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きゅうけいの日

昨日は、お昼ごろ長男と二人でショッピングモールへ行き、サブウェイでサンドイッチを食べ、必要な買い物を済ませたり、お茶したり、お茶やラベンダーの香りのお線香を買ったり、静かに、のんびりと午後を過ごした。


作法とか、決まりとか、よく分からないけど、それは置いておいて、私は私なりに母の遺影に向かって話しかける。

仏具なども手元になかったので、母が昔使っていたものを出してきて、それをこのまま使おうと思う。

何度も、何度も、ろうそくに火をつけ、お線香を上げる。
お鈴を鳴らす。

お母さん、見守っててね。
お母さん、お願いね。

もうこの世には体がなく、ここに居ないんだというのが、実感として湧いてこない。

母が亡くなる前の3か月は、病気もかなり進行していて、体調が悪く、一緒に楽しく出かける、というのが出来なかったから、その点については先に諦めというか、慣れたのかも知れない。


そういえば


これを逃したら、もう行けないよ、どんどん具合悪くなるよ、旅行行っておいで、と在宅緩和ケアの先生から言われて、9月の末に、看護師さんに同行してもらいながら、一泊温泉旅行を強行突破した。(前日、あり得ないくらい体調不良に陥っていたけど、当日は元気に行けた)

母は、温泉の方まで移動する体力はなく、部屋風呂(お湯は温泉)を楽しみ、蟹を美味しい、と食べ、食べられるものは限られていたけれど、みんなが食べるのを見て、喜んでくれた。
旅行といっても、母はほとんど部屋にいただけだけど、行き、帰りは、道の駅に寄って、ちょっとした買い物や食事も楽しみ、旅行気分は味わえた。
出発まで晴れ予報だったのに、何故か曇ってきて、翌日大雨という訳の分からない天気で、予定を繰り上げて昼過ぎには帰宅した。

でも、無理しすぎなくて、それで良かったと思う。きっと母を守ってくれる何かがそうさせてくれたのだと思う。


色んなことがあった。
辛い3か月だったけど、私はやれることを必死でやり抜いてきた。

辛いお母さんをずっと見てきた。

だから、やっぱり、痛みや苦痛から解放された母に、良かったね、という気持ちが湧いてくるのだと思う。亡くなったことは辛く寂しいことだけど。
そして、お母さんに、会いたいけれど。


葬儀が終わって、凄まじいドタバタも少し落ち着き、のんびりする時間も取ったけど、体の疲れが全然取れない。
今日も接骨院に行ってこよう。

午後は、葬儀屋さんの訪問(葬儀の支払い)があるので、お経のこととか、作法とか、全然わかってない色々を、少し聞いてみようかと思う。

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