決意すると、なぜか上手くはなし
僕自身「これをやりたい」「あれをやりたい」と思ったことを決意し、行動を起こし始めると、歯車が周り始めて、なぜか物事がうまくようになった。
このような出来事が、これまでに3回ほどあります。
今回は、そんな僕自身の成功体験を3つ紹介します。
成功を体験してきた中で、大切にしてきた考え方もお伝えするので、ご興味のある方は是非最後までご覧ください。
※成功の言葉の定義としては、ここの中では自分で決めた目標を達成できたという意味で捉えていただけると幸いです。
日本一規模の趣味グループを創ろうと思った時のはなし
僕はラブライブというアニメが大好きなのですが、そのアニメオタクを集めた日本一規模の趣味グルを創りたいと思っていた時期がありました。
僕がそう思ったのにも、理由があります。
僕には同い年のラブライバー友だちがいるのですが、その友だちと出会ったのがきっかけです。
※ラブライバーとは、ラブライブ好きなオタクの総称です。
話は5年ほど前に遡ります。
当時僕は20歳で、東京に上京してきたばっかりの頃でした。
東京に上京してきて数日後に、ラブライブのLIVEがあったのですが、その友だちとは初めて、そのLIVEを通じて出会いました。(その前からTwitter上での絡みはありました。)
当時はラブライバーの友だちが欲しかったこともあり、その友だちが運営していた趣味グルに参加していました。
その友だちに直接会って話を聞いていく中で「こいつ同い年なのに、マジでスゲェな」と感じたのを覚えています。
なぜなら、その友だちは、僕と同い年なのにも関わらず、200人近いラブライバーを統括している趣味グルのリーダーだったからです。
それも、全国各地に幹部を配置しており、グループがうまく機能するように工夫されていました。その様子が、まるで会社を経営している社長のように見えて、素直にカッコよくてすごいなと思い、その姿に憧れを抱きました。
ただあくまでも、その友だちは自分と同い年だったわけです。憧れた反面、なんで自分とこの人にはこんなにも差があるんだろう。といった、悔しさもありました。
そんな時、その友だちのグループ内でLIVEの打ち上げをしていた時のことです。
僕は彼に対して、気づいたらこんなことを言っていました。
「俺は必ずお前のグループを超えるグループを創ってみせる」
※この時の文章酷すぎて公開したくないレベルです笑
その時の僕は、ラブライバーの友だちはほぼいなかったし、Twitterのフォロワーも決して多くなかったです。
おまけにグループのリーダーなんてやったことなかったし、コミュ障なのでコミュ力もなかったし、どうやって人を集めればいいのかも、全くわかっていませんでした。
しかし、湧き上がる感情を抑えきれずに、その友だちにそう告げました。
その友だちは応援してくれているようでしたが、半分は「まぁ頑張れよー(笑)」みたいな感じで、とてもできるとは思われていない様子でした。
※後になって、その友だちに話を聞いてみたところ、当時は同じようなことを言ってくる人が結構な数いたらしく、「まぁ難しいだろうな〜」と思われていたみたいです笑
これ以上詳しく説明すると、長くなるので割愛しますが、結果的にはTwitterで発信を始めて約3〜4ヶ月で500〜600人ほどのメンバーを集めることに成功し、日本でもトップクラスのラブライブの趣味グルを創ることに成功しました。
これができたのは、自分がそうやると決めたからで、自分ならできると思えていたからこそ達成できたことだと思っています。
Twitterのフォロワーが少ないから難しいだろうなーとか、ラブライバーの友だちがいないから無理だろうなーとか、そんな後ろ向きなことは、あんまり考えていなかった気がします。
自分がやりたいと思ったから、その気持ちに従って素直に行動を起こし、その自分のやりたいことに賛同してくれる人が少しずつ集まってきてくれておかげで、当時自分が成し遂げたかったことを実現させることができました。
この体験が1つ目の成功エピソードです。
副業で月収30万円稼いだ時のはなし
2つ目の成功エピソードは、ちょうど1年ぐらい前のはなしです。
当時は、とりあえず独立してみたい。ということで、フリーランスという働き方にすごい憧れをもっていた時期でした。
フリーランスとして独立するにも、何から始めればいいのかわからなかったので、とりあえず参入障壁の低いWebライターを始めてみることにしました。
その時も1円も稼げていない状態の時から周りの友だちに「俺はWebライターで月収30万稼げるようになる」のようなことを言っていました。
※今このツイート見ると、クソ恥ずいです笑
