ父に会えた。

年明けに父がなくなって1ヶ月経った。陽は延びたけれど、駅に着く頃にはもう月が出ていた。

──いい加減片づけをしないと

そう思い立って、月命日の翌日に部屋の片づけをすることにした。

片づけないと…という気持ちが毎日毎日積み重なって

1カ月過ぎたら、父が夢に出てきた。

夢の話は支離滅裂で、

なぜか白い段ボールでできたソファに父は座っていた。

鍵を忘れて家を出たわたしに、『何やってンだ』と

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味覚ブルース

味覚ブルース

味が落ちたのか
俺の舌が落ちたのか──

うなぎを食べて、そう呟く父の背中には哀愁が漂っていた。

今日はただそれだけの話。

あおがく優勝だってよ!

あおがく優勝だってよ!

父と箱根駅伝を見に行くのは、ここ数年、正月の恒例行事になっていた。

わたしはスポーツはあまり興味がないし、得意な方でもない。だから、父と野球の中継を見たり、サッカーの話題をするのはいつも姉の役割だった。

それでも、駅伝だけは違った。

駅伝のコースの近くに住んでいるから──

そんな理由ではあるが、唯一、箱根駅伝がわたしのスポーツとの接点であり、一緒に見に行くのが親孝行になって(少なくともわた

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【末期がん】残された時間、家族は

【末期がん】残された時間、家族は

昼ごはんに合わせて実家へ行って、昼ごはん、夜ごはん、次の日の朝ごはんを用意する。

父が退院してからのわたしの生活はそんな感じだった。

しかし、退院して2ヶ月になる頃、急激に食欲が落ちて、果物をときどき食べるくらいになった。

目を覚ますことも少なくなってしまった。

洗濯が終わると、特にすることはない。できることと言ったらときどき父の体の向きを変えて、床ずれができないようにするだけ。

──こ

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ガン末期の症状

ガン末期の症状

これまで痛みも吐き気もなく過ごし、父が末期ガンであることなど忘れかけていたある日。

──ここへ来る前、札幌の病院に入院していた

と父が突然言い出した。

私の知らない間に入院していたのか?と考えたが、父は毎日うちの近所の飲み屋に通っていて札幌に行っていた形跡はない。

病院に行くのも高校生の頃の盲腸以来…と自慢げに話していた。

意味がわからず問い詰めると、病院の場所やどういう経緯で入院したか

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おでん

おでん

今日は娘と行くよ、とメールを打つと
『待ってます』といつになく早い返信があった。

父にとっては初孫である。
口数は少なくとも、かわいいはずだ。

娘と3人で一緒に食卓を囲めるのだから 
折角なら好物のおでんにしよう。
前日から仕込んだ大根を持って家を出た。

おでんが好物なのはわたしの娘だが
無論、酒飲みの父が嫌いなはずもない。

大急ぎでたまごを茹で、
おでんの詰め合わせと
買い足したすじ串を

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