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ほのじ介護録/余命3カ月の父とわたしの場合
2021年12月31日 08:41
味に厳しい父親に料理を作るのは至難だった。初めのうちは気張った料理を作ってみたりもしたが、退院して間もない胃腸はそれらを受け付けない様子で、ごく一般的な家庭料理が食卓に並ぶこととなった。というより、もともと料理に興味のないわたしのレパートリーはあっという間に尽きた。そして、毎日の献立を記録したメモ帳には、父の好物である肉じゃが、すきやき、おでんが頻出することとなる。味付けにはムラがある
2021年12月30日 13:35
──美味しいめんつゆ買っといてそんな一言で今日も介護生活が始まった。父がまだ元気だった時、高級スーパーで買ったというめんつゆ。てっきり父のお気に入りだと思って料理に使っていたのだが、どうやらお気に召さないようだった。残っているのに、もったいない。しかしお気に召さないのなら致し方ない。買い物に行くとしよう。どのメーカーが良いの?と問うと、『ニンベン』と一言。案外ふつうの答えが返ってきた。
2021年12月29日 09:37
父と娘の介護において下の世話は悩ましいトピックであった。このところ、父はお腹の調子が良くないようで、お手洗いから出てくるなりケツを拭いてくれと言うのだ。…意を決してケツと対峙する。子供のそれとは違う。しわしわのケツだ。『ゾウのお尻みたい!』が初めて対峙する父のケツの感想であった。──いや、ちょっと待ってくれ。私の一番好きな動物はゾウなのだ。コロナが終息したらタイに
2021年12月28日 10:20
薬の影響か、父は香りや味を感じにくいようだった。インスタントコーヒーをガブガブ飲んでいるわたしの背中に視線が刺さる。──味のわからないヤツめとでも言われている気分だった。この頃、時を同じくして友人が自家焙煎の珈琲豆の販売を始めた。──そういえば実家にはコーヒーミルがあったはず翌朝、わたしは友人が焙煎した珈琲豆とフレンチプレスを持って家を出た。実家に着き食器
2021年12月27日 09:55
余命3カ月と聞いて、わたしは悲観した。──もう一緒に出掛けることはないのだ、と。部屋の片付けを任されたわたしはコートもズボンも、もろとも袋に詰め込んで捨てた。初めのうちは、歳のわりにお洒落な父の洋服を捨てるのには躊躇いがあった。ところが少し片付いた部屋を見ては嬉しそうに片付いたな…と呟くので日ごとに潔さを増していった。退院して数日経っても、父はどこか鬱々としていた。めま
2021年12月25日 08:11
お昼ご飯出そうか?と聞くと煙たそうな声で『昼飯なに?』と父。──待ってました!助六です、ピシャリと言ってやった。昨日は”助六寿司が食べたい”とメールがありデパ地下で買って行ったのだった。希望に応えて買って行ったというのに太巻きが入っていないことに父は不服な様子だった。そして今日嫌味のつもりで二日連続の助六寿司にしたわけだが”助六買ってきてってメールしよう
2021年12月23日 08:04
はじめまして【ほのじ介護録/余命3ヶ月の父とわたしの場合】の"わたし"です。ある日突然、末期がんと診断された独り暮らしの父と、ある日突然、介護することになった娘の介護録です。1ヶ月の入院を経て、現在は自宅で緩和ケアをしながら生活しています。介護する側のわたしの視点で日々の暮らしを綴っています。はじまりnoteを始めようとしたとき、父はまだ入院中でした。退院すれば一人暮らしの父を介護する生
2021年12月22日 16:01
今日は娘と行くよ、とメールを打つと『待ってます』といつになく早い返信があった。父にとっては初孫である。口数は少なくとも、かわいいはずだ。娘と3人で一緒に食卓を囲めるのだから 折角なら好物のおでんにしよう。前日から仕込んだ大根を持って家を出た。おでんが好物なのはわたしの娘だが無論、酒飲みの父が嫌いなはずもない。大急ぎでたまごを茹で、おでんの詰め合わせと買い足したすじ串を