能登支援 募金活動中の想い
時系列的にはおかしいけど、数ヶ月前に綴っていた下書きをどうするか迷って、とりあえず投稿することにした。
以下、だいぶ前に書いた「募金活動中の想い」です。
2024年元日に起きた能登半島地震。
発災直後から現地での支援活動をしたり、現地と支援したい人間を繋ぐプラットフォームをつくったりするすごい仲間を見ていて、自分にできることは何かを問いかけ続けてきた。
今まで石川県には行ったことがなかったし友達がたくさん住んでいるとかもなかったけれど、なにか行動したいという気持ちがずっとあって、なんでかというと、誰かの力になりたいから。一瞬にして衣食住を奪われた人々を想うと、何もせずにはいられないから。彼らを笑顔にしたいから。
自分はまだ幸運なことに大きな災害に巻き込まれて被害を受けた経験はないけれど、災害大国の日本に住んでいる限りいつ自分の地元で大地震が起きてもおかしくない。
他人事では決してないからこそ、行動を起こすべきだと思った。
できることがあるのに、やらないなんて選択肢は私の中にはない。
自分が誰かの役に立っているという実感の形もまた、私が探しているものだった。
そうして私は能登半島地震の復興支援活動にかかわるようになった。
私が活動させてもらっているのは、一般社団法人「熊本支援チーム」というボランティア団体で、以前の数々の災害でも支援活動を行ってきた、熊本発の人々のチームだ。
能登半島地震では発災直後から被災地に入り、物資配布、炊き出し、瓦礫撤去などの活動をしていて、遠方からの支援としては募金活動、クラウドファンディングを行っている。
3月の末には4日間ほど石川県七尾市でボランティア活動をして、4月末には1度東京で募金活動をした。
現地に行くよりも地元で募金活動をする方がやりやすいので、5月からはより高頻度で募金活動を始めることになった。
ここでは、募金活動を通して感じたことを書き留める。
初めて募金活動をした時は、少し緊張した。今まで道で募金活動をする人たちをたくさん見てきたけれど、やり方が分からなかった。
探り探りだったが、通り過ぎていく人に想いが伝わるよう、精一杯声を出した。
「能登にはまだ、傾いた家の中で、1人で困ってらっしゃる方がたくさんいるんです。水も自由に使えない人たちがいるんです。どうか温かいご支援、よろしくお願いします。」
一緒に活動をした仲間を参考にしながら、自分なりに、人々の心に響くように、言葉を紡いだ。
そうやって活動していると、色んな人が募金をしてくれた。ありがたくて、嬉しかった。あの時、しばらくぶりに、"心が震える"感覚を味わった気がしている。
「あなたたちがしてることは素晴らしいよ、頑張ってね」と温かい言葉をかけてもらったときは、涙がこぼれそうだった。
この活動に携わることができて、本当に良かった。
このようにたくさんの人の優しさを感じられることは、私が募金活動を続ける原動力ともなっている。
だけど、嬉しいことばかりでないのが、活動する私の中に常に葛藤も与えている。
募金活動のあるとき、一人の女性が近づいてきて、私たちはどういう団体で、募金活動をしているのかということを尋ねてきた。
私たちは自分たちの活動について答え、現地でも支援活動をしていることを説明した。
すると、
「前にボランティア団体が寄付金を盗んでいるというのがあったから。あなたたちは、まだ信用が足りないわね。」
意味がわからないと思った。私たちは寄付金を盗んでいる団体とは違うし、能登半島支援活動のためだけに募金活動をしている。
その女性は、熊本支援チームのことを知らないという理由で、「信用が足らない」とまで発言した。
募金活動で集まったお金は現地での支援活動に充てているし、盗んでいるわけがない。
というか、多くのボランティア団体にとってそれは当然であり、一部のずるい団体のせいで、ボランティア団体は寄付金を私利私欲にも使うというイメージを持たれてしまっていることをとても残念に感じた。
何も知らない相手に「信用がない」と決めつけられたことには腹が立ったし、ボランティアの活動の周知の難しさも同時に感じ、もどかしくなった。
ただもちろん、こちら側もその女性のことは何も知らない。
もしかしたら、ありとあらゆる災害支援活動について調べ尽くしている上で、私たちを知る機会はなく、その程度じゃまだまだだねと言いたいのかもしれない。
寄付金が盗まれたニュースを見て、潔白が明らかでないボランティア団体を避難したいのかもしれない。
だけど、知られていないために疑われ、わざわざそんな言葉を言われてしまった。
「あなたたちも気をつけてね。」
寄付していただいたお金を現地の支援活動にそのまま届けているだけなのに、何を気をつけろと言うのか。
熊本支援チームには、1月から被災地で様々な支援を、もちろん被災者の迷惑にならない形(迷惑というのも人の受け取り方で、ボランティアをありがたいと感じる人も、偽善だと感じる人もいる中では慎重にならなければいけないが)で、最大限の笑顔を届けるために行ってきたという事実があって、それに携わるボランティアの仲間の想いも毎日欠かさずSNSで発信されていて、皆が純粋に被災地の復興を願って行動を起こしているのに。
この伝わらないというもどかしさをどうにかしたくて。
未完成で文章終わってたけど、当時募金を通しての支援活動に注いでいた熱量をちゃんと残しておきたくて、忘れたくなくて、このままアップします。
こんな感情で、募金活動、続けておりました。
活動してて、やっぱり色んな人に会った。肯定的な人にも、否定的な人にも。
毎日、伝わらない難しさを感じてたな。
ここの記事に書いてはないが、別の時、初めて、突然カメラを向けられて、「中傷」をされた。
それ以降、路上に立つのが怖くなった。声が震えるようになった。
素通りしていく人ばかりの世界を嫌いになりそうだった。
だけど、たくさんの愛ある応援・感謝をもらっていた。
新しい繋がりもできた。
楽しい瞬間もたくさんあった。
「募金活動やってくれてるよね」って覚えてくれてる人がいた。
なら、やってよかった。
能登のために少しでもなったならよかった。
今年の中ではかなり熱を注いで動いたことリストに入るから、この気持ちを大切に覚えておこう。
以上、下書き消化でした。