あ、「まちづくり」がここにある。②社会人一年目、大洲市民一年目。
紆余曲折あってホテルマンになることになった私。
全国にいくつかあるホテルのどこに配属になるかは、直前までわかりません。という覚悟はしていたものの、全く予想だにしない場所に配属されました。
それは愛媛県大洲市。
おおず、、、?
松山に一泊二日で遊びに行ったことくらいしかなかった私は、
大洲という地名も、その場所も全く知りませんでした。
ちなみに大洲市は、愛媛県の南予に位置するまちで、
明治、大正時代の古い町並みが残る「伊予の小京都」とも呼ばれます。
日本100名城の一つである大洲城、数寄屋建築の傑作である臥龍山荘など歴史文化的なスポットに加え、肱川流域の豊かな自然を体感できるスポットも多い。
でも、よくよく聞くと、大洲は観光まちづくりの観点で官民の連携がしっかりしており、先進事例になりうる場所として脚光を浴びているとのこと。
将来的にはインバウンドの受け入れにも期待が高まる場所だというではないですか。
むしろそこに一年目から配属されるという、、、なんと光栄なこと!
全く知らない土地にいくことに対して一抹の不安はあったものの、
そんなのよりワクワク感の方が大きかった。
そしてスタートした大洲生活。
さあ働くぞ!と意気込んでいたものの、コロナ禍は続いていて。
思うようにお客様をお迎えすることができない日々だった。
そんな中私は、たっぷりある時間を使って、まずは自分の足で大洲を知ろうといろんなお店にご挨拶がてら遊びに行った。
こんな時期に関西から来たなんて言ったらちょっと嫌かな、とか
そもそもいきなり自己紹介されてもなんか変かな、とか
思うことはあったものの、自分の中にある(というかイタリアで否応なしに培われた)社交性とコミュニケーション能力を最大限に引き出して
顔を売りに行ってました。笑
でも、そこで感じたのは、地域のコミュニティのあたたかさ。
自己紹介をすると警戒することなく迎え入れてくれて、お菓子をくれたりおまけをつけてくれたり、、
「こんな田舎に来て大変でしょ〜」ってみんな口を揃えていうんだけど、
皆さんにどこかしらに大洲に対する愛情みたいなものを感じられた。
(私の主観ですが!)
まちづくり会社の方々に至っては、さらにさらにその愛は深く大きくて。
「まちづくり」という絶対的な答えが存在しないことに向かって全力で働かれている姿に感動した。
大洲というまちを盛り上げるために、
集客装置になって、ファンを作るために
ホテルのいちスタッフではあるけれど、少しでも貢献したい!
心からそう思えていた。
それからというもの、ホテルマンとしてはただひたすらたくさんのお客様の予約を管理し、チェックイン対応をし、食事のサービスをし、チェックアウト対応をし、、、というルーティン。見る人が見たらそれは「まちづくり」ではないのかもしれない。(私自身ここは最初から覚悟していた点であって、想像通りだった)
でも、むしろ予想に反したのは
「まちづくり」を感じる瞬間が随所にあったということ。
・休みの日に何気なく路上やお店で地元の方と始まる会話
「来週の予約状況どう?」「それだったらその日はお店開けようかな」「この前ホテルのお客様が遊びに来たよ」
・お客様からの嬉しい言葉
「チェックインで教えてくれたお店、めちゃくちゃ良かったです!」「大洲がこんないいところだなんて知らなかった」
・実際にリピーター様を生み出すことができたこと
「大洲のまちそのものが気に入りました。また季節が変わったら来ますね。」
大洲という「まち」を誰かの大切な場所として「つくり」あげていく
まちづくりの答えも定義も私の中にはまだ存在してなくて、
そんな曖昧な状態でそこに飛び込んだのはもしかしたら失礼なことだったかもしれないし、
上にあげたような出来事は、尊敬する同僚たちに比べれば些細なことで、私の功績なんて米粒レベルなんだけど、ありがたいことにそれが私にとってはちゃんとやりがいになっていた。
もちろんホテルマンとしての未熟さ、社会人としての未熟さみたいなものは日々のしかかってきて、悩みも尽きない一年ではあったけど、
アップダウンをしながら、がむしゃらに走った一年目だった。
自己満自伝、③に続く