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わたしという バイアス


こんにちは。台風が去り、ふたたび猛暑
です。九月ではありますが。
ものを見るとき、或いはひとを見る際に
常に、わたしたち、己というバイアス
これを持っています。


それがいかんというものでもなく
その程度のものだとして
しかし、それは「私」を知る
きっかけでもあるから
疎かにも出来ない。


他者もまた、他者のバイアスのなかで
私という人間を好意的/悪意的
に見ているということ。


私という人間について
それが分かりにくいのは、そのような
二重三重のバイアスから得られた
断片でしか、私は私を知らない。
で、私を知るということは
そのような断片を集める
収集のようなものではないかとも。


断片の収集から公式的に
出てきた「私」や「他者」というもの
それはもはや人間というものの
一般的な性質しか
示しえないものではなかろうか。
人間の近似値を測るようなそれだ。


長くなったが、ひとはそれでも
他者について、己について
知ろうと断片を収集する。
そこからくる、人間のモデルは
社会や時代からの
働きかけ・造型をむろん
受けているということ。



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