ふりかえって
12月で中村哲先生が亡くなって1年が経ちました。
アフガニスタンで多くの尊敬する仲間に出会えたが、その分悲しみも大きく、考えると涙が溢れてきます。
11月23日に中村先生の母校九州大学で追悼集会があり、参加してきました。駐日アフガン大使がアフガン国民を代表して来られましたが、福岡空港に着くや否や「ここに来ると中村先生のことを思い出し、涙が出てくる」と言われ、多くの仲間と志に溢れた1日でした。
思い出すと、アフガンのジャララバードの日本人宿舎に田舎の図書館並みに代々の現地駐在員が置いていった書籍がずらりと並んでいるのですが、赴任当初中村先生に薦められたのが内村鑑三さんの「後世への最大遺物」でした。内村さんは同著で、金や事業、思想も大変価値があるものだが、後世に残せる最大の遺産は「勇ましい高尚なる生涯」だと語っている。時代の潮流にのって事業や資産を残す人生を送る人もいるが、この「勇ましい高尚なる生涯」に生きる人は数少ないように思うのです。
アフガンのみならず、紛争地帯で、一時に資金・物資緊急援助や開発事業によって多くの命が助かる例は多々あると思う。しかし、30年の歳月にわたって現地民とともに汗をかき、自分の野心ではなく、人々のために奉仕した姿こそ、人を共感させるのだろうと思う。
復活した緑野の写真を久しぶりに見ました。摂氏50度を超えるような灼熱の砂漠の中で、用水路の水をバケツで汲み上げて植樹をつづけ、毎日毎日水やりの日々を送りました。炎天下の中、多少の金銭的対価はあるものの、砂漠からの復活を夢みて延々と作業を続けた人々の生きざまも「勇ましい生涯」であるように映りました。
先月、秋じゃがの収穫を行いました。泥にまみれて、アンデスレッドという畑のルビーと呼んでいるジャガイモを掘り起こしました。下ばっかりみての作業でしたが、昼休み、ふと空を見上げると晩秋の澄み切った雲一つない青空でした。8月の炎天下の中、肥料をまき、土づくりをして、マルチをはって種を播いていきました。灼熱の沙漠を思わせる炎天下の中の作業をもくもくと続けてくれたスタッフや仲間の姿を思い出し、人々の働きと大地に感謝でございます。
山口敦史