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私の適職は無職かもしれない。
「無職は3ヶ月で飽きる」
「最初は楽しいけど、そのうち社会に取り残された感覚になる」
「無職」と言うキーワードに付随して、よくそんな言葉を耳にしますが、その度に「ええ〜⁉︎」とマスオさんばりに心底びっくりしています。
無職期間って最高じゃない?みんな違うの?
冒頭のような言説は、働き手がいなくなると困るから政治家や経営者が流布している嘘なんじゃないかと、陰謀論的な疑いを持つくらいには、「無職に飽きるなんてあり得ない」と私は思っています。
私は過去、鬱病を患って数ヶ月の休職経験があるのですが、振り返っても無職期間は楽しい思い出ばかりです。
好きな時間に起きて、ゆっくりご飯を食べて、太陽の光を浴びながら散歩して、読書や映画鑑賞に勤しむ。控えめに言って最高でした。
もちろん、休職初期は屍のように生きていたので換算しないにしても、たった3ヶ月であの素晴らしい日々に「飽きる」なんて絶対にない。
何なら、お金が許すならずっと無職でいたいくらいです。
「ずっと無職でいたい」は、おかしいのか?
今は生活のことがあるので会社員として働いているのですが、周囲の仕事へのモチベーションを見ると、自分とのあまりの違いにびっくりしてしまいます(featマスオさん)。
私だって、人並みに「スキルアップしたい」「キャリアを充実させたい」と思うこともありますが、残念かな、何かしたい欲求より、何もしたくない欲求の方が圧倒的に強いのです(成長欲求<無気力欲求)。
金銭的に、社会的に許されるなら、のんびりまったりゆるふわ〜っと生きていたいなと常々思っています。逆にどうして世間の人たちはそうじゃないのか、(説教は嫌だから優しく)教えてほしいです。
「勤勉」の皮を被った、惰性人間。
私の「だらしな歴」は、高校時代まで遡ります。
受験に向けた大切な時期に、勉強をサボってDSソフト「妖怪ウォッチ3」を300時間プレイしたりしていました。
現在も引き続き、休日の計画、旅行の準備、何かの書類を用意するなど、日常の様々な場面で、自分の後回し癖に首を絞められています。
こんな自分を変えた方が良さそうだと、ぼんやりとは感じてきたものの、真剣に努力はせずに、気づけば24年間も生きてしまいました。
加えて厄介なのは、「何となく変えたほうが良さそうな自分」を20年以上引きずってきたために、自己肯定感が低いことです。
だから、人に指摘されるのが怖くて、何となく「真面目で一生懸命」なキャラで、「勤勉」の皮を被って生きています。
こういう惰性人間は、変化の機会も自ら喪失しているわけですから「詰み」ですよね。自分ごとながら。
変わらなくたっていい、それなりに生きていれば。
この手の文章を書くと、決まって「自己卑下→もっと頑張ろう(鼓舞)」という流れになるのですが、今回は意地でもそうしません。
だって「惰性な自分を変えないと」という言葉も、自分の心の底から出ているというよりはむしろ、「何かに夢中でなければいけない」「物事には一生懸命取り組まなければいけない」という蔓延する圧力に「言わされている」と感じるからです。
私は別に変わりたいとは思っていない。一貫して、金銭的、社会的に許されるなら、ずっと頑張らずに生きていたいです。「何もしない」が幸せな人間がいてもいいだろうと思っています。誰にも迷惑かけてないでしょ。
楽しめる範囲でやっていく。
最近、成長や努力を自分以上に周りから求められているような感覚に陥ってしまって、モヤモヤしていたので「自分はこのままでいたい!」という気持ちを書き殴ってみました。
誤解のないように言っておくと、今の仕事は楽しいです。
ただ、本来は「何もしたくない」がデフォルトの人間なので、変わらない自分を受け入れつつ、これからも自分なりのペースで生きていきたいなと思います。