ちなみに、なぜ目標金額を月収30万円に定めていたかというと、ゆとりをもって生活できる金額が月収30万円だったからです。
ライター業は個人事業主という働き方なので、税金を収めなければなりませんが、副業で月収30万円稼げていれば、本業になったら時間をもっと使える分、さらに稼げるようになるだろうという想定のもと月収30万円という目標金額に設定しました。
しかしWebライター業は参入障壁が低くて始めやすいものの、始めは単価が恐ろしいほど低く、時給300円が当たり前のような世界でした。
当時は本業(タクシードライバー)と兼業で副業をしていましたが、あまりの単価の低さに「この仕事一生やっても本業の時給抜けないんじゃねーか?」と考えていた時のことを思い出します。
ただ頑張って続けていると時給は少しずつ上がってきて、月収30万円稼げるようになった時は、時給2,000円ぐらいにまで伸ばすことができました。ライターを始めてから、約半年〜1年ぐらいで目標を達成できました。
ただ「もしかしてフリーランスって、めちゃクソブラックじゃね?」と気づいてからは、少しずつフェードアウトしていって、最終的にライター業は辞めました。
※ Webライターは2023年の1月末に辞めました。
これが2つ目の成功エピソードです。
タクドラで営業所トップを目指した時のはなし
3つ目の成功エピソードは、ここ最近の話です。
Webライターを辞めてからは、次はなにを目標にして頑張ろうかな〜と考えていたところ、タクドラで営業所トップを目指してみるか。という結論に至り、営業所トップを目指すことにしました。
ただタクドラ歴は4年半ほどある僕でしたが、それまで仕事を真面目にやっていたとは到底いえませんでした。
毎月うちの営業所では、月初になると前月の1位〜65位ぐらいまでの売上がランキング化されたものが貼り出されるのですが、僕は4年半勤めていた中で、そのランキング表に載った記憶は、わずかに数えるほどしかなかったです。
しかもランキングに載った記憶があったとはいえ、コロナ前の景気が良かった時にたまたま30〜40位ぐらいになれたぐらいで、トップの人たちとは売上に差がありすぎて、正直トップになれるビジョンは全く見えていませんでした。
それでも同僚の友だちに「営業所トップになるわ」と宣言して、今年(2023年)の2月から真面目に取り組み始めました。
結果としては、2月の総合成績が営業所内で6位(隔勤4位)。3月が4位(隔勤2位)。4月が2位(隔勤1位)。5月に1位(夜勤1位)の成績を納めることができて、決意してわずか4ヶ月で営業所トップになることができました。
これが3つ目の成功エピソードです。
成功体験をつくる上で大切にしてきた考え方
結論、「自分のやりたいことを周りに宣言する」
僕が大切にしてきた考え方は、ほぼこれだけだと言っても過言ではありません。
僕は意思力がなく自分に甘い人間なので、周りやりたいことを宣言し、あえて逃げ場をなくすことで、もうやるしかない。という状況を自ら作り出してきました。
いわゆる、背水の陣ってやつです。
これを徹底したことで、3つの成功を体験できたともいえるでしょう。
あとは、言葉の使い方も大切にしてきました。
例えば、営業所トップになる。営業所トップになりたい。この2つの文章を見た時に、どちらの文章の方が力強さを感じるでしょうか。
おそらく営業所トップになる。の方が文章に力強さを感じるはずです。
なぜなら、「〜なりたい」とは、ただの願望であって、決意ではないからです。
※決意=意思をしっかり定めること
※願望=願ってその実現を望むこと
物事の実現を願って望むのは、受動的であるともいえます。
ひとまず自分の力だけで願いを実現させようと思っている人、いわゆる主体的な人には、受動的な人は勝てないでしょう。
※主体的な人=自分の意思で行動する人
※受動的な人=受け身な人
そういう細かい言葉の使い方を意識するだけでも、結果に差が出てくると僕は思います。
これからの目標
今のところ、次の目標は「東雲キャナルコート」に住むことです。
理由は、僕が好きなアニメの聖地だからです。
※アニメの中では、主人公の自宅という設定になっています。
一人暮らしの物件でも家賃は15〜20万ぐらいするっぽいので、年収800〜1,000万程度は必要になると思います。
結構難しい条件ですが、毎月貯金して、ある程度の貯金を蓄えた上で、来年の誕生日を目処に引っ越そうと思ってます。
以上が、決意すると、なぜかうまくいくはなしでした。
最後までご覧いただきありがとうございました。もし需要あればまた何か書きます笑
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?