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吉原のソープ嬢が誕生した話

私がソープで働き始めたのは、今から7年前の2016年6月(大ベテラン過ぎてビビります)吉原の110分56,500円のお店でした。
まだ仙台の田舎に住んでいた私がソープで働いてみようと思ったのは、先に吉原で働いていたお友達が紹介をしてくれたからです。親の借金を返すのと、自分が歯の矯正や美容整形をしたかったために、まとまったお金が欲しかったんです。

元々実家が貧困家庭で、父親の違う4人の弟がおり、母はもう20年前くらいからはシングルマザーで。私が一家の大黒柱的な存在でしたし、自分が家計を支えなきゃいけないんだ!的な使命感を勝手に持っていました。

はじめは私にプロのお仕事が務まるか心底不安だったし、長く働くつもりもなかったので地元からの出稼ぎのような形で働き始めました。1週間吉原の近くにある寮に泊まり込みで働いて、1週間地元に帰って、という繰り返しです。

素人の私は、何か特別な技やおもてなしが出来るわけでもなく。吉原なんてプロの集まる所で果たして自分が通用するのか、甚だ疑問なのでした。

ですが実際に働いてみると不思議なことに、案外大丈夫な自分がいました。優しいお客様に恵まれていたことが大きいですが、もともとエッチなことには人一倍興味があるタイプだったからでしょう。それからお店選びが大正解でした。大手のグループで集客も抜群、教育体制もしっかりしていたのです。これは紹介してくれた友達に感謝ですね。
お店からもお客様からも大事にされて、だんだんとソープ嬢としての自尊心が育っていきました。

先に申し上げました通り、親の借金と自分の矯正費用のために働き始めたので、その費用が貯まったら辞めるつもりで長く勤めるつもりがなかったため、身元がバレるのを気にして、初めてのお店では出身地や趣味、誕生日など、全て嘘のプロフィールで固めていました。もともと嘘のつけないタイプの性格で今は何もかも正直にお話しするスタイルで営業しているため、当初からお付き合いのあるお客様を相当困惑させてしまったことでしょう。

働き始めて3ヶ月。順調にお金が貯まり、借金も返済できたし矯正の費用も用意でき、さらに余剰資金もできました!

この頃の私はソープで働く前の自信のない私ではありません。こんな私でも通用するんだ!そう思うと嬉しくて。お店に出勤するのが楽しくなっていました。

ソープは一時的に働いて辞めるつもりで働き始めましたが、ペットの猫を飼っていたこともあって仙台から通うのが辛くなり、東京へ引っ越す決意を固めます。

続きはまた今度

